照ノ富士が親方になれないかもしれないという近未来の「年寄株不足」を現役力士の実名を挙げて考察
大相撲7月場所は初日から両大関休場と波乱の幕開け。一方で今場所の成績では3関脇が同時に大関昇進の可能性があって湧いています。その陰で親方株(年寄名跡)が取得できず、日本相撲協会を去る元力士が目立ち始めました。
近年、松鳳山、千代大龍、3代目豊山などが親方にならず退職するも表立って「名跡取得がかなわず、やむなく」とは言明していなかったのですが、年寄り「井筒」を一時的に襲名していた元関脇豊ノ島が今年1月に退職した件と、元関脇逸ノ城が5月に引退した件は濃厚に「やむなく」を感じさせます。モンゴル出身の逸ノ城は日本国籍を取得していたので。その目的が「将来、親方になる」以外には考えられません。
問題はこうした事態が今後も増えていきそうな状況です。過去にも紹介してきましたが今回はより具体的に近未来を占ってみます。「ちょっと興味ある」の方は前半で、好角家には後半までお付き合い下されば幸いです。
豊ノ島退職のタイミングとは
元豊ノ島の退職は詰まるところ「鶴竜問題」へと行き着きます。鶴竜は引退後5年間、現役のしこ名で親方を勤められる横綱特権を行使して協会に止まっていますが、期限は2026年3月24日。同日までに最低でも借株(一時襲名)を見つけないと退職となってしまいます。
鶴竜を育て上げた師匠が元関脇逆鉾の井筒親方。順調ならば跡取りになっていたはずなのに師匠が19年に急死して部屋が陸奥部屋へ吸収されてから暗雲が垂れ込めます。
師匠死去の時点で鶴竜は現役。そこで豊ノ島が一時襲名したのです。名跡の所有権は逆鉾の遺族。その逆鉾の娘が志摩ノ海関と結婚するに及び「井筒は志摩ノ海」が既定路線と変更されました。部屋付き親方になる権利である「関取(十両以上)30場所以上」が確定した、まさにそのタイミングで豊ノ島が退職したので。
鶴竜が継げそうな名跡は
今は陸奥部屋付きの鶴竜親方が現師匠を継ぐのも難しい。師匠の元大関初代霧島は24年が定年ですが再雇用制度(5年)を行使したら28年まで。26年を過ぎてしまいます。
105ある年寄名跡のうち現在欠員なのは井筒以外には「音羽山」があります。ただ鶴竜が時津風一門に属するに対して音羽山は二所ノ関一門。流出を嫌がって借株がせいぜいかともみられているのです。
陸奥部屋の部屋付で27年6月に再雇用期間も終える「立田山」に頼んで少々早めに退いてもらって襲名という道も。再雇用とはいえ年間1000万円はもらえるようだから早期退職分を手当てする必要があるかも。
今年6月に引退して年寄「間垣」を襲名した元前頭石浦が似たケースかも。前間垣親方は再雇用期間中(27年8月20日まで)に退職しました。おカネがどうこうという話はありません。
現在30歳以上で親方になりそうな現役力士12人
この音羽山は同じ二所一門であった逸ノ城へ譲られるという観測もありました。なぜそうならなかったのかは藪の中。
ところで親方となるには現役時の実績が必要です。今回は継承権のうち最高位の「部屋新設できる資格」たる「横綱・大関経験者」と「幕内60場所以上」および部屋付きになれる「関脇・小結経験者」兼「幕内20場所以上」で30歳以上(=そろそろ引退を考える頃)の現役限定で考えます。本当は「幕内20場所以上のみ」と「関取30場所以上」(志摩ノ海のケース)なども条件クリアしますが煩雑になるため後半の「好角家のみ」に記します。
該当者は以下の通り。地位は最高位。カッコ内の表記は一門。
横綱照ノ富士31歳(伊勢浜)※日本国籍取得
大関御嶽海30歳(出羽海)
大関正代31歳(時津風)
大関高安33歳(二所ノ関)
関脇宝富士36歳(伊勢浜)★
関脇碧山36歳(出羽海)※日本国籍取得
関脇妙義龍36歳(出羽海)★
関脇玉鷲38歳(二所ノ関)※日本国籍申請中
小結北勝富士30歳(高砂)★
小結翔猿31歳(時津風)
小結竜電32歳(二所ノ関)
小結遠藤32歳(時津風)★
このうち★の宝富士、妙義龍、北勝富士、遠藤は現在誰かへ所有している株を貸している立場とみなされるので(確実ではないが)とりあえず安心と除外します。
5年後までに空きそうな親方株11
今度は現役年寄がすべて再雇用を申請したとして、その期限が早い順(5年後まで)と名跡の行方が不確かな借株を並べてみます。年月は再雇用終了時。最後は一門名です。
【再雇用終了】
湊川 26年10月28日 二所ノ関
峰崎 26年5月10日 二所ノ関
荒磯 27年1月11日 二所ノ関
尾車 27年4月25日 二所ノ関
立田山 27年6月6日 時津風
高島 27年8月14日 時津風
入間川 28年4月24日 出羽海
鏡山 28年2月14日 時津風
【借株】
出来山 出羽海
錦島 高砂
佐ノ山 高砂
そうなのです。照ノ富士の伊勢ヶ浜一門が空いていません。大問題です。実は筆者は一門内ならば先述の間垣(先代の再雇用は27年8月20日まで)をいったん継いで師匠の伊勢ヶ浜(再雇用終了が30年7月5日)に直ると踏んでいました。横綱特権の5年間を活用すれば十分可能だと。でも間垣が別人へ渡ったので伊勢ヶ浜を直接継ぐため後2年は現役でいなければなりなくなったのです。
一門の借株に「桐山」があるにはあるのですけど、こちらは宝富士が有力。36歳で引退即襲名しないと退職してしまうから。
あるいは協会が保有している「佐ノ山」襲名の可能性もあるかもしれません。
他の力士が得られそうな名跡
二所一門のうち高安は引退後3年間現役名で残れる大関特権使用を考え合わせれば「湊川」「峰崎」が十分視野に。竜電もまだ32歳だから3年踏ん張れば「湊川」か「峰崎」を。年齢的に厳しいのが玉鷲か。「鉄人」ゆえ40歳を超えて取り続け、国籍も得たら名跡の当て自体はあります。
時津風一門の正代も31歳とまだまだなので、もう一踏ん張りして数年そこそこ活躍すれば大関特権も加味すれば(立田川が鶴竜に渡ったとしても)「高島」「鏡山」が届きそう。小兵の翔猿に後4年は厳しいけど期待したい。
出羽一門総帥の出羽海部屋に所属する御嶽海は順当にいけば、やはり同部屋付き親方であった出来山を襲名すると予測されます。でも早々に引退・襲名したら36歳で最近は幕尻も危うい碧山がピンチ。元大関の復活が望まれます。
というわけで綱渡りを強いられるにせよベテランの人気力士の名跡は確保されそうだというハッピーエンドで丸く収めてみた次第。「多少興味があった」という読者諸賢とはここでお別れします。ありがとうございました。
ここからはコアな好角家対象の深掘りです。
「幕内20場所以上のみクリア」6人+「関取30場所」数人
当然「ゆえなく『幕内20場所以上のみクリア』組を外すなよ」となります。その通りで該当者(30歳以上)は以下の通り。全員、最高位は前頭。
錦木32歳(時津風)
德勝龍36歳(出羽海)
佐田の海36歳(出羽海)
千代の国32歳(高砂)
千代丸32歳(高砂)
琴恵光31歳(二所ノ関)
いきなり混沌としてきます。まるで足りなくなるのです。ここに「関取30場所のみクリア」が数人加わり、さらに外国籍で条件を満たす数人が日本国籍を取得したら大渋滞を起こすのは必定といえます。
過去の例を振り返ると横綱経験者でさえ手配がつかず退職したり借株でしのいだりしたケースがいくつも。曙は横綱特権5年間で取得できずに退職。武蔵丸も特権行使後に借株2つを経て現在の「武蔵川」を得ました。他方で前頭止まりでもすんなり襲名する者も。
現役時代の番付が必ずしも取得に有利という状況ではありません。ゆえに上記6人が襲名して、記事前半でハッピーエンドに終わらせた面々が割を食う事態も十分あり得るのです。
スポーツなのか伝統芸なのか
親方とは指導者。現役時代の成績と必ずしも適性が一致しないというのはスポーツの一般論としては成立します。しかし公益財団法人日本相撲協会は「相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させる」を「目的」としているのです。単なるスポーツだけでなく伝統芸でもあると。
大相撲がスポーツとして異色なのは順位表(番付)に階層があって、横綱を筆頭に名称が多数与えられる点。他の個人競技だと数字でのランキングはあっても名称があるのは王者ぐらい。それもその時点での命名であって次の大会で挑戦者に敗北したら無冠となるのが普通です。身分制の名残=伝統が濃厚に認められます。何よりそれが年寄取得条件になっているのです。
おそらく前頭止まりに三役や大関・横綱の伝統的な役割は肌感覚ではわかりません。だから優遇しようとの意図があるのは明白です。ただそこに限定するとあまりに古色蒼然とするため指導者の能力がありそうな前頭止まりでも取得条件に含んでいると。「スポーツ」と「伝統」が混在しています。
惣領制や江戸商家の名残
「そもそも論」として「部屋」や「一門」という概念自体が他のスポーツに類を見ない制度です。武家社会の惣領制や江戸商家の年季奉公を合わせたような特異なありようといえましょう。
「部屋」の師匠は商家の主人で自ら経営する施設(部屋)に住まう。幕下以下の力士は丁稚と似た養成員扱いで無給の代わりに施設へ居住して衣食住は保障される。一人前の関取(十両)になれば給料が支払われる。江戸の習いで評するならば手代昇格。個室が与えられるも力士は婚姻しない限り部屋住まい。入門した部屋を力士の意思で移籍できず、反対に師匠が破門したら現役引退を余儀なくされる……。こんな仕組みのスポーツは他にみられません。
格好もスポーツの常識からかけ離れています。一般に競技者は身体能力を極限まで発揮できるよう整えるのに対して大銀杏などは全然そうでない。行司を審判とみなしたら到底動きやすい装束とは呼べません。
いつまでも引退しない力士が続出する
ただスポーツであるのも事実で、身体の衰えを理由に引退します。この辺は歌舞伎など他の伝統芸能と異なります。だから名跡襲名という段階が存在するわけで。
ただ、これだけ親方株の不足が慢性化すると「引退しない」という選択をする力士の多発が現実味を帯びてきます。何しろ横綱・大関特権を除くと「引退即襲名」(一時襲名を含む)でないと協会に残れないので。これも他のスポーツにはみられない仕組みといえます。引退後しばらく他の仕事に就いて外部から相撲の今後や現状を観察するといった猶予がないのです。
他方で師匠さえ認めてくれたら最下位の地位である序の口まで落ちてよければ延々と現役続行可能。そうしてさえいれば名跡が空いた時に襲名する権利は保持できます。現に三役経験者が幕下以下へ陥落し、その時点で名跡を襲名したケースが今世紀に入って続出しています。
荒汐親方のケースが美談である時点で
こうなるとやはり「再雇用の5年に名跡は不要」という意見を再考する必要があるでしょう。もしそうしたら(65歳で名跡は放出)先に紹介した8人に加えて5年後までに取得できる親方株は15も増えるのです。
元小結・大豊の荒汐親方は再雇用制度を利用せず、65歳定年退職のタイミングで愛弟子の蒼国来へ部屋を託しました。蒼国来は八百長疑惑でいったん協会から解雇されるも「やっていない」と裁判で争って勝利し土俵へ復帰した波瀾万丈の経験者。先代荒汐は解雇から復帰まで弟子を信じ、できうる限り支援したとされています。
ただこうしたケースは稀で美談ですらあるのも確か。やはり制度の見直しがあってしかるべきです。