女子プロレスラー 乳がんステージIVからの挑戦〈前編〉
〈医師からの告知で心に浮かんだ「やっぱりか」〉
フリーの女子プロレスラー、亜利弥`(ありや・42)が、専門病院で乳がんの告知を受けたのは、2015年2月2日のことだった。進行の度合いは「ステージIV」だという。
驚くこともなく、涙も出なかった。心に浮かんだのは「やっぱりか」の一言だった。
この診察の前年、胸にしこりを覚えた亜利弥`は検診を受けている。「異常なし」の結果に安どしたものの、違和感が消えることはなく、痛みはむしろ増していた。寝技のスパーリングでは、胸に相手のヒジが当たっただけで激痛が走り、ギブアップしてしまうほどだった。
「このままでは、まともな練習ができない」
専門の病院を探し、再度検診した結果が「ステージIV」だった。
「急を要する」という医師の判断に従い、告知から3日後、乳房温存手術を受けた。診断通り、がんはリンパ節や肺に転移していた。日帰り手術からの帰り道、初めて泣いた。付き添いもなく一人だったから、誰に気を遣うこともない。号泣しながら歩き続けた。
〈がんと闘うアスリートの存在に奮い立つ〉
「こんなことで壊れちゃいけない」
心を持ち直したのは、手術から3日めのことだった。
丸2日間、眠れぬままにネットでがんの症状や治療法を検索し続けた。その作業のなか、
悪性リンパ腫と闘う同業の垣原賢人や、肺がんと闘いながらピッチに立つFリーグ・湘南ベルナーレの久光重貴らの存在を知り、奮い立つものを感じたのだった。
「そうだよな。がんだからって、プロレスをやめる必要はないんだよな」
医師から勧められた抗がん剤治療や放射線治療を固辞し、食事などに配慮しながらの無治療に賭けた。
トレーニングをすぐに再開したものの、体力の低下はいかんともしがたい。容赦のない痛みもたびたび襲い、数歩、歩いただけで痛みにうずくまる時もあった。この夏、2試合に出場したが、やはり激痛に苦しんだ。
「リングには強くて選ばれし者、健康な者だけが上がれる。私も、しっかりがんを克服してから上がろう」
秋からは、痛みをやわらげる緩和ケアを採り入れた。激痛からは解放される時間も増えたが、熟練の医師が驚くほどがんの進行は早く、回復の兆しは見えそうになかった。
〈幼なじみの一言で復帰を決意〉
和歌山に暮らす母親には、病気のことを伝えていなかった。言えば取り乱すことは分かっていた。リング上でも、プライベートでも、人に暗い顔を見せることが苦手だから、病状を口外することもほとんどなかった。「つらい、つらいと言ったら終わり」と自分に言い聞かせていた。
フェイスブックにふと、現状をつぶやいてみたのは、闘病のつらさやこの先の不安が、もはや一人では抱えきれないほど膨らんだ、11月のことだった。
ほどなく、反応があった。
「協力できることがあれば、何でもするよ」
プロレスラー、田中将斗(ZERO1・42)からのものだった。
同じ和歌山出身の田中は、小学校時代のクラスメートでもある。「私は物心ついた時からプロレスラーになりたかった。だから私のほうが目指したのは先だよ」「いや、俺のが先だよ」会えば、いつも言い争う、同郷同業の仲間だった。
田中の申し出に、秘めていた思いが不思議なほど躊躇なく口をついて出た。
「本当に何でもしてくれる? じゃあ、一緒に試合してよ」
「いいよ」田中も即答だった。
『亜利弥’デビュー20周年記念大会To Live~Wonderful Friends~』
日時:2016年1月8日(金)
開場:18:30 開始:19:00
会場:東京・新木場1stRING
〈試合カード〉
■メインイベント 亜利弥’20周年記念試合 30分1本勝負
ストリートファイトシックスメンタッグ・亜利弥'スペシャルデスマッチルール
大仁田厚&ダンプ松本&ミス・モンゴルvs田中将斗&菊タロー&亜利弥’
■タッグマッチ 30分1本勝負
怨霊&関本大介vs葛西純&岡林裕二
■タッグマッチ 30分1本勝負
バラモンシュウ&バラモンケイvs宮本裕向&竹田誠志
■タッグマッチ 30分1本勝負
ジャガー横田&ドレイク森松vs藪下めぐみ&賀川照子
■タッグマッチ 30分1本勝負
佐野直&神威&田村和宏vs鈴木鼓太郎&木藤裕次&兼平大介
■邪道軍提供試合 タッグマッチ 30分1本勝負
雷神矢口&ピエロ&雷電vs保坂秀樹&パンディータ&ウルトラセブン
※18時45分より久光重貴さんと上林愛貴(ミス・モンゴル)、亜利弥'にて癌についてのトークショーを予定(久光さんは体調により参加は当日決定)
<お問合せ>
亜利弥事務局
070-6408-5078