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ドイツに劇的逆転勝利!逆転劇の鍵となった後半スタートからのシステム変更によって何が変わったのか。

柴村直弥プロサッカー選手
浅野選手の逆転ゴールを皆で喜ぶ日本選手たち(写真:ロイター/アフロ)

前半、攻撃時にリュディガーを中央最後尾に置いた3人の最終ラインで攻撃を組み立てるドイツに対して、日本は前田選手、鎌田選手の2トップの4-4-2の守備陣形を敷きました。

ドイツはリュディガーを低い位置に置いて最終ラインの両サイドの2人を日本の2トップの両脇に配置し、さらにボランチがサポートに行くことで、日本はプレスがなかなかかけられない状況を作りだしていました。

さらに、その2トップの両脇の選手がボールを受けて前にボールを運ぶところに日本のサイドハーフである久保選手などがプレスをかけた際に、日本の左サイドだとミュラーが下りてきてニャブリが一つ前のサイドに張っていたりするドイツの選手への対応が遅れてしまう、という現象が起きており、サイドの対応でも後手に回ってしまっていました。

日本の4人の最終ラインの前にドイツの選手たちが5人来るような形も、日本の最終ラインの選手たちがボールにアタックしづらかった要因でもありました。

失点シーンは、そうした両サイドの守備のズレが生じていた中で酒井選手が自分の前にいる選手にアタックしようとしたところの後ろのスペースを見事に使われたことでペナルティーキックが生まれました。

攻撃の組み立て役を担っていたギュンドアンは落ち着いてPKを決めた
攻撃の組み立て役を担っていたギュンドアンは落ち着いてPKを決めた写真:ロイター/アフロ

そうした中、後半に日本は冨安選手を投入してシステムを変更し、自陣の守備時には5-4-1としたことで最終ラインの守り方が明確となり、安定しました。さらに、頂点を1人にしたことで、最終ラインを3人で攻撃を組み立てるドイツに対してプレスもかけやすくなりました。

ドイツもボランチの選手が1人下りて4人に近い形でビルドアップしようとしたり対応してきましたが、ある程度守り方が明確となった日本の選手たちの思い切りの良いプレスがそれを上回っていたように見えました。

そして、三笘選手を左のウイングバック、守備時の5枚の一番左に入れたことは、守備で日本が自陣に押し込まれるようであれば功を奏さないですが、攻撃時に相手陣内まで日本がボールを運べると三笘選手の攻撃力が発揮される、ということでもありました。

三笘選手が入ってからしばらくは三笘選手が自陣に押し込まれる時間帯も続きましたが、同点ゴールはその形が取れたことも大きかったかと思います。相手陣内でボールを持てて、かつ早く三笘選手までボールを運べたことで、三笘選手に高い位置で時間を作れたことも得点を生んだ要因の一つかと思います。

ドイツGKノイヤーのセーブする位置を見極めてあえてあの位置に回り込んで詰めていた堂安選手の位置どりも見事でした。

冷静にボールがこぼれてくる位置を見極めていた堂安選手
冷静にボールがこぼれてくる位置を見極めていた堂安選手写真:ロイター/アフロ

そして、再三ゴールに向かってプレーしていた浅野選手のゴールは、ドイツのDFラインのズレがわずかに生じたところをうまくDFラインの裏に抜け出しました。シュートコースをほぼノイヤー選手が消している中でニアの上を抜いた、浅野選手のシュート技術も光ったゴールでした。

ゴールに向かってプレーし続けた浅野選手
ゴールに向かってプレーし続けた浅野選手写真:ロイター/アフロ

0-1の局面で後半再三見事なセーブを見せていたGK権田選手のプレー、そして粘り強い守備で追加点を許さなかった守備陣の踏ん張りもその後の日本の逆転劇へと繋がったかと思います。

逆転した後のドイツの猛攻もチーム全員で耐え忍び、まさにチーム一丸となって掴んだ勝利と言えるでしょう。

プロサッカー選手

1982年広島市生まれ。中央大学卒業。アルビレックス新潟シンガポールを経てアビスパ福岡でプレーした後、徳島ヴォルティスでは主将を務め、2011年ラトビアのFKヴェンツピルスへ移籍。同年のUEFAELでは2回戦、3回戦の全4試合にフル出場した。日本人初となるラトビアリーグ及びラトビアカップ優勝を成し遂げ、2冠を達成。翌年のUEFACL出場権を獲得した。リーグ最多優勝並びにアジアで唯一ACL全大会に出場していたウズベキスタンの名門パフタコールへ移籍し、ACLにも出場。FKブハラでも主力として2シーズンに渡り公式戦全試合に出場。ポーランドのストミールを経て当時J1のヴァンフォーレ甲府へ移籍した

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