聞こえづらい社会の解消をめざす「ミライスピーカー」
今後大きな課題となる「聞こえの問題」
高齢化が急速に進む日本で、今後大いに懸念されるのが、身体機能や感覚機能、認知機能が衰えた高齢者の増加と、彼らの日常生活を送る上での困難事象の増大です。
機能低下がもたらす社会課題は、すでにいろいろな形で顕在化しています。例えば、警察庁の報道発表「平成28年の特殊詐欺認知・検挙状況等」によれば、高齢者(65歳以上)被害の特殊詐欺(オレオレ詐欺)の件数は約1万1千件、特殊詐欺全体の8割を占めています。これは認知機能に低下がみられた高齢者を狙った犯罪です。
犯罪事件でなくとも、さまざまな機能の低下は普段の日常生活にも困難をもたらします。歩行機能が衰えることで買い物が困難になる、視力が低下することで街ナカの表示がみえづらい、などです。
今回取り上げる「聞こえ」の問題もそのひとつです。日本補聴器工業会の調査によると、現在、聞こえ方に何らかの困難を感じている人(難聴者)は、人口の約1割、約1千万人存在していると言われています。(『Japan Trak 2015』調査)若年性の難聴の方々以外に、今後増加が予想されるのが、難聴高齢者の増加です。
高齢期における聞こえの問題はおおむね50歳を過ぎた頃から徐々に生じてきます。日常生活に困難を来すようになるのは70代後半から80代。聞こえに関する困難、いわゆる難聴は、「伝音性難聴」(外耳から前庭窓までの伝音機構障害)と「感音性難聴」(内耳から大脳中枢に至る経路での障害)に分類されます。高齢期の聞こえ問題は主に「感音性難聴」に起因します。「感音性難聴」では、聞こえの最小可聴値が上昇することに加えて、音の聞こえ方に歪みをともなうことが多く、とりわけ男性のほうが聞こえの損失度は高いと言われています。
難聴を補助する器具として、さまざまな補聴器が開発されています。しかし、見栄えを気にして、実際に装着している人は、難聴の実数よりは、はるかに少ないと言われています。
同じく日本補聴器工業会の調査によると、日本国内において聞こえに何らか問題を抱えている人に対し、実際に補聴器を保有している人は11%程度であると言われています。残りの人々は聞こえに何らかの問題を抱えつつも、特に何の対応も行っていないことになります。補聴器の着用率は海外諸国に比べると相当低い状況です。
聞こえに困難を感じる高齢者の増加は、すなわち社会的にコミュニケーションを取ることが難しい人々の増加を意味します。高齢者施設を訪れると、ひとりでぽつんと佇み、誰とも会話をしようとしないご入居者の姿を目にすることがあります。スタッフに聞くと、耳が遠いために会話をすることを諦めてしまった方だというのです。家族が補聴器を勧めても、装着感が気にいらず、加えて付けると聞こえすぎてしまうので、結局外してしまったのです。おそらく、このような高齢者の方々は数多く存在しているに違いありません。
「ミライスピーカー」とは何か?
さて、このような「聞こえ問題」に一筋の光明を与えてくれる商品が、今回ご紹介する株式会社サウンドファンの開発した「ミライスピーカー」です。以下、このスピーカーの特徴をいくつかご説明しましょう。
スピーカーと言われて、多くの人が思い浮かべる形状は、いわゆるコーン型スピーカー、つまり紙で出来たコーン(円錐)型スピーカーでしょう。これに電気信号を加えることでコーンが振動して、音声信号が再生されるのが一般的なスピーカーです。
これに対し、「ミライスピーカー」は、音を鳴らす原理がコーンとは全く異なっています。「ミライスピーカー」の形状は円錐形ではなく、曲面です。プラスチック下敷きを曲げた形を想像してもらえばわかりやすいかもしれません。この曲面形状(素材はカーボン)に磁気回路を経由した音声信号を加えると、通常スピーカーとは全く質の異なる力強い音が飛び出してくるのです。
一般に通常のスピーカーから出た音は、距離が離れるほど、音は次第に減衰していきます。それに対し、「ミライスピーカー」は、驚くほど音が減衰しないエネルギーレベルの非常に高い音を鳴らすことが出来る。指向性が広く、かつ遠くまで届く不思議な音力です。
このエネルギーレベルの高い音は、結果として音が聞こえづらい人にとって、非常に聞き取りやすい音になるのだそうです。ここは数多くの方々を対象として実証済みです。高齢者の難聴は「伝音性」と「感音性」に分類できると説明しましたが、この「ミライスピーカー」はどちらにも効果が上がっているそうです。効果は明瞭にわかっているのだけれど、その原因はいまのところ不明という不思議なスピーカーなのです。
「ミライスピーカー」開発の原点
このスピーカーの開発者のひとり、株式会社サウンドファンの佐藤和則社長が、この未来スピーカーを発想した原点は、自分の父親が難聴であったことにさかのぼるそうです。父親の難聴をなんとかしたいと考えていた矢先、音楽療法士でもある名古屋の大学教授の「蓄音機の出す音は難聴者に聞こえやすい」という論文を目にしました。早速、この原理をベースに試作機を開発し、父親に聞かせたところ、「確かに聞こえやすい」と答えたのです。
「ここに、新事業のアイデアが潜んでいる」と考えた佐藤氏は、元ケンウッドの音響技術者であった宮原信弘氏(現副社長)と共同で会社を設立、それが2013年のことでした。
それから約5年の歳月を経て、苦労を重ねる中で開発されたのが、「ミライスピーカー・ボクシー」と「ミライスピーカー・カーヴィ」という2種類のスピーカーです。主な導入企業の業種としては、鉄道、空港などの交通系施設、金融機関や証券会社、病院窓口など。企業数は4〜500社まで拡がっています。現在は主に、業務用での使用が中心ですが、今後商品バリエーションを拡大していくことで、オフィスや家庭、さらにはコンサートホールなどでの普及もめざしていきたいと佐藤社長は語ります。
災害時などにもこのスピーカーは有効です。「先日の西日本の大被害でも、強い雨音が原因で防災無線が聞き取れず、逃げ遅れた高齢者の方々が沢山いらっしゃいました。もし、未来スピーカーがその場所にあったら、もしかすると助かっていたかもしれません。」(佐藤社長)
障害者、高齢者が聞こえやすい社会を目指して
平成28年4月に施行された「障害者差別解消法」では、国や地方公共団体、事業者に対し、障害者が社会的障壁の除去を必要としている場合、「(当該障害者の性別、年齢および障害の状況に応じて)社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない」と定めています。つまり、公共施設や各種施設の窓口で、インフォメーションが聞き取れなかった場合、その理由は聞こえづらい本人に帰すべきものではなく、配慮を怠った側に責任を帰す、というものです。この考え方は2001年に世界保険機構(WHO)によって採択された「ICF(国際生活機能分類)」の考え方に基づくものです。簡単に言えば、それは「社会での<生きづらさ>を抱えた人が、より良い生活を送るためには、その人自身の変化だけでなく、社会全体のサポート体制を構築していくことが欠かせない」というものです。
今まで、「聞こえないこと」はともかく、「聞こえづらいこと」については、概ね本人の問題として対処されることが多かったわけですが、今後「聞こえづらい人の増加」が予想される中で、きちんと伝えるための努力が、より求められる社会になってくると言えるでしょう。