「老害」って本当に必要?世代間対立をなくすためにできること
しばしば耳にする「老害」という言葉
現在、日本は人口の約3割が65歳以上という世界で最も高齢化率が高い国です。そうした事を背景として、近年、若者による高齢者の存在を忌避するような発言や、高齢者の問題行動などをきっかけに、「老害」という言葉がしばしばメディアを賑やかしています。
最近では、経済学者の成田悠輔氏による「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」という発言が、炎上しました。
また東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は、「女性の多い会議は時間が長い」など女性蔑視とも取れる発言の批判に対し、「老害、粗大ごみなら掃いてもらえれば」と答えたのも記憶に新しいところです。
このように、高齢者が原因となり何らかの形で社会に悪影響を及ぼすと考えられる場合に、「老害」という言葉が使われるケースが多いようです。
一般に、「老害」という用語が使われるのは、以下のような場合です。
・高齢者が政治や経済の場で権力を保持し続けることへの批判として
・高齢者の問題行動に対する批判的表現として
・高齢者の自己中心的な行動や発言に対して
しかし、高齢者サイドに何らかの原因があるにしても、「老害」の"害"には、極めて毒に満ちた悪意のニュアンスが含まれています。
「老害」という言葉の起源
「老害」という言葉がいつ頃から使われ始めたのか、はっきりとはしません。新聞データベースで見ると、以下のような記事が見つかりました。おそらく1970年代後半から使われ始めたものと思われます。
- 「実力者たちは総退場せよ-老害が政治をダメにする(ロッキード疑獄特集) / [談]渡辺 美智雄」(1976.12.24 朝日ジャーナル)
- 「経営者の若返りは時代のすう勢-目立つ“老害”経営者」(1981.02.01 実業界)
- 「あなたの会社を蝕む七つの”老害” / 森山 隆志」(1982.03.01 文芸春秋)
おそらく1970年代に社会問題化し、一般名詞となった「公害」という言葉をもじって「老害」という表現がこの時期発明され広がっていったのだと思われます。
「老害」と「エイジズム」
「老害」は、日本特有の表現で、米国にはそれに当たる言葉はありません。しかし、近い表現として「エイジズム(Ageism)」という言葉があります。
エイジズムを初めて提唱したのは、米国の精神学者であるロバート・N・バトラー(Robert N.Butler)氏です。1969年に彼はこの用語を使い始め、高齢者が社会の中で差別される現象に対し、エイジズムを「人が年を取ることに対する偏見や、高齢者に対する固定観念や差別行為」として定義しました。
以下のような要因が、「エイジズム」として考えられています。
・年齢に基づく偏見・固定観念:年齢に基づいて、特定の能力や行動が決まっているとする先入観。たとえば、「高齢者は新しい技術に対応できない」といったステレオタイプ。
・年齢による差別:年齢を理由に不平等な扱いを受けること。たとえば、年齢が理由で雇用機会が制限されたり、重要な社会的決定から排除されたりすること。
・社会的疎外:高齢者が年齢を理由に、社会的な参加を妨げられたり、孤立させられたりすること。
バトラーはレイシズム(人種差別)やセクシズム(性差別)と同様に、エイジズムも解消されるべき偏見であるとしました。
「老害」という言葉に潜む「エイジズム」
この観点から見れば、「老害」という言葉自体に高齢者に対する偏見や差別を助長する可能性があり、慎重に使われるべきです。
確かに高齢期になれば、認知機能の衰えや運動能力の低下による問題行動(例えば車の逆走など)が発生したり、長年にわたる価値観の固着化により時代の変化についていけないことなどが起こりうる可能性があります。
しかし、こうした場合でも、簡単に「老害」という一言で片付けてしまうのではなく、なぜそうした問題が起こってしまうのか、その背景には何があるのか。そして、その問題を除去するためには、どのようなアクションが必要となるのか、要因分析をきちんと行った上で解消していくための努力が必要です。
人の多様性を重視するダイバーシティの観点や、SDGsの視点からも、世代間対立を煽り高齢者を差別する「エイジズム」を排除し、他の世代の人々と共に尊重し合い、お互いの能力を発揮できるような社会の構築が必要とされています。