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『鎌倉殿の13人』の「クレイジーな義経」 菅田将暉はどうやって狂気に説得力を持たせたのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

「ずるく、こざかしく、せっかち」な源義経

菅田将暉の源義経がいい。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で義経を菅田将暉が演じて、すごくいい。

痛快である。

まず、この義経はずるい。

そして、小賢しい。感情で動く。せっかちであり、礼儀を知らない。

だからこそ、わくわくさせられる。

これまでの大河ドラマで描かれていた義経像とはずいぶん違う。

もともとは、義経が「いい人」で頼朝は「悪い人」

義経が主人公だった大河ドラマは、1966年の『源義経』と2005年の『義経』がある。

こういう正統派の「義経物語」では、義経はいい人であり、兄頼朝の命に従って、一生懸命に戦ったのに、兄は評価してくれず、その冷徹な政治的な動きによって殺されてしまう、という「悲劇の英雄」として描かれる。

いわゆる「判官贔屓」の物語でもある。

義経が「いい人」だから、当然、頼朝は「悪い人」になる。

悪いというか、自分の政治的野望のためには、利用できるときは利用して、邪魔になったら殺すという、冷徹な人である。まあ、悪い人でいいのか。

そう描かれていた。

義経を演じるのは二枚目の役者

義経を演じたのは1966年『源義経』では尾上菊五郎(当時は尾上菊之助)、2005年『義経』では滝沢秀明であった。

敵役の頼朝はそれぞれ、芥川比呂志、中井貴一。

芥川比呂志は懐かしい名前である。テレビに出るたびに毎回毎回、親が「この人は芥川龍之介の息子やで」とうるさかったので印象深い。毎回毎回言われた。

ちなみに「しずやしずしずのおだまき」繰り返す静御前は、古いほうが富司純子(当時は藤純子)、新しいほうは石原さとみである。

義経さん頑張ったのにかわいそう

義経が主役で、頼朝が敵役というのが、古来、芝居の定番である。

日本人としては「義経さん頑張ったのに、何か、かわいそう」という心情を持つのが、民族的な了解事項であったからだ。

歌舞伎演目『勧進帳』などは、その心持ちで作られている。

あくまで義経はかわいそうな英雄なのだ。

政治的犯罪者である源義経一行

ただ、歴史的に見るのなら、源義経は最終的には東国政権打倒(頼朝追討)を企てたれっきとした謀反人である。

反乱は失敗して、義経は逃走する。

源頼朝の政治的行動に比べれば、源義経の京都での動きはかなり問題が多いと言わざるをえない。

「悲劇のヒーロー義経」系統の物語では「悪い後白河法皇が暗躍したので、人のいい義経は利用されてしまって、かわいそう」という流れで描かれる。

ただ鎌倉政権としては、京都政権(後白河政権)との駆け引きを何も理解せずに最終的に反鎌倉行動に出た義経を処断するのは、当然のことである。

そうしないと、この国を決定的に変えられない。

義経を野放しにしておくと、鎌倉政権は根底から揺らぎ、また京都政権ぐだぐだ政治に戻ってしまうからである。

「なにもそないに無碍に殺さんでも」

でもまあ、ふつうの人たちにとって(たとえば京の民の心情として)「よう頑張ってくれはった弟さんを、なにもそないに無碍に殺さんでも」となってしまう。

その心情が、「歴史上の本当の源義経像」を越えて、「こうあったほうが心動かされる義経像」に上塗りされ、物語となり、みなに共有され、受け継がれ、「ちょっと泣ける娯楽」として消費されていく。

『鎌倉殿の13人』の頼朝は軽い

『鎌倉殿の13人』は違う。

京都方の心情に即しない。あくまで坂東の男たちの物語である。

『鎌倉殿の13人』においては、まず、頼朝がちょっと軽い。

三谷幸喜脚本であるから、かなり軽い。

もちろん冷徹な判断を下すところもたびたび出てくるが、基本、コミカルさが失われていない。

そういう頼朝設定であるから、では義経はどうするのだろうとおもっていた。

するとクレイジーな人物として登場した。

とても素晴らしい。

「常軌を逸した気配」を最初からまとっていて、出てくるなり心つかまれた。

絶対に友だちになりたくないけど、見てるぶんには高揚する存在である。

そして、三谷脚本だから、義経もまた軽い。

兄頼朝のもとに急ぎ駆けつけてる最中でも、興味が沸いたら富士山に登るし、海を見に行く。

どこまで軽い。

そしてクレイジー。

ちょっとすごい存在だ。

この義経はかなりヤバい

菅田将暉の義経の本格的な登場は8話であった。

たまたま出会った狩人と諍いとなり、では矢を遠くまで射て勝敗を決めようと持ちかけ、狩人に矢を放たせておいて、そのあと義経が狩人を射殺した。

驚愕の登場である。

とてもアウトローな存在だ。

それでいて軽い。

射殺してから、「富士山にのぼろーぜー」と草原を駆けていった。

この人はかなり本格的にヤバい人だぞ、と最初から思わせる登場であった。

だからこそ心揺さぶられる。

たしかに義経の戦法は、平家物語などから見るかぎりは、定法にとらわれぬ戦い方をしたみたいである。

奇抜な発想をする将である。

それはまた同時に「約束事を守る気がない男」ということにもなる。

型破りであり、また、常識はずれでもある。

源義経はとても「せっかち」だったのだ

そして『鎌倉殿の13人』の義経は我慢をしない。せっかちである。

こういう男なればこそ、「平家をやっつけちゃえばいいんだろう」と目の前で敵を滅ぼすことに突っ走っていくのがわかる。

鎌倉の意図など何も気にしないのだろう。

「いきなり壇ノ浦に追い詰めて全滅させるバカがあるか」と怒られても、何が悪いのかまったくわからない、そういう性格が最初から明確である。

だってせっかちだから。

ここが痛快である。

政治的に鈍感だったからとか、政治的思考ができないからというごちゃごちゃした説明ではなく、「せっかちだから」でみな説明できてしまう。

すごい。

ちょっとすごい説得力だとおもった。

義経がクレイジーに見えるのも、「せっかちさ」が周りには狂気しか感じられないからかもしれない。

そうか、義経はせっかちだったから、いくつかに成功して、いろんなことをしくじってしまったのか。

それだけで納得できてしまう。

すごい大河ドラマだ。

そしてそういう不思議な人物を演じて説得力があるのは、菅田将暉だからである。

常識はずれで、じっとしていられない義経を演じて、菅田将暉が抜群な存在感を示す。

善悪定かならず菅田将暉の役

菅田将暉は、ちゃんといい人も演じるが(『ミステリと言う勿れ』でミステリアスだがいい人ではあった)、善悪定かならずという人物も演じ(『3年A組―今からみなさんは人質です−』)、完全な悪も演じる。

完全な悪であったのは『MIU404』で、このときの「久住」役は、痺れるようなまったき悪役であった。(主演は綾野剛と星野源)

『鎌倉殿の13人』で登場したとき、ふとおもいだしたのはこの完全な悪役の久住であった。

そういう気配を出して、菅田将暉“義経”の存在感が半端ない。

義経はこのドラマでは見ようによっては「ピュアな存在」でもある。

子供みたいな言動が多い。

そして、それは鎌倉殿の意図をまったく聞き入れなくな「鎌倉政権にとっての悪」となっていく。

「ピュアだけど悪」となる。

とても魅力的な存在である。

そのへんの脚本と演出はすごいとおもう。

菅田将暉のすさまじい存在感

もちろん菅田将暉の義経像が本物そっくりというわけではないだろう。

でも、悲劇のヒーローとして二枚目役者が演じるよりは、はるかにリアリティに富み、説得力がある。

「人のウラを掻くのが好きで、やたらせっかちで、礼儀知らずの青年」であったとするのが、とてもわかりやすい。

「せっかちで人の話を聞いていない」ところが、彼の人生を決めたのだ。

そこにとても心揺さぶられてしまう。

それを演じて、説得力を持つ菅田将暉がまたすさまじい存在だと、あらためて感心する。

『鎌倉殿の13人』はそのタイトルが暗示するように「徹底的に血なまぐさい悲劇の連続」であるが(悲劇というより残虐な殺害の連続)、それでもなお「喜劇的」な部分を醸し出しているところがすさまじく、魅力的である。

そのあたりが三谷幸喜ならではの味わいなのだ。

こののち、義経は「勘違いしたまま死んでいく悲劇」が待っているわけだが、おそらくそこも「軽く」展開しそうで、目が離せない。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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