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17歳、トランスジェンダー。彼女は自分らしい名前で学校に通いたかった。『私はヴァレンティナ』

杉谷伸子映画ライター

ただ自分であること。

望んでいるのは、それだけ。

17歳のトランスジェンダーの少女が、転校を機に出生届にある「ラウル」ではなく通称名「ヴァレンティナ」で通学するために、さまざまな壁に立ち向かっていく。

自身もトランスジェンダーであるティエッサ・ウィンバックがタイトルロールを演じている『私はヴァレンティナ』(原題:VALENTINA)は、同性婚が認められているなど、LGBTQの権利保障に前向きなブラジルが舞台。トランスジェンダーの学生への支援がなされながらもまだまだ偏見が残る現実を浮き彫りにしつつも、未来への希望や前へ進む勇気をくれる快作だ。

作品のタイトルが大きな意味を持つラストシーンがまたその感動を深めてくれる。

「実は、最初はあのラストシーンの後にもう一つシーンがあったんです。ヴァレンティナが親友の2人と普通に会話をする。でも、それだとインパクトが弱くなるのでカットしたんです」

そう教えてくれたのはカッシオ・ペレイラ・ドス・サントス監督。SNSを通して広く候補を募り、選ばれたティエッサは、すでにYouTuberとして活躍中だったとはいえ、これが映画初出演だ。

新しい学校に通称で通うためには、連絡が取れなくなっている父親の署名が必要だった。
新しい学校に通称で通うためには、連絡が取れなくなっている父親の署名が必要だった。

「ティエッサは私たちが得た大発見。製作側としてはこの役柄に思春期の女の子に見えるトランスの女の子を見つけることが大切でした。彼女は脚本に書かれていることの多くが自分の生活ととても通じるところがあると言ってくれましたし、ヴァレンティナにも最初からすごく共感してくれました」

有益な意見も出してくれたそう。

「たとえば、ヴァレンティナが学校へ行く用意をしているときに自分の体を見るシーンがあります。体を見るというのは、自分をアクセプトするということ。でも、あまりそこに重点を置くのではなく、ヴァレンティナと学校や友人、社会全体との関係をもっと力強く描いた方がいいんじゃないのかと。というのも、トランスの人たちと話をしていると体についての話はよく出てくるわけです。そこにフォーカスすることはよくあるので、そうではない描き方をしてはどうかと。会話をもっと砕けた若い感じにした方がいいんじゃないかというサジェスチョンもくれました」

結果、ヴァレンティナと新しい学校でできる友人たちとの絆や、ヴァレンティナを支える母親や別れて暮らす父親との関係性も重層的に描かれ、青春映画としても家族の物語としてもいっそう深みのある作品に。

補習授業を受けながら正式な転入に備えるなか、妊娠中のアマンダ、ゲイのジュリオら、新しい友人に恵まれるが…。
補習授業を受けながら正式な転入に備えるなか、妊娠中のアマンダ、ゲイのジュリオら、新しい友人に恵まれるが…。

映画は知らないことを教えてくれるものでもある。これが長編デビュー作のドス・サントス監督が作品のためのリサーチ中に、トランスジェンダーの82%がドロップアウトしている現実を知って衝撃を受けたのが本作誕生のきっかけだ。私たちもブラジルでは通称名で通学することができるなど、トランスジェンダーの学生を支援するさまざまな制度があることに驚かされる。

法律はできても

社会はまだまだ変わっていない。

「法律が改正されて、学生簿に通称名を登録することができ、通称名で通学できるようになったのは2018年。まだ新しいこともあって、当事者のトランス本人も保護者や関係者もこの法律を知らないことも随分ありますし、通称名での通学を保護者が望んでも学校側が拒否することもいまだにある。 法律はあるけれどもまだまだブラジルの人々の考え方は変わっていない。変わっていくためにもこの制度を知ってもらおうと作品に取り入れました」

サン・パウロ国際映画祭観客賞・審査員特別賞をはじめ、60以上の映画祭に招待され、23に及ぶ賞を受賞するなど、たくさんの支持を集めている。コロナ禍でサン・パウロ国際映画祭での上映やブラジルでの公開もオンラインとなったが、嬉しい反応が続々届いた。

偏見による嫌がらせを受けても、母マルシアはヴァレンティナを支えようとする。
偏見による嫌がらせを受けても、母マルシアはヴァレンティナを支えようとする。

「劇場で観客の反応を見ることができなかったのは監督としてすごく残念なんですが、その代わりにSNSでたくさんの反響をもらいました。熱烈に支持してもらっているのを感じます。

メッセージを送ってくれる人たちには、トランスに限らずLGBTQの人たちなどいろんな人がいるんですが、“お父さんお母さんに見せました”“おじいさんおばあさんにも見せました”というのがある。つまり、“これを観て、考え方を変えてくれないかな”という感じで観てもらったと」

『私はヴァレンティナ』観なかったの?

通称名で大丈夫なのよ。

例えば、自分のおじいさんに観てもらったという人からのメッセージには、“おじいさんはこの映画を観てからトランスフォビックなジョークを言うのをやめました”とありました。それは本当に嬉しい。

サン・パウロのトランスの学生さんからは、地下鉄の窓口でのエピソードが。地下鉄のパスに記されている出生届の名前を言うのがすごく恥ずかしかったんだけども、しょうがないのでその名前を言ったそうです。すると、その窓口の担当者である中年女性は、“なるほど、あなたはトランスなのね。『私はヴァレンティナ』観なかったの? 通称名で大丈夫なのよ”と言ってくれたと。そのメッセージを受け取って、私たちは“ああ、もっと映画を撮っていきたいな”と励みになりました」

親友のジュリオやアマンダにも自身がトランスジェンダーであることは伏せていたヴァレンティナだが…。
親友のジュリオやアマンダにも自身がトランスジェンダーであることは伏せていたヴァレンティナだが…。

トランスジェンダーの若者が自分の祖父からトランスフォビックな言葉を向けられていたというのは、かなり辛いことだろう。

「そうなんです。でも、実際にはトランスの若い子たちが家族からトランスフォビックなことを聞かされるのは非常に多い。つまり、家族にちゃんとアクセプトされていない人たちが多い。家から追い出されたという話もよく聞きます。 ヴァレンティナの場合は、母親が強い味方で彼女のために戦うし、彼女の側にいますが、ヴァレンティナはむしろ例外と考えていい。実際には多くの子供たちは身近に支援者がいるわけではありません。この映画は希望を描いていますが、ブラジルの現実はまだまだトランスフォビックということです」

ヴァレンティナがホルモン剤をちゃんと服用しているか、母親が確認するシーンもある。ブラジルではトランスジェンダーの10代にとっては、これは一般的なのだろうか?

「ブラジルの現政権は非常に保守的で大統領も反LGBTQですが、トランスジェンダーの人々に対する医療的・心理的な支援を無料で行う公共医療システムが数年前からあります。自分がトランスジェンダーではないかと感じた子供が相談に行くと今後の希望を聞いてくれたり、内分泌系の働きを調べて今後の相談に乗ってくれたりする。もちろん、一定の年齢になる前の思春期の子供の場合は保護者の承諾が必要ですし、ホルモン剤をそのまま投与することはできないことになっている。でも、例えば女の子になりたいというトランスジェンダーの女の子の場合は、10歳11歳だったらホルモン剤は出しませんが、医師の監督下で二次性徴を遅らせるためのホルモン抑制剤を出すわけですね。 で、15〜17歳ぐらいになったときに、ホルモン剤は改めて処方する。そういった形になってると思います」

カッシオ・ペレイラ・ドス・サントス:1980年生まれ。ブラジリア大学で映画を専攻。卒業後に『秘密の学校』('08)、『マリーナの海』('14)など8本の短編映画を手掛けてきた。
カッシオ・ペレイラ・ドス・サントス:1980年生まれ。ブラジリア大学で映画を専攻。卒業後に『秘密の学校』('08)、『マリーナの海』('14)など8本の短編映画を手掛けてきた。

映画やメディアのポジティブなメッセージは

LGBTQの若者の力になる

監督自身はゲイで、そもそも長編第1作には監督自身の現実に近い2人の男性の恋愛に関する物語を考えていたそう。ブラジルでは2013年から同性婚が認められているが、やはり少年時代に辛い思いをしたことも。

「田舎町で暮らしていたのもあって相当辛い時期がありました。ブラジルは全体的にホモフォピックなんですね。なので、私自身はブラジル全体が自分に対して敵対的と感じていました。人々がホモフォビックなジョークを口にするのは当たり前の光景。つまり、LGBTQは間違っているというシグナルを送られてしまうわけです。それが内面的な葛藤に繋がりますし、特に若いときはその葛藤が強くなる。

でも、本を読んだり映画を観たりするとその考え方が変わる。本や映画がメッセージを発することで社会の考え方を変えていってほしいと考えています。私が思春期だった90年代に比べて、今はメディアや映画やテキストがLGBTQに対してポジティブなメッセージを送ってくるようになった。これはLGBTQの若い人たちにとって自分自身を受け入れるうえで非常に大きな力になる。自分自身を受け入れるのは、人生の中で非常に重要なこと。これができれば、“自分も普通の生活をしていいんだ”“隠れる必要はないんだ”と考えられて、社会に対しても自分自身の姿勢を保ちやすくなりますよね」

ラストカットにはそんな監督の思いが託されているかのよう。しかも、「私は」とついた邦題が、より一層その思いを強く響かせている。

「この邦題はすごくいいと思っています。なぜなら、この映画が扱っているのは“本当の自分としてあるとはどういうことか”ですから。ヴァレンティナは子供のときから自分は女の子だと考えているわけですよね。母親はそれをアクセプトして応援してくれるけれど、父親はそうでもないなか、彼女はずっと戦ってきたわけです。彼女が望んでいるのは、大きな車がほしいとか、有名になりたいとか、そういうことじゃない。自分であるということだけを望んでるわけですよね。ですから、“私は”とあるのは非常にいいなと思います」

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『私はヴァレンティナ』

4月1日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開中

配給:ハーク

映画ライター

映画レビューやコラム、インタビューを中心に、『anan』『SCREEN』はじめ、女性誌・情報誌に執筆。インタビュー対象は、ふなっしーからマーティン・スコセッシまで多岐にわたる。日本映画ペンクラブ会員。

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