Yahoo!ニュース

フジテレビを犠牲にした、腸捻転とその解消の歴史

華盛頓Webライター
credit:pixabay

1960年、テレビの全国ネットが広がっていくと、地方局はキー局とその関連の新聞社の系列に収まるようになりました。

しかし中には地域独特の事情もあって、地方局の出資資本と系列局が捻じれていたこともあったのです。

この記事では山形県の放送局であった腸捻転と、その解消の歴史について紹介していきます。

フジテレビを犠牲に腸捻転を解消した山形県

1989年、山形テレビ(YTS)は、エフエム山形の開局(4月)とテレビユー山形(TUY、JNN系列)の開局(10月)に対する競争意識を強め、経営多角化を図ります。

バブル期にはハリウッド映画の制作参画やバイオ科学研究所の設立なども試みましたが、バブル崩壊により経営は行き詰まりました

さらに、1991年3月に山形テレビの創業に関わった山新グループの服部敬雄が死去し、彼と親しかったフジテレビの鹿内信隆も1990年に亡くなり、山形テレビの経営は大きな転換期を迎えます。

この状況を受けて山形テレビはフジテレビに経営支援を求めましたが、フジテレビ側は株の増資と恒久的なネットワーク協定を条件としました。

一方、朝日新聞社や山形県内の有力者の意向により、山形テレビはフジテレビ(FNN/FNS)を脱退し、ANN(テレビ朝日系列)に再加盟しフルネット局化を目指す動きが強まったのです。

最終的に、1992年9月に臨時取締役会でネットチェンジが正式に決定され、1993年3月31日をもって山形テレビはFNN/FNSを脱退し、ANNフルネット局に移行しました。

フジテレビはこの決定に反発し、山形テレビに対してペナルティを課しました。

1992年12月からの4か月間、FNN/FNSのスポンサー交渉を山形テレビが単独で行うという制裁措置が取られたのです。

ネットチェンジに伴い、山形テレビで放送されていた日本テレビ系列の番組は、NNN/NNS単独ネット局となった山形放送(YBC)に移動しました

これにより、長年続いていた山形放送と山形テレビの変則的なクロスネット状態は解消されましたが、山形県はフジテレビ系列の空白地域となったのです。

フジテレビの番組は1997年にさくらんぼテレビ(SAY)が開局するまで、主にテレビユー山形で一部が放送されましたが、多くの番組は秋田テレビや仙台放送など近隣の系列局を通じて視聴される状態が続きました

このように、山形テレビのネットチェンジは山形県のテレビ業界に大きな変化をもたらし、フジテレビ系列の空白を埋めるため、さくらんぼテレビの開局が待たれることとなりました。

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

華盛頓の最近の記事