Yahoo!ニュース

「見たい」と「見せたい」のバランスが絶妙だった「紅白歌合戦」

碓井広義メディア文化評論家

2015年の「紅白」は、正体不明の音楽バラエティ!?

前回、2015年のNHK「紅白歌合戦」で目立ったのは、内外のヒットコンテンツの援用だった。民放各局のヒットアニメのテーマ曲が、その映像と共に流された。映画「スター・ウオーズ」の人気キャラクターも登場した。しかし、いずれも演出が凡庸で、サプライズ感も有難味も弱かった。

また、「紅白」では珍しくない、ディズニーのショーも披露された。ミッキーのキレのいいダンスは見事だったが、年始客獲得を狙う東京ディズニーランドのプロモーションにしか見えなかった。さらに吉永小百合も登場したが、主演映画「母と暮せば」の宣伝とのバーター感が強く、がっかりさせられた。

全体として、1年を締めくくる音楽番組というより、正体不明の音楽バラエティという印象だった。

「見たい」と「見せたい」のバランスが絶妙だった2016年

今回は、バラエティ要素にも工夫があった。映画『君の名は。』や『シン・ゴジラ』、ドラマ『逃げ恥』、さらに『PPAP』など、2016年のポピュラーカルチャーを反映したものだという点で、音楽で1年を振り返るという、「紅白」本来の趣旨にも合致していた。

視聴者側には、「こういうものが見たい」という願望がある、つまり「紅白」には「求められているもの」がある。また制作陣には、「こういうものを見せたい」という意志、つまり「創りたいもの」がある。

ひとことで言えば、この「見たいもの=求められているもの」と「見せたいもの=創りたいもの」のバランスが絶妙だったのだ。

たとえば、楽曲とリンクした「ミニ・ドキュメンタリー」とでも呼べるVTRが、いくつか流された。

ゆずの「見上げてごらん夜の星を ~ぼくらのうた~」は、昨年7月に亡くなった永六輔さんが作詞した名曲に、新たな詩とメロディーを加えたものだ。ゆずは、永さんの“親友”である黒柳徹子さんを訪ね、永さんとこの曲について話を聞いていた。

桐谷健太は、奄美大島の小学校や東日本大震災の被災地である石巻市を訪問。その上で、全国各地から集まった歌声と共に、「海の声」を歌い上げた。また、氷川きよしが「白雲の城」を歌った生中継先は、昨年4月の熊本地震で被災した熊本城だった。

司会の有村架純は、昨年夏の台風で大きな被害を受けた岩手県久慈市に行き、復旧活動のボランティアを行ってきた地元の中学生たちと交流していた。同じく司会の相葉雅紀は、1964年の東京オリンピックで、金メダル第1号となった重量挙げの三宅義信さんにインタビュー。昨年がオリンピックイヤーだったこと、また4年後には東京がその舞台となることを思わせた。

これらの「ミニ・ドキュメンタリー」は、短いながらも内容が充実していた。しかも押しつけがましさが希薄だった。オーバーに言えば、「紅白」は見るけど、「NHKスペシャル」や「ETV特集」などはあまり見ないという視聴者にも、2016年がどんな年だったのかを、テレビを通じて再認識させてくれたのだ。

見たことのない「4つのカット」

さらに、映像的に高く評価したい「演出」が、少なくとも4つあった。

まず、郷ひろみと土屋太鳳のダンスのコラボだ。曲の終盤、大サビ以降の50秒間を、「手持ちのワンカット」で押し通した。カメラは2人を追って、ステージ上を自在に動き回った。歌詞やダンスが表現するものを、最大限効果的に見せるための見事なカメラワークだった。

次が、松田聖子とX JAPANのYOSHIKIがコラボしたシーンだ。その2カット目で、ピアノを弾くYOSHIKIの手の向こうに、会場の上段に立つ聖子が見えた。また、エンディング近くでは、逆に聖子の背中側にカメラが回り込んで、聖子越しのYOSHIKIを捉えていた。メインステージの他に歌う場所を設置したことで、画面空間に奥行きが生まれ、それを生かした映像設計がしっかりと行われていたのだ。

3番目は、THE YELLOW MONKEYの「JAM」である。「外国で飛行機が墜ちました/ニュースキャスターは嬉しそうに「乗客に日本人はいませんでした」(中略)僕は何を思えばいいんだろう」といった歌詞が印象深い。発表されたのは96年。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件があった翌年だ。20年の時を経て、今の時代に、この曲が「紅白」で歌われることの意味は大きい。ステージは濃いブルーで統一された照明で、テレビ画面で「歌詞」が鮮明に読み取れる。メッセージ性の高いこの曲にふさわしい映像だった。

最後は、「2017年、皆さんの夢が叶いますように」と言って歌った、司会の相葉を含む嵐のメドレーだ。2曲目の「Happiness」から、3曲目の「One Love」に移る際の、ステージの美しさが群を抜いていた。荘厳なステンドグラス風から、巨大な緑の樹と青空という明るい背景へ。さらに、他の出演者も登場して、アーティスト越しの観客を見せた。いわば観客との一体感を示す映像だ。その観客には、テレビを通じて見ている多くの視聴者も含まれている。

トリを飾った嵐のステージを見ていて、シンプルだが、「世代交代」という言葉が浮かんだ。それは音楽的にも、それ以外のジャンルでも、同じ12月31日で解散となったSMAPの、かなりの部分を継承していくのは嵐なんだろうなあ、という感慨でもある。

今後の「紅白歌合戦」

音楽に対する趣味・嗜好も多様化し、過去のように、単なる大型音楽番組を目指していけばいい時代ではない。また、昨年までのように、中途半端なバラエティ番組にしてしまうのは、あまりに惜しい。

そんな中で今回の「紅白」は、「見たいもの」と「見せたいもの」のバランスを巧みに保ちながら、「ショー」としての成熟度・洗練度を増していた。おそらく、この方向性の延長に今後の「紅白」があるのだろう。特に、これからの数年は一種の改革期間であり、出場歌手の顔触れも、楽曲の見せ方も、まだまだ大きく変わっていくはずだ。その第1歩として、2016年の「紅白歌合戦」を高く評価したい。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

碓井広義の最近の記事