Yahoo!ニュース

地元有力者に翻弄され続けた福島テレビ、腸捻転とその解消の歴史

華盛頓Webライター
credit:pixabay

1960年、テレビの全国ネットが広がっていくと、地方局はキー局とその関連の新聞社の系列に収まるようになりました。

しかし中には地域独特の事情もあって、地方局の出資資本と系列局が捻じれていたこともあったのです。

この記事では福島県の放送局であった腸捻転と、その解消の歴史について紹介していきます。

地元有力者に翻弄され続けた福島テレビ

1971年6月1日、福島テレビ(FTV)はニュースネットワークをJNNに切り替え、TBS系列の番組をメインに編成することになりました

しかし、同時にフジテレビ系列の番組も福島中央テレビから再び移動し、福島テレビはTBSとフジテレビのクロスネット局となったのです。

ただし、JNNの排他協定により、福島テレビはフジテレビ系列のニュースネットワークであるFNNには加盟できませんでした。

このため、一部のフジテレビ系列の番組は福島中央テレビで放送され続けるなど、複雑な編成が続いたのです

福島テレビがJNNに加盟していた間も、株式の大部分をフジサンケイグループが保有していたため、TBSは発言力を失っていきました

TBSは福島テレビの「公営テレビ」的体質や地元新聞社の影響力を嫌い、1983年の新しいテレビ局割当時に福島テレビから距離を置く決断をします

この結果、福島テレビは1983年4月1日にJNNを脱退し、再びFNNに鞍替えしました

同時に、TBSは新局「テレビユー福島(TUF)」の開局に向けて動き出したのです。

TBSが福島テレビから手を引いた背景には、福島テレビの大株主であった小針暦二(当時福島民報・福島交通社長)との対立もありました。

元TBS社長の濱口浩三の証言によると、福島県が過半数の株式を保持していることや、ネットワークに関する意見の食い違いが、TBSが新局を立ち上げる一因となったといいます。

当時の新局設立には田中角栄元首相の影響が強く、フジテレビ、テレビ朝日、日本テレビ、TBSの4キー局が田中邸で協議した結果、福島における3局目をテレビ朝日系列、4局目をTBS系列とすることが決まりました

当初、TBS系列の新局は「福島放送」とされる予定でしたが、郵政省の指導により「テレビユー福島(TUF)」という社名に変更されたのです。

このように、福島テレビがJNNからFNNに再び移行し、テレビユー福島が開局するまでの過程には、地元新聞社や政治的な要因が深く関わっていました。

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

華盛頓の最近の記事