オートバイのあれこれ『キング・ケニーと黄色いヤマハ。』
全国1,000万人のバイク好きたちへ送るこのコーナー。
今日は『キング・ケニーと黄色いヤマハ。』をテーマにお送りします。
「ヤマハのレーシングマシンの色は?」と聞かれて、何と答えるでしょうか。
近年のMotoGP等から判断すると、青色ということになるでしょう。
しかし歴史を遡ると、ヤマハは昔から青を使っていたわけではありません。
世界グランプリがまだ「WGP」と称されていた90年代以前には(スポンサーカラーの影響もありますが)、ヤマハは白×赤の2トーンカラーを主に使用していました。
80年代のWGPで活躍したエディ・ローソン氏や、90年代初めに活躍したウェイン・レイニー氏が白×赤の『YZR500』を駆っていたことを、よく覚えているレースファンの人も少なくないのではないでしょうか。
ただ、今回フォーカスしたいのは白×赤2トーンではありません。
ヤマハのレーシングヒストリーにとって、この白×赤と同じくらい栄誉ある『USインターカラー』に注目したいと思います!
どうでしょう、「見たことある!」という人も多いのではないでしょうか。
この黄色と黒色の2トーンが「USインターカラー」と呼ばれたカラーリングになります。
ヤマハは日本およびヨーロッパにおいては基本的に白×赤2トーンを採用していたのですが、USヤマハ(ヤマハの北米法人)が独自に黄色と黒色を用いたレーシングカラーを考案。
アメリカ国内のレースに出場するヤマハ車は、日本や欧州とは違いこの蜂のようなカラーをまとっていました。
(「US」はもちろん、「USA」から取ったものですね)
そしてこのUSインターカラーを全世界へ知らしめたのが、「キング・ケニー」ことケニー・ロバーツ氏でした。
ロバーツ氏は1978年(昭和53年)にUSインターカラーのYZR500を駆りWGPを制覇、そのまま79年・80年と、3年連続でWGPのチャンピオンとなったのです。
世界最高峰の舞台でこれだけの大活躍をすれば、その色が有名にならないわけがありません。
本来のヤマハカラーとは全く異なるにもかかわらず、USインターカラーはロバーツ氏の偉業によって一躍ヤマハを代表する歴史的カラーリングとなったのでした。