オートバイのあれこれ『ヤマハの初号機。』
全国1,000万人のバイク好きたちへ送るこのコーナー。
今朝は『ヤマハの初号機。』をテーマにお話ししようと思います。
皆さんは、ヤマハが初めて作ったオートバイが何かご存じでしょうか。
それは、1955年(昭和30年)登場の『YA-1』です。
もともと手掛けていた楽器製造や、太平洋戦争中に行っていた爆撃機のプロペラ製造の技術・設備を活用して生み出されたバイクになります。
YA-1の最たる特徴は、栗茶色に塗装された車体。
当時はまだ《オートバイ=生活の道具》という認識が一般的で、そこに趣味性は無く、オートバイと言えば黒色で仕立てられるのがセオリーだったのですが、ヤマハは大胆にもブラウン系の色味とクリーム色のツートーンカラーをYA-1に採用したのです。
これはひとえに、外観(デザイン性)を重視した結果でした。
「デザインのヤマハ」の原点は、ここかもしれないですね。
ただ、当時はやはり“バイクは道具”でしかなく、世の人々がYA-1のツートーンカラーに関心を寄せたかというと、そうでもありませんでした。
はっきり言って、発売直後のYA-1は売れなかったのですね。
しかし…、そんな状況が一気に覆る出来事が起こります。
ほとんど“ぶっつけ本番”のような状態で初めて臨んだ『富士登山レース』で、レース仕様のYA-1が経験のあったホンダとスズキを破り優勝したのです。
さらに、続けて参戦した浅間火山レース(全日本オートバイ耐久レース)でもYA-1勢が上位を独占し、YA-1の性能の高さが最高の形で世間へ広まったのでした。
実績はおろか経験すら無かったレースでホンダとスズキを撃破したインパクトは並々でなく、この活躍によってYA-1は一躍人気のオートバイとなったのでした。
YA-1を無事成功させることができたヤマハは、以降二輪事業を本格化。
ホンダやスズキ、カワサキと肩を並べ、日本を代表する二輪メーカーの一つとなっていくのでした。