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ポスティング制度は伊良部さんがメジャー入りを巡って騒動を起こしたから誕生したのか。

谷口輝世子スポーツライター
ヤンキースに入団したころの伊良部氏(写真:ロイター/アフロ)

ヤクルトのバーネット投手がポスティング制度を利用してメジャーリーグ移籍を希望していることを明らかにした。

ポスティング制度を変更するための交渉や、この制度を利用してメジャーリーグに移籍する選手が出るたびに、ポスティング制度とは、という解説がなされる。

1998年12月に旧ポスティング制度は作られた。この制度ができたのは、1996年オフに当時、ロッテに在籍していた伊良部氏がメジャー挑戦を訴え、さらにヤンキースに移籍したいとゴリ押ししたためにロッテと大モメする騒動になったからだとされている。確かにそうだろう。

伊良部氏は95年のシーズン終了後に「来年は優勝してから、メジャーに挑戦してみたい」と話していた。この時点では伊良部氏は円満な形でメジャーに挑戦したいと願っていたのだ。95年に野茂氏のドジャースでの活躍、94年、95年のロッテでの自分の投球内容に自信を得て、その年のオフごろからメジャー挑戦を考えるようになっていた。伊良部氏は当初、特定のメジャー球団の名前を挙げることはなかったが、ロッテ球団との行き違いもあって、96年の後半ごろからどうしてもヤンキースに行きたいと強硬な姿勢を貫くようになった。

伊良部氏はフリーエージェント権を取得しておらず、所有権は所属球団のロッテにあった。ロッテ側にしてみれば、ヤンキースに移籍したいという希望は伊良部氏のわがままであり、フリーエージェント権を得ていない選手がフリーであるかのようにメジャー球団と交渉することを認めるわけにはいかなかった。

しかし、もはやロッテで野球をする意思のない伊良部氏を引き留めることはムダだった。ロッテは、当時、業務提携していたパドレスに独占交渉権を譲渡し、見返りに2人の選手を得るというトレードの形に持ち込んだ。先に近鉄を任意引退し、ドジャースと契約した野茂氏と同じ形をとるのではなく、ロッテは「独占交渉権」をパドレスに譲渡するというアイデアによって、球団主導で、伊良部氏のメジャー入りという希望までは受け入れるということにした。それでも、ヤンキースへの移籍を主張した伊良部氏はパドレス入りを拒否し、最終的にはパドレスがヤンキースへトレードした。

ところが、伊良部氏のメジャー移籍騒動はこれだけでは収まらなかった。メジャーリーグ側は、NPBに所属する選手を獲得したい球団はたくさんあるのに、日本の球団と業務提携している球団だけが独占的にNPBの選手を獲得するのは機会の不均衡にあたると指摘し、移籍制度を設けるように求めたとされている。

ロッテがパドレスに独占交渉権を譲渡したのは1997年初め。パドレスが伊良部氏をヤンキースにトレードしたのは同年の開幕後のことだ。

前述したように、近鉄に在籍していた野茂氏が任意引退という形でNPBを去り、1995年にドジャースと契約。その後の大活躍はよく知られているところだ。

また、伊良部氏より一足先に、1997年1月にはオリックスに在籍していた長谷川氏が日本人史上初のメジャーへの金銭トレードでエンゼルスに移籍している。

伊良部氏がヤンキースと契約して以降では、1997年暮れにヤクルトに在籍していた吉井氏がフリーエージェント権を得てメジャー挑戦を決めた。フリーエージェント権を行使してメジャーに移籍した初めての選手となった。

1998年には広島に在籍していたソリアーノ氏が年俸調停の末に任意引退となり、メジャーリーグ側がソリアーノはフリーエージェントであると宣言。ソリアーノ氏は夏場にいくつかの球団で個別にトライアウトを受けており、筆者はその姿をメッツの旧本拠地であるシェイスタジアムで見かけた。ソリアーノ氏は同年9月にヤンキースと契約した。

ロッテに所有権があった伊良部氏がメジャー挑戦を訴え、ヤンキースへトレードされるまでの経緯が日米間の選手移籍制度整備のきっかけとなった。

しかし、伊良部氏以外の選手の移籍も移籍制度整備に絡んでいる。95年オフの野茂氏に続き、ソリアーノ氏も98年に広島を任意引退をし、メジャーリーグ球団と契約したため、NPB側は規則の抜け穴を何とかする必要があった。

また、吉井氏はフリーエージェント権を得て比較的すんなりとメジャー移籍を果たしたが、フリーエージェント権を行使してのメジャー移籍は、日本の在籍球団側に見返りがないということが現実に起こった。

長谷川氏のようにメジャーへの金銭トレードという形が、メジャーリーグ側の獲得の機会均等や、日本球団側の選手移籍に伴う補償という意味合いでは理にかなっているのだろうが、各球団がメジャー球団と交渉しなければいけないことから負担が大きいと見なされたのかもしれない。

球界の宝であるスター選手を何の見返りもなしにメジャーに移籍させることはできないという焦燥感もあった。当時、オリックスにいたイチロー選手がメジャーへ移籍するのではという推測がなされていた時期でもあった。

伊良部氏のメジャー移籍の経緯は、日米間の移籍ルールを整備することを促した。しかし、それはポスティング制度である必要はなかったかもしれないし、ポスティング制度のメリットやデメリットとは直にリンクするとは言えないだろう。

これは筆者の思い込みに過ぎないかもしれないが、ポスティング制度に関するデメリットが報道されるときには、伊良部氏の名前が挙げられるような気がする。

伊良部氏はメジャー挑戦を訴えて強硬姿勢で無理を押し通したし、いくつかの問題行動もあった。しかし、若くして亡くなり、反論することができない伊良部氏ひとりにポスティング制度のいきさつやデメリットを背負わせることはフェアではないと思う。

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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