ソン・フンミンが初登場の日本の地で示したリスペクト 「ヴィッセル神戸はいまリーグで4位ですよね?」
何が知りたかったのか、というとこの韓国出身のグローバルスターが日本でどんな雰囲気で話をするのか、ということだった。実は今回がキャリアで初めて日本のピッチでのプレーを披露する機会だったのだ。
27日、国立競技場にてヴィッセル神戸と「Jリーグワールドチャレンジ」を戦ったトッテナム(イングランド)のキャプテン、ソン・フンミンのことだ。
韓国代表での彼の姿を目にしてきた。まあ喋る喋る。チームの調子が悪いときには強い口調で反論することもある。2018年ワールドカップ直前のチームの不調時に筆者から「(韓国代表の)国内組、海外組が…」と質問を投げると「そんなものありませんよ。同じ大韓民国の代表なのに」と返されたことがあった。そうやってでも真摯に話そうとする。
2019年10月にはカタールワールドカップ2次予選のスリランカ戦(@韓国/8-0で勝利)の後、すべての韓国メディアと取材エリアでの話を終えた後、「南ドイツ新聞」の記者がドイツ語で質問することがあった。明らかにチームバスが出発を待っている状況だったが…ソン・フンミンは話す話す…大韓サッカー協会スタッフが腕時計を何度もチラチラ見る姿が印象的だった。
そんな彼が、日本の地でどう振る舞うのか。
記録上で見る限り、「縁のない地」なのだ。2021年には韓国代表として日本のピッチに立つ機会を2度逸した。ユース時代の記録を振り返っても日本でのプレー記録はない。韓国メディアでは今年の2月に行われたカタールアジアカップ前には「ソン・フンミンが出場する韓日戦はどういったものになるのか」といったプレビューも多く行われていたほどだ。
事実、日本のピッチでのプレーどころか日韓戦の出場記録もわずかなもので、それは2011年1月25日にまで遡る。同じくカタールにて行われたアジアカップ準決勝で、82分に途中交代で投入された。彼の象徴である背番号「7」はまだパク・チソンのもので、「11」を背負っての出場だった。1992年生まれのソン・フンミンが18歳だった頃だ。
厳格なクラブの広報の傍らで…
27日の国立競技場での試合では3-4-3の左ウイングとして57分プレーした。試合の序盤はボールタッチの機会がなかなか訪れず、タッチライン際でチームメイトに対して両手を広げるようなシーンもあったものの、その後、徐々にパスが回ってくると右足を使ってカットインしつつ、一気にゴール前に入っていくプレーを見せ始める。
一方35分には左足で決定機を生み出す。逆サイドで速い球足で届く、低弾道のボールを送ったがこれは味方が合わせられず。その後、後半開始早々の49分には右サイドからゴール前を横切るボールを逆サイドで余裕をもって合わせ、ネットを揺らせてみせた。ゲームはトッテナムの3-2の勝利で終わった。
試合後、ソン・フンミンに話を聞こうと取材エリアで待った。あまりいい状況ではなかった。ロンドンのクラブの広報担当は厳格なようで、選手が現れる直前に取材エリアの選手の導線の変更を主催者側に要請していた。あまりゆったりとは話が聞けそうにない。また、日本メディアのトッテナムの中での第一ターゲットはソン・フンミンのようで、圧倒的に多くの記者が彼にレコーダーを向けていた。
全選手の5~6番目くらいだっただろうか。ソン・フンミンが取材エリアに姿を表した。こちらからは韓国語で「ソン・フンミン選手~(韓国語だと”ソヌンミン”に近い発音になる)」と手を振りながら声をかける。まずは彼の足を止めなければならない。
ところが、当の本人はまったく気負ったところもなく、傍らで時間管理するトッテナムの広報担当を気に掛けるでもなく、質問に答えていった。
―今日はあなたを応援し、声援を送る大勢の観客がいましたが、どのように感じましたか?
「素晴らしかったです。チーム(プレーヤー)として初めて日本に来ました。素晴らしい経験で、施設も素晴らしかったです。この素晴らしい経験に感謝したいと思います」
―日本の観客がチームのためにチャントを歌っているのを聞いて、どのように感じましたか?
「これもまた素晴らしい経験でした。日本のファンがこれほど私たちを応援してくれるとは予想していませんでした。今日、世界の反対側(イギリスから遠い地にある日本)からこれほど多くのファンが応援してくれていることを実感しました。選手として、人間として、ファンの皆さんを幸せにするためにもっと責任を持つ必要があります」
―対戦相手の神戸については?
「はい、非常に厳しい試合でした。自分自身は、Jリーグにも、Kリーグにも、すべてのアジアリーグにも非常に興味を持って見ています。神戸はリーグで好調ですね。4位にいて。友人の一人が神戸でプレーしています。今日、彼らは本当に、本当に競争力がありました。良い戦いでした。チームにとっては、コンディションを上げていくこと、新しいチームが試合の経験を重ねていくことにおいて、素晴らしく、厳しい試合でした。神戸に感謝したいと思います。すべてを出し切ってくれました。シーズン中に(公式戦ではない試合で)すべてを出し切るのは簡単ではないことは分かっていますが、今日彼らは一生懸命頑張ってくれました。このことに感謝したいと思います」
筆者からも2つほど質問をした。まず一つ目はこの点から。
―日本食は食べましたか?
なんでこれを聞いたのかと言うと、2019年10月の韓国代表招集時の彼の言葉をよく覚えていたからだ。カタールW杯アジア2次予選でのアウェー北朝鮮戦を控えた折、韓国メディアからこんな質問が飛んだ。
―平壌で食べたいものはありますか?
ソン・フンミンは表情を崩さずこう答えた。
「サッカーの試合をしに行くのです。そんなことは考えません」
これがすごく印象に残っており、日本に彼が来ることがあるなら聞きたいなと思っていた。日本での緊張感あるいはリラックス具合が分かるだろう、と。かくして、2024年7月27日のソン・フンミンの答えはこうだった。
「ホテルで素晴らしい寿司を食べました。素晴らしい寿司を持ってきてくれたんです。チームの全員が好んでいました。明らかに。はい、日本食を信じられないほどみんな楽しみましたね。私も大好きで、お気に入りの食べ物の一つです。この素晴らしい経験と素晴らしい食事に感謝します」
数年前にプライベートで日本に来た
もうひとつ聞きたいことがあった。2021年3月の横浜での日韓戦のことだ。本人は日本で試合をしたがっていた、と韓国では報じられていた。本人はここでも思った以上に詳細を口にした。
―2021年に二度、日本でプレーする予定でしたが、2回とも逃しましたね。初めて日本に来てどうでしたか?
「はい、数年前に休暇で日本に来たことはあるんです。でも、チームと一緒に来るのは明らかに違います。東京オリンピックには(韓国代表のオーバーエイジ枠で)参加したかったのですが、いくつかの状況で来ることができませんでした※。また、数年前(2021年3月の日韓戦@横浜)に日本で日本と対戦した時も怪我をしていて来られませんでした。でも、今回ここに来てファンからの愛を感じることができて良かったです。素晴らしかったです。もう一度ここに来て、また素晴らしい経験ができる機会があればいいなと思います」
※当時のキム・ハクボム監督自らトッテナム側と交渉し、招集の合意を得ていたがキム監督がソンの過密スケジュールを心配。「韓国サッカーの至宝を壊してはならない」と結局は招集を見送った。
最後に、メディア側からこういった質問もあった。
―武藤(嘉紀)選手とユニフォームを交換しました
「はい、彼のことが大好きです。日本人選手全員を尊敬しています。多くの選手と対戦しましたが、残念なことに日本人選手と一緒にプレーしたことはありません。彼らの施設と能力は素晴らしいです。武藤は数年間ニューキャッスルにいて、ドイツでも素晴らしい活躍をしてきたと思います。彼と話ができて良かったです。常に彼をリスペクトしていますし、以前プレミアリーグで対戦した後にも少し話をしましたが、今回また会えて良かったです。シャツを交換するのは常に良い経験で、昔の思い出を呼び起こします。彼に会えて本当に良かったです。彼の成功を祈っています」
真摯によく喋る。その姿もまたスゴかった。彼が若き日を過ごしたドイツは「プロサッカー選手はパブリックに支えられており、選手がメディアに喋らないなんてありえない」という雰囲気があるというが、それにしてもよく喋る。それは「プレミアにいる韓国人選手」の枠ではなく完全なグローバルスターとしての振る舞いだった。縁が薄かった日本への関心・リスペクト・感謝もかなりはっきりと示したのだった。
(了)