ミセスコンテスト日本大会で特別賞!男になった元・女子キックボクサーが“世界”でも伝えたいこと
女性の生き方や内面の美しさにフォーカスしたコンテスト『Mrs of the Year(ミセス・オブ・ザ・イヤー)』のジャパンファイナル日本大会で特別賞を受賞した、元キックボクサーの齋藤歩夢さん(37)=横浜市出身、在住=が、横浜市の斎藤達也市議を表敬訪問し、「トランスジェンダーのスポーツ参加」に対する自身の思いを伝えた。
2020年から毎年開催されているミセス・オブ・ザ・イヤーは、「エイジレス、ジェンダーレス、ボーダーレス」を標榜し、多様な生き方や人生にストーリーを持つ男女をたたえる祭典として知られる。今年は全国47都道府県の地方大会から選出された282名が日本大会に進出。11月に東京・新宿住友ビル三角広場で開催された日本大会のステージに立った。
神奈川代表の1人として出場した齋藤さんは、16年前に性別適合手術を受けたトランスジェンダー男性だ。13歳からキックボクシングを始め、15歳で本名の「愛弓(あゆみ)」をリングネームに“女子キックボクサー”としてプロデビュー。キックと並行して総合格闘技にも挑戦した。
リングを離れた翌年の2008年に性別適合手術を受け、22歳で戸籍を男性に変更。現在は「齋藤歩夢(あゆむ)」として横浜市中区でパートナーとタイ料理店を営むかたわら、被災地ボランティアの活動なども行っている。
コンテスト挑戦は「自分自身への興味」が発端だった。「幼少期から自分を女性と認識したことがない。どうせやるなら、女性らしい自分を作ってみるのも面白いかもしれない」。持ち前のチャレンジ精神がうずき、床を引きずるロングドレスと18センチのヒールに悪戦苦闘しながら、ランウェイを歩いた。
9月の神奈川大会で審査員特別賞を受賞。「女性らしい自分に出会う」という当初の目的を果たし、挑戦はこれで終わりと決めたが、神奈川大会主催者とのディスカッションを通して「後世に繋ぐ」という新たな意義を見出し、日本大会への出場を決めた。
「自分自身、もう一度キックボクシングの試合に挑みたいという思いはあるけど、トランスジェンダーが戦うリングは、現状ではない。同じように、トランスジェンダーの子ども達のなかには、才能があり勝つために努力をし続けても、身体的特徴が原因で競技を諦める子がいる。逆に、競技に出るために治療を諦めざるを得ない子もいる。子ども達には大好きなことを続けてもらいたい。そのために、続ける場所を与えてあげたい」
11月に出場した日本大会では、ごく限られたスピーチの秒数に、そうした思いを詰め込んだ。
「私は女性として生まれたトランスジェンダーです。
10代の頃は女子キックボクサーでした。
今、私はスポーツ界にさらなる変化を求めています。
オリンピックを始め、性別を気にせず出場できる大会は現状ほとんどありません。後世のために、スポーツ界に新たなステージと助け合える未来を作りたいです」
このスピーチやウォーキングの所作を評価され、年齢別カテゴリーでエントリーした63名のなか特別賞を獲得。12月7日には、日本大会で入賞した他の神奈川大会代表らと、横浜市緑区の斎藤達也市議事務所を表敬訪問した。
パワーリフティングで過去4度日本を制し、世界大会出場経験も持つ市議との意見交換は、貴重な機会だったという。
「斎藤市議はアスリートのキャリア支援に注力するかたわら『誰一人取り残さない街へ』との政治指針のもと、インクルーシブな街づくりにも取り組んでいらっしゃいます。“スポーツ”や“多様性”という共通項があったので、トランスジェンダーのスポーツ参加についても熱心に話を聞いてくださいました」
日本大会で特別賞を得た齋藤さんには、来夏に開催が予定されている世界大会への出場権も与えられた。
「トランスジェンダー男性である自分のミセスコンテスト出場に、賛否両論あるのは分かっている。でも、それが議論のきっかけになるのであれば、そしてトランスジェンダーの子どもたちの未来に繋がるのであれば、今度は拒まずに、伝えたいことを伝えにいこうと」
自分自身への興味から始まった小さな挑戦は、ヒールの痛みに耐えて一歩ずつ歩むごとに、神奈川から日本、日本から世界へと広がり、歩む意味も「自分のため」から「誰かのため」に変わっていった。