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戦国時代のトンデモ説は、なぜ誕生するのか? その3つの理由

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
(写真:イメージマート)

 戦国時代と言えば、新説ブームである。研究者による新説もあれば、そうでない方の新説もある。中には驚くべきトンデモ説もあるが、なぜあられもない説が誕生するのか考えてみよう。

1.史料が読めない、誤読

 戦国時代の史料を読むのは、活字であっても難しい。私の場合は、『日本国語大辞典 第二版』(小学館)を手元に置いて、何度も言葉の意味を確認する。

 率直に言えば、漢文史料を読みこなすには、大学院の修士課程修了クラスの人でなければ、難しいように思える。

 往々にして、戦国時代のトンデモ説を披露している人は、根拠となる漢文史料が読めない。漢文史料が読めないということは、戦国時代の研究ができないということである、

 つまり、トンデモ説を唱える人は、そもそも史料が満足に読めないという根本的な欠陥を抱えているのだ。

2.論理の飛躍

 トンデモ説を唱える人は、往々にして論理の飛躍が多い。近年では、研究者によるわかりやすい一般書が数多く刊行されているので、そうした本をつまみ食いして、自分の都合の良いように解釈し直し、論理の飛躍の積み重ねで構成されていることも決して珍しくない。

 しかし、トンデモ説を提唱する著者の文章が上手なので、普通の人は騙されるかもしれない。いずれにしても、トンデモ説は、史実を丁寧にたしかな史料で裏付けるという作業が抜け落ちているのだ。

3.結論ありき、思い込み

 最初に仮説を立てて論証を進めるのは構わないが、最初に結論を決め、研究史や史料などすべてを自説に都合の良いように解釈することも往々にしてある。

 たとえば、織田信長が徳川家康を討とうとしたとか、本能寺の変の黒幕は南欧勢力(イエズス会)だったというのは、事実無根の妄説である。

 後者に至っては、「秘中の秘の情報なので、史料が残らなかった」とのことだが、ご都合主義も甚だしい。自分の説を成り立たせるため、「何でもあり」というのは、実に困ったことである。

 もちろん、人は間違える。私も間違える(涙)。しかし、戦国時代のトンデモ説は、何を意図しているのか不明であるが、基本的に漢文史料が読めず、論理の飛躍や思い込みでおもしろおかしく構成されているので、注意が必要である。

 そもそも常識レベルで考えても、成り立たないと思えるものも多い。念のために申し添えると、たとえ大学教授クラスの書いたものであっても、注意する必要がある。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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