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もし「在日」ではないあなたが「在日認定」されたらどうしますか?

韓東賢日本映画大学教員(社会学)

いまだに、とくにネット上で、「よからぬ人物」に対してや「個人攻撃」としての「在日認定」は絶えない。少々古い記事だが、残念ながら問題提起は色あせていないと思い、以下、転載したい。

ネガティブ・キャンペーン、誹謗中傷の手段としての「在日認定」

「ウィキペディアによると、『在日認定』とは『ある人物を事実や根拠の有無にかかわらず在日コリアンや、コリアン系の人物であると認定する』行為を意味するようである。こうした『在日認定』は、インターネットサイトの2ちゃんねるの世界で広がりを見せ始め、日本に批判的な人物を誹謗・中傷する手段として使われてきた」

これは、『僕たちのヒーローはみんな在日だった』(朴一、講談社)からの引用だが、この「在日認定」、ヘイトスピーチがまん延しSNSが市民権を得る中で頻繁に見かけるようになった。では、もし「在日」でない誰かが「在日認定」されたらどうするか。

前掲書で朴一氏は、1995年の都知事選に立候補した大前研一氏が対立候補陣営に「北朝鮮出身」というデマを流された事件を振り返った文章を引き、「デマに振り回される有権者の意識にも問題があるが、それを必死に打ち消そうとする候補者の脳裏にも『他の国の人間ならともかく朝鮮人とは思われたくない』というレイシズムが潜んでいるのである。選挙のたびに対立候補へのネガティブ・キャンペーンとして『在日認定』が繰り返されるのは、こうした候補者と有権者の共犯関係が成立しているからである」と指摘する。

正論だが、デマの否定自体がいけないとは言い難い。では正解は何だろう。

悪意は自分「だけ」に向けられたものなのか、その前提は何なのか

先日、Twitter上で繰り広げられた議論で見かけた次のようなコメントが、示唆的だった。

「もう既にその問いが投げかけられた瞬間に、傷はつくというか悪意の投げかけは完了してるんだよね。その悪意に対してどう応じるかの話であって、『在日ではない』と答えることに問題があるわけじゃないと思うんだなー」

「真と善とを秤にかけさせて、真を言ったら善ならず、善に努めりゃ真を言えないって言うことを飲み込まざるを得ない時点で悪意は完成してるんだよ。その前提を蹴り飛ばしに行くのが一番いい(難しいけど)」

そう、大事なのは問いそのものではない。前提だ。

「踏み絵を踏んだか踏まないかじゃなくて踏み絵を用意する人間を殴るべきだし、同時にその踏み絵を迫られたことをあまり軽く捉えるべきではないんじゃないかなー…」

「悪意の打ち返し方に唯一の正解はないし、(中略)悪意を打ち返すという意識があったのか、それを悪意と認識してたのかどうかの問題なのではないかなぁ」

そう、だからどう答えるかの問題ではない。つまり正解はない。でも投げかけられた自分だけが「被害者」だと思った瞬間、その悪意の本質を見失い、「何か」をつかみ損ねてしまうのは間違いないだろう。悪意の本質などどうでもいいと言うなら話は別だが、もしそうでないのなら、その悪意は自分「だけ」に向けられたものなのか、つまりその前提は何なのか、それだけでも考えてみてほしいと思う(難しいけど)。

(『週刊金曜日』2012年10月19日付「メディアウォッチング」)

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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