20年前の決着。夏のインターハイ決勝の再戦
1999年8月8日、茹だるような暑さの中で、岩手県盛岡市にある盛岡南公園球技場では高校生たちが1つのサッカーボールを追いかけ、ピッチを駆け巡っていた。
岩手県で行われていた全国高等学校総合体育大会(通称インターハイ。以下インターハイ)のサッカー競技決勝、緑と黒の縦縞のユニフォームの広島県代表広島皆実高校(以下皆実)対千葉県代表八千代高校(以下八千代)の試合が行われていたのだ。
初優勝を懸けた一戦
どちらが優勝しても初優勝。優勝候補筆頭であった、原竜太(名古屋グランパスエイト、京都サンガ、モンテディオ山形、湘南ベルマーレなどでプレー)や羽田憲司(鹿島アントラーズ、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸などでプレー)などを擁する市立船橋高校を破って決勝に駒を進めた皆実と、中山元気(サンフレッチェ広島、コンサドーレ札幌、湘南ベルマーレ、レノファ山口などでプレー)と高松大樹(元日本代表。大分トリニータ、FC東京などでプレー)の2トップが強力な多々良学園(現高川学園)を撃破して上がってきた、八千代との一戦。
試合開始5分、左サイドから高橋悠太(現ジェフユナイテッド千葉GM)が強烈なシュートを放って先制。その後も八千代が優位に試合を進めるも、皆実も20分、ゴール前25m程度の距離からのフリーキックを、ゲームメイカーの秦賢二(名古屋グランパスエイト、水戸ホーリーホック、FC琉球などでプレー)が直接決めて1-1の同点。一進一退の攻防が続く。
後半開始早々の2分、八千代の上芝俊介の折り返しを加藤明拓(現アンコールタイガー代表)が決めて、2-1。再び八千代がリードする展開に。その後、八千代の堅い守備をなかなか崩せなかった皆実だったが、後半22分、秦のコーナーキックを柴村直弥(アビスパ福岡、徳島ヴォルティス、ヴァンフォーレ甲府などでプレー)が決めて再び同点に。このまま後半が終わり、試合は10分ハーフの延長戦へ突入。
延長前半5分、皆実は今大会唯一1年生でメンバー入りした途中出場の小松創太のアシストから、県予選決勝戦でも途中出場から決勝点を決めた、同じく途中出場の瀬戸彬人(元フットサル日本代表)のゴールで、3-2と逆転に成功。この試合初めてリードを奪う。
しかし、このままで終わらない八千代は、延長後半1分、兵働昭弘(清水エスパルス、柏レイソル、ジェフユナイテッド千葉、大分トリニータ、水戸ホーリーホック、ヴァンフォーレ甲府などでプレー。現清水エスパルストップチームコーチ)が得意の左足でミドルシュートを決めて、同点に追いつく。
灼熱の太陽の中、7日間で6試合目という連戦の中、最後まで勝利を目指して戦った、まさに死闘と呼ぶに相応しい両チームの戦いは、延長戦の末に決着が着かず、インターハイ史上初の両校優勝となった。
スッキリとしない表情
NHKで全国放送されたこの試合、試合終了後の両チームの選手たちの表情は喜ぶわけでもなく、悔しがるわけでもなく、どこかスッキリしない、そんな表情が画面上に映し出されていた。筆者もその1人であるが、なんとも言えない、初めての感情だった。
その感情を共に味わった両チームの選手たちは、何か同じ想いを共有した仲間のような、そんな親近感を覚え、大会後、国体や大学など、それぞれの場所で再会し、自然と親交を深めていった。
「いつか決着をつけよう」
いつしかそんな言葉が交わされるようになった。
14年後の夏、広島皆実高校グラウンドでついに再戦
月日は流れ、インターハイ両校優勝から14年が過ぎたある日、広島皆実高校のグラウンドに当時の両チームの選手たちが集まっていた。広島皆実高校人工芝グラウンド竣工記念サッカーフェスティバルとして、当時のメンバーたちでの再戦が行われたのだ。
あの日と同じように茹だるような暑さの夏の日、14年振りにピッチで戦う両チームの選手たちは躍動した。あの日のように、ゴールを取って取られての展開、最終的に皆実が4-2で勝利した。
試合後のパーティーで、八千代の選手たちからこんな声が上がる。「広島は皆実の選手たちの集まりが良いから不公平だ。これはホーム&アウェー方式だ!」当時の登録メンバーに加えて当時の部員も集まり、30人弱のメンバーが集った皆実に対して、「アウェー」広島まで駆けつけた八千代のメンバーは14人。真夏の昼間に交代自由の中で行われたこの試合、普段身体を動かしていない選手が多い中、交代メンバーが多い皆実が有利だったのは明白だった。
「次は八千代が人工芝になったときに八千代で!」
人工芝になる目処があったわけではない中で、そんな声があがっていた。
八千代高校人工芝化プロジェクト
「八千代も県立高校ということもあり、グラウンドを人工芝にするのはなかなか難しく、千葉県内の私立の流通経済大学柏高校や市立船橋高校や市立習志野高校が人工芝になっていく中で、八千代が強くなるには、もう人工芝にするしかないという声もあがっていましたが、助成金だとかそういうものを駆使してもなかなか難しく、その中で、もしやるのであれば寄付しかない、という状況でした。金額は4,000万円。」
と、八千代高校人工芝化プロジェクトを積極的に推進していった、当時の主軸選手だった加藤明拓氏は言う。
「その中で、4,000万円の寄付をなんとか集めるべく、組織化して、なにがなんでも集める、という気持ちでみんなで集めていきました。
結果、サッカー部のOBで3,400〜3,500万円集め、地域の企業のみなさんに500万円お預かりしてなんとか人工芝にすることができました。八千代高校は県立高校ですが、こうして人工芝になることで、サッカー以外のスポーツも当然人工芝のグラウンドですることが出来て、より発展していくと思いますし、県立高校である広島皆実や八千代高校も人工芝になるということで、全国でもグラウンドを人工芝にしていくような流れが出来ると良いなと思っています。」
2019年5月、千葉県の県立高校として初めて、グラウンドが人工芝となった。
運命の一戦
2019年7月13日、その八千代高校の人工芝のグラウンドで、20年前のインターハイ決勝の再戦、第2戦が行われた。
試合開始早々から両チームの激しい攻防が続く中、前半8分、八千代の根岸のミドルシュートがクロスバーに当たったところを上芝が決めて八千代が先制。皆実も前半21分に、柴村のパスから岡田が抜け出し、角度のないところからゴールに流し込み、1-1の同点に追いつく。
同点のまま迎えた後半9分、八千代の加藤が放ったシュートがGKに弾かれたところを上芝がヘディングで押し込み、2-1と八千代が再び1点をリードする。さらに攻勢を強める八千代は、後半26分、またもゴール前で上芝が押し込み、ハットトリックを達成。すると、皆実はここで当時の副キャプテンの澤本をピッチに投入。澤本は今年の2月にO-35(35歳以上)の全国大会関東予選で、相手選手のタックルを食らい、膝及び膝周辺の複数箇所を骨折した。担当医からは奇跡が起きないとサッカーをするのは難しい、と言われていた。手術、1か月に及ぶ入院、その後も会社帰りにクリニックでリハビリをするという日々が続いた。高校時代に全国優勝したとはいえ、いまは2児の父でありサラリーマン。リハビリをする時間を確保するのも容易ではない。懸命にリハビリを続け、わずかな時間ながらこの試合のピッチに立った。試合終了間際、その澤本からのパスを繋ぎ、最後は中野からのパスに抜け出した柴村がゴールを決め、皆実は1点差に詰め寄る。
その後も両チーム、ゴールを目指した激しい攻防が続くも、そのままタイムアップ。3-2で八千代が皆実に勝利して、通算成績を1勝1分け1敗とした。
サッカーが繋いだ絆
「当時は悔しくてモヤモヤしていたのに、20年後の夏は楽しくてたまらなかった。引き分けが繋いだ友情だと思う。サッカー、スポーツは素敵。」試合後に澤本はそうコメントし、20年前の当時の決勝戦で2点目のゴールも決めた加藤も「20年前にインターハイ決勝で両校優勝して、お互いにモヤモヤした気持ちを持ちながら20年が過ぎて、今日、その気持ちをぶつけ合って、サッカーとかスポーツが青春のときが続くというか、両校優勝していなかったら広島皆実のメンバーともこんなに仲良くなっていないと思うので、そういう意味ではすごくサッカーの力が素晴らしいと感じました。結果は八千代が3-2で勝ったのですが、6年前にやった広島での戦いでは2-4で負けているので、1勝1敗ということで、広島皆実のメンバーとは10年後にまた再戦しようと、誓い合いました。今日は本当にみんな楽しくて幸せです。」と、先頭に立ってこの試合開催を進めていった2人は、20年前から育まれた友情を噛み締めていた。
「10年後に今度は思い出の場所の岩手で決着を着けよう」
そんな言葉が試合後の両チームの選手たちからあがっていた。
清々しい表情の試合後の選手たち。
決着は着かないかもしれない。
友情が続く限り永遠に