無添くら寿司裁判の功罪 ~訴える側の悪手と訴えられる側の嫌疑~
最近、取り上げられることも少なくなりましたが、「口コミ」サイトのトラブルはその件数を増しています。先月下旬には、寿司チェーン店である無添くら寿司がネットの掲示板で批判的な書き込みをしたとして訴えた裁判で、その提訴が退けられました。ある匿名の投稿が、企業の信用を低下させ、名誉棄損にあたると、その匿名の発信者が所属するプロバイダーに対して、情報開示を訴えたのです。結果的に、その批判は誹謗中傷には当たらず、事実でないとも言い難く、企業の業績に何らかの影響があったとしても口コミの公益性から違法とは言えないという判決でした。逆に、提訴したその寿司チェーン店には、「組織による個人の言論弾圧だ!」といった非難が殺到し、もともとの批判投稿や敗訴以上の”被害”を受けることとなりました。
「口コミ」サイトの登場当時から、製品や企業に対する口コミの内容に対してトラブルが頻出しています。事実と異なる誹謗中傷に対しては訴えられ、かつ懲罰の対象となってしかるべきでしょう。しかし、いわれのない誹謗中傷はともかく、事実をめぐっての線引きは非常に難しいところです。事実は一つとしても、事実の表現は千差万別です。特に事実であったとしても、投稿者の主観が入り、その事実がゆがめられることも少なくありません。逆に批判を受けた企業側は、その企業活動に支障が出ることを問題とするゆえに、その批判のみを短絡的に考えがちです。先の寿司チェーンにおいても、訴えたこと自体が悪手であるという考えもあります。訴えたことによって問題をより大きくし、さらに注目を浴びることになって、より数多くの真実、つまり数多くの投稿者の主観が入った真実が飛び交うことになるからです。
では、企業側は常に訴えることを悪手として無視するべきでしょうか。もちろん、そうではなく事実であるか否か、特に事実でない部分が含まれていないか、そしてその事実でない部分が、企業活動にとって著しく支障を来していなかを厳密にチェックすべきです。もし、そのような部分があれば、ネット上で反論を繰り広げることが最善の対策であり、その事実でない部分がさらに誇張された時にこそ、提訴するという最終手段に訴えるべきなのです。
投稿する側はどうでしょうか。事実であるからと言って何を書いても良いのでしょうか。先にも書いたように事実が読み手側に正確に伝わるとは限りません。読み手側の主観以上に、書き手(投稿者)側の主観が入ることが一般的です。投稿時点での一時の義憤や憤慨が主観を助長させるからです。投稿者が事実と考えている事象が本当に事実なのか、単なる伝聞に過ぎないのではないか、そして事実が主観によって歪められていないかを十分に検証した上で投稿し、投稿した限りは、その投稿文に責任を持つべきです。