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「パワハラの半分」が労災になるって本当? 最新のデータを現場から読み解く

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(写真:アフロ)

「パワハラの5割は、労災が下りる」って本当?

 精神疾患による労働災害(2023年度)について、厚労省が6月に統計を公表した。精神労災の代表的な原因は、長時間労働、そしてパワーハラスメント(以下、パワハラ)であるが、今回の統計によれば、パワハラによる精神疾患の件数は過去最大に上っている。

 パワハラをめぐる被害について、労災保険の支給・不支給の判断が決定した件数は289件に上っており、そのうち労災保険が支給された、つまり労働災害であると認定された件数は157件と、決定件数(申請に対し認定・不認定を合計した件数)、支給決定件数のいずれも史上最多になっている。

 こうした件数の増加の背景としては、パワハラ行為が日本の職場において依然として横行していることに加え、2022年4月から「パワハラ防止法」によって、全企業に対してパワハラ防止措置が義務付けられ、その影響でパワハラに対する社会的な意識が上昇し、労災を申請する人が増えたものと考えられる。

 申請件数が増えている一方で、パワハラの労災は認められやすいのだろうか? 上記の数値から割り出すと、2023年度のパワハラの「労災認定率」は54.3%となり、半分程度のパワハラ被害が労災として認められているように見える。つまり、この数値を額面通りに受け取ると、パワハラ労災は申請件数や認定件数が増大しているだけではなく、認定の割合もわりと高いということになる。

 しかし、実際のところでは、「パワハラ認定率が5割」は正確ではなく、認定のハードルはもっと高い。というのも、当事者がパワハラ被害を原因と考えて労災を申請したケースのうち、パワハラに関するものとされている289件「以外」に、数百件に及ぶ申請が、労働基準監督署の判断によって、そもそもパワハラという問題の「分類」から除外されてしまったうえで、精神疾患の原因ではないと結論づけられていると考えられるからだ。

 後述するように、多くの被害が「パワハラ」ではなく、「人間関係のトラブル」の問題として処理されてしまっている。要するに、パワハラの被害を訴えながら、パワハラ労災としての「スタートライン」にも立てなかった状態なのである。なぜ、そのようなことが起きているのだろうか?

 本記事では、厚労省の統計を検証しながら、パワハラによる精神疾患が労災として認められづらい現状、そして労災が認定されやすくなるためのポイントを考えていきたい。

パワハラの労災認定基準と心理的負荷

 はじめに、精神疾患の労災における「分類」について解説しておこう。

 厚労省は精神疾患の労災を認定するための基準として、「具体的な出来事」という分類の項目を定めている。「退職を強要された」「違法な行為や不適切な行為等を強要された」「セクシュアルハラスメントを受けた」など約30項目に渡り、個々の被害者が遭遇した被害内容をこれらの項目のどれかに当てはめるのだ。職場で受けた被害の数や種類が多岐に渡っており、複数の「具体的な出来事」に割り振られることも珍しくない。

 次に、割り振られた「具体的な出来事」の項目ごとに「心理的負荷」の程度が「強・中・弱」の三段階で評価される。「強」の評価が一つあれば労災として認められ、二つ以上の「具体的な出来事」において「中」が評価された場合も、合わせて「強」として換算され、労災が認められる。

 パワハラについては「具体的な出来事」のうち、「上司等から、身体的攻撃、精神的攻撃等のパワーハラスメントを受けた」という項目に分類されることになる。この項目において、心理的負荷が「強」と評価される場合として、厚労省は次のケースを挙げている。

(1)上司等から、治療を要する程度の暴行等の身体的攻撃を受けた

(2)上司等から、暴行等の身体的攻撃を反復・継続するなどして執拗に受けた

(3)上司等から、次のような精神的攻撃等を反復・継続するなどして執拗に受けた

 さらに詳細な具体例としては以下のものが示されている。

  • 人格や人間性を否定するような、業務上明らかに必要性がない又は業務の目的を大きく逸脱した精神的攻撃
  • 必要以上に長時間にわたる厳しい叱責、他の労働者の面前における大声での威圧的な叱責など、態様や手段が社会通念に照らして許容される範囲を超える精神的攻撃
  • 無視等の人間関係からの切り離し
  • 業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことを強制する等の過大な要求
  • 業務上の合理性なく仕事を与えない等の過小な要求
  • 私的なことに過度に立ち入る個の侵害・心理的負荷としては「中」程度の身体的攻撃、精神的攻撃等を受けた場合であって、会社に相談しても又は会社がパワーハラスメントがあると把握していても適切な対応がなく、改善がなされなかった

 このどれかに一つでも被害が当てはまると判断されれば、労災が認められる可能性がある。ところが、被害を受けた労働者が自分の被害をパワハラだと考えて労災を申請しても、労基署によって「パワハラ」の枠組みから除外され、別の項目として扱われてしまうケースが多いようなのだ。

 そこで注目されるのが、「上司とのトラブル」という分類である。当人としてはパワハラ被害のはずが、「上司とのトラブル」に分類されてしまうケースが多いということだ。

「業務上の指導」なら、労災認定率はたったの3.5%に?

 精神疾患の労災認定の基準である「具体的な出来事」のうち、一番件数が多いのが「上司とのトラブル」だ。2023年度において、「上司とのトラブル」は、精神疾患の労災が認定・不認定となったすべての被害のうち、598件(約23%)と「具体的な出来事」の1位を占めており、2位の「パワーハラスメント」289件(11%)の倍以上である。

 これは労災認定において「パワハラ」とは区別された「対人関係」の一種として括られ、「仕事をめぐる方針等において明確な対立が生じた」ケースや、「その態様等も含めて業務上必要かつ相当な範囲と評価される指導・叱責等」などを指すという(厚労省「精神障害の労災認定実務要領」による)。

 とはいえ、最初から自分の受けた被害を「上司とのトラブル」だと考えて、労災を申請する人は少ないだろう。むしろ、上司の言動で精神疾患を発症した被害者が「私はパワハラを受けた」と認識していたところ、労基署が「仕事の方針をめぐる対立」や、「業務上必要な指導・叱責」と判断してしまい、パワハラの問題としては扱われず、人間関係上の「トラブル」として処理されてしまうケースが多いと推測される。

 そうなると、労災認定の認定率は大幅に低下してしまう。「上司とのトラブル」が労災認定されたのは、認定・不認定598件のうち、たったの3.5%(21件)である。96,5%(577件)もの被害が、労災として認められていない。ここに分類された時点で、労災認定は非常に困難になってしまうといえよう。

「バカ」と罵倒されたのに、証拠がないから「トラブル」扱い?

 ハラスメントによる労災申請を支援し、企業の責任を社会的に告発している労働組合「総合サポートユニオン」には、まさにこの典型のような事例が寄せられるという。

 ある有名企業において、社長による罵倒を繰り返し受けて、うつ病を発症して休職した女性の事件を紹介しよう。彼女が社長から執拗な叱責を繰り返し受けたことは労基署から事実として認められた。ところが、労基署からは「上司とのトラブル」として処理されてしまい、心理的負荷も「中」にとどまり、その被害のみでは労災が認められない状態だったという。厚労省の基準によると、「上司とのトラブル」の心理的負荷の判断では、「上司から、業務指導の範囲内である強い指導・叱責を受けた」ことは心理的負荷を「中」と評価されることになっており、「強」としてはカウントされないのだ。

 彼女は、実際には「バカ」などの人格・人間性を否定するような言葉を繰り返し浴びせられており、労基署にも詳しく説明したのだが、録音の証拠はなかった。一方で会社側は、社長はそのような表現は使っておらず、あくまで業務上の叱責に過ぎないと主張しており、その主張が労基署に採用されてしまったかたちだった。

 結果的にこの労働者は、「パワハラ」や「上司とのトラブル」以外にも精神手系疾患を発症する業務上の被害があり「具体的な出来事」による「中」の評価がほかにも一つ認められたため、「中」が二つで心理的負荷を「強」と評価され、総合的な判断によって、かろうじて労災じたいは認定された。

 今回のケースでは辛くもと労災が認められているが、証拠がないことによって、本来はパワハラであるはずの被害が「パワハラ」ではなく「上司とのトラブル」に分類されてしまい、その「上司とのトラブル」だけでは労災にはならないケースは多い。このようなパターンが、「上司とのトラブル」として扱われた600件近くの事例の多くを占めていると考えられるのだ。

パワハラ被害を労災として認めさせるポイントは?

 厚労省の労災認定基準によれば、業務上の指導であっても「人格や人間性を否定」するような言動で行われたり、社会通念に照らして許容される範囲を超えたりしていれば、労災認定の基準において「パワハラ」に該当する。これらの被害の事実を証明することが、「人間関係のトラブル」ではなく、パワハラ労災としての「スタートライン」に立つためのポイントになってくる。

 では、どのようにそれを証明できるのだろうか。具体的には、パワハラの加害者の言動の証拠を集めることが非常に重要だ。音声の録音や行動を写した映像、メールやSNS、チャットなどの記録、同僚の証言などがあると望ましい。

 もし、いまパワハラ行為を受けている最中であれば、もちろん精神的なダメージをこれ以上深刻化させないことが優先だが、このような証拠をできるだけ残すことを強くお勧めしたい。

 しかし、こうした証拠を実際にどのように集めるのか、被害が「パワハラ」に分類されたとしても、その行為が精神疾患の発症につながったことをどのように証明するのか、またハラスメントについて企業の責任をどのように追及するのかなど、労働者個人で考えることには限界がある。

 深刻な被害に遭っている方は、労働問題を専門とする弁護士や、ハラスメントの告発を行っている労働組合などに相談してみると良いだろう。

おわりに

 本記事で見てきたように、パワーハラスメントの労災認定には今日でも厳しい壁があることが、認定の「内実」にまで分け入って統計データを読み込むことで、はじめて明らかになった。

 パワハラが社会問題となり、法制度も整備も進む中で、実際には「パワハラ労災」の枠組みにも入れてもらえずに、救済されていない労働者が多数に上っている恐れがある。

 今後、パワーハラスメント被害者の救済をどのように拡充するのか。労災認定における杓子定規的な対応を超えるための、実質的な社会政策論が求められているのではないだろうか。

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NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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