運動会は誰のため? 110年前の運動会批判から学ぶ
■前日の夕方から場所取り 「年々エスカレート」
秋の運動会真っ盛りの時期になった。子どもが活躍する姿を楽しみにしている保護者も多いことだろう。
しかしながら、このところ気になるのは、もはや「楽しみにしている」というレベルを超えて、運動会が盛り上がりすぎているのではないかということだ。
SNSには、早朝から場所取りに並ぶ保護者の様子が投稿されている。それどころか、前日の夜から、場所取りのために学校へと出向く様子も報告されている。
この秋、関東圏の公立A小学校では、保護者に文面で次のようなお願いが伝えられた。
■組み体操の巨大化を生んだ磁場
上記のようなケースは、日本のごく一部かもしれない。だが、そこには今日の運動会のあり方が象徴的に示されている。運動会はいま、大人たちが楽しみにしている「ショー」としての性格を強めている。
私がこのような実態について深く考えるきっかけになったのは、組み体操の過熱ぶりからである。
巨大な組み体操は、けっして学校が独断的に推進してきたものではない。保護者と地域住民の熱狂なしには生まれなかった。巨大なものが披露されることを、保護者や地域住民が心待ちにしていて、技が完成されれば、グラウンドは感動の涙と拍手に包まれる。それに手ごたえを感じた学校は、来年はもっとよいものを披露しようと、いっそう力を入れていく。
学校と保護者・地域住民が一体となって「ショー」の魅力にはまっていく。組み体操とはまさにこのような磁場のなかで、巨大化・高層化してきたのであった。
■110年前の運動会批判
巨大組み体操に限らず、騎馬戦、ムカデ競走、綱引き、リレー、徒競走、さまざまな種目で運動会は盛り上がる。どのような種目であれ、盛り上がるのはひとまずよいとして、はたしてそれは学校の教育活動としてどのような意義があるのか、つねにそのことは確認されつづけなければならない。
いまから約110年前の明治41(1908)年に刊行された『小学校運動会要訣』(国民体育攻究会/編)という本がある。当時全国的に盛り上がりをみせていた運動会が、非教育的・非体育的な性質を帯びていることを危惧して出版されたものである。
同書では、当時における運動会の具体的問題点が複数指摘されている。じつはその第一の問題点に、「今日の運動会が見世物的な傾向をもっている」ことがあげられている。
そもそも運動会は「参加する児童の体力増進のためにおこなうものなので、何事も児童を基本として実施すべき」である。子どもが観客の欲求を満たすための見世物になってはらない、ということである。おおよそ110年前の時点ですでに、教育活動であることを忘れて、見世物=ショーに傾倒する運動会に、警鐘が鳴らされている。
■日頃の成果を披露する
『小学校運動会要訣』に示されたような論調は、その後も引き継がれる。
1925(大正14)年刊の『新しき施設の小学校運動会』(真行寺朗生/著)においては、さらに踏み込んで、運動会の種目は「日常から教えられていることの一部を発表する」ものという考えが示されている。
運動会のために練習に熱中するということは憂慮すべき事態であり、「一学年間で教えるべき教育内容の詳細を決定して、そこで教育し復習した種目のなかから選定して実施すれば、いざ運動会になっても困ることも焦ることもない。他教科の時間をつぶしてまで練習する必要もない」という主張が展開されている。
■過熱ぶりに疑義がはさまれない
保護者や地域住民にオープンであるからには、運動会は基本的に「ショー」としての性格を有している。上述の書も、運動会が「ショー」であること自体を否定するものではない。「ショー」だとしても、観客本位にならないよう、すなわち子ども本位になるようにすることが大事で、教育活動としての目的を失ってはならないという主張である。
子どもの日ごろの活動をベースにして、その延長として、皆が盛り上がる「ショー」につながっていくべきであり、「ショー」のために子どもたちが本番や事前練習で奮闘するという本末転倒の事態は避けたいものだ。
いま私たちが問題視すべきは、「ショー」であることが当たり前になりすぎていて、その過熱ぶりに疑義がはさまれていないこと、そして、運動会のあり方をめぐる議論がほとんど展開されていないことである。むしろ私たちが目にするのは、見栄え優先の指導書であり、その見栄えを期待して列をなす保護者の様子である。
子どもたちは、日頃の元気な姿を見せてくれればそれで十分であり、私たち大人はその姿にこそ拍手喝さいを送るべきではないだろうか。
運動会とはいったい、誰のためのものか。110年前の指摘は、もはや忘却の彼方にある。
[謝辞]運動会の歴史については、中京大学名誉教授である木村吉次先生の研究発表資料「運動会の歴史とその教育的意義」(2016年7月23日、日本スポーツ法学会夏期合同研究会)において紹介されている文献を参照しました。木村先生にはこの場を借りて、お礼を申し上げます。