「将来はごみ収集車の運転手」2歳からの夢を叶えた、ある作業員の話
<冬は積める段ボールが少なくなる>
古紙回収業の朝は早い。
午前4時。
真っ暗闇の中、待ち合わせ場所に指定された千葉県のある閑静な住宅街の駐車場で、出村拡己さん(34歳)と落ち合った。
出村さんは、1日平均50~60か所の集積所を回る事業系の古紙回集員だ。毎日、世が寝静まる頃から1人で作業をしている。
「ごみ収集員の現場を助手席から取材したい」
ある日、別記事の取材でアンケートに回答してくださった出村さんにこう相談したところ、「我々の現場を知ってもらえるきっかけになるならば」と、2つ返事で快諾してくれた。
4トンのパッカー車(ごみ収集車)に乗り込むと、サッと缶コーヒーを差し出してくれた。単独で仕事をするブルーカラーは総じて情が深く、この1本でどれだけ人が嬉しくなるのかを皆よく知っている。
大通りに出るまでは、そのコーヒーが飲めないほど上下左右に曲がりくねった生活道路が続くが、15年もの間、地場を走り続けてきた出村さんにとっては、なんてことないのだろう。どんな細道ももろともせずに進んでいく。
「パッカー車1台に入る段ボールは、1.8~2トン。現場と問屋を1日2,3回、ピーク時は4,5回往復しています」
そのピークが、まさに今。年末だ。
「この時期は、おせちで使われる『数の子』や『黒豆』などの段ボールが一気に増えます。箱の絵柄を観察しながら回収作業していると、経済や流行、季節の移り変わりを肌で感じるんです」
引越しする人が増える春は家具、夏は飲料やロックアイス、そして冬には前出のおせちはもちろん、クリスマスやお歳暮関連の商品が入っていたと思われる段ボールが多く出る。
「国の血液」として「動脈」を走るトラックドライバーたちが「繁忙期に運ぶモノ」として挙げる商品が、そのままごみ収集員の答えと一致することに鑑みると、やはり彼らごみ収集員も「物流」の一端を担った「『静脈』の血液」なのだと再認識させられる。
面白いのが、季節によって積める段ボールの量が変わることだ。
「夏は湿気で段ボール自体が柔らかくなるため、積める段ボールの量が増えるんです。逆に冬になると乾燥で潰れにくくなり、積める量は減ります」
なるべく多くの段ボールを回収するには、投げ入れる際にも「コツ」が要るのだという。
到着した現場で、出村さんは実演しながらこう教えてくれた。
「ホッパー(ごみ投入口)の中央部分ばかりに段ボールが寄らないよう、左右の隅のほうにも均等に投げ入れていくんです。車内に押入れられる際の密度が高くなり、入れられる量も大きく違ってくるんです」
<世間には知られていない収集員の「配慮」>
聞けば仕事が終わるのは、午後3時ごろ。早い時は1時過ぎに終わることもあるという。
それならどうしてわざわざこんな未明から回収し始めるのだろうか。
「その日の営業が始まる前に回収するよう依頼がある、というのも理由の1つなんですが、なにより、明け方に動いたほうが道が空いているし、回収作業中に交通の妨げになるのも避けられますからね。駐車場のあるコンビニやファミレスでも、昼時に行くと他のクルマの邪魔になってしまいますし」
実際、出発してから立ち寄った回収場所は、コンビニや小さな工場など、街中に点在する小さな店舗ばかり。地図やメモなどを見ることもなく、世間が通勤や通学で動き始める前にはほぼ回りきっていた。
収集員の「配慮」は他にもある。
住宅街の中にある小さな集積所に着いた時、これまで付けっ放しだったエンジンを、出村さんがおもむろに切った。
パッカー車はエンジンを切ってしまうと、後ろのプレス板(車内にごみを取り込む際に動く鉄板)も回らなくなってしまう。切った理由を聞こうとする筆者に、出村さんは回集作業を始めながら小声でこう説明してくれた。
「トラックのエンジンってすごい音がするじゃないですか。後ろのプレス板を回せばなおさら。近隣住民を起こさないように、エンジン切って作業して、大通りに出てからプレス板を回すようにするんです」
<「走っては止まる」の繰り返しで起きる弊害>
こうして街中の店舗数十か所を周り終えた頃、筆者の体には異変が生じていた。
「左足」の痛みだ。
車高の高いトラックから降りる際、地面へ最初に着く片足には大きな負担がかかる。
筆者自身、昔長いことトラックに乗ってはいたものの、走っていたのは、一度乗ったらむしろ降りることがなかなかできない「中長距離」。
現場で手伝うこともせず、ただただパッカー車を乗り降りしては、『へー』やら『ほー』やら感嘆詞を放っているだけだったのに、足を痛めるとは。
なんとも情けなくなるも、地場を回る職業ドライバーの隠れた苦労を、身を持って知れたことになぜか嬉しくなる。
「乗り降りがこうも頻繁だと、大変じゃないですか?」
気を使わせるだろうと左足の異変には言及せず、出村さんにこう聞くと「雨の日は特にね」という答えが帰ってきた。
「雨の日、外に置かれた段ボールは水を吸っていて本当に重い。たった3枚の段ボールが持ち上がらず、腰をやってしまうこともあります。雨脚が強いとカッパや長靴を着用して作業するんですが、カッパは乗り降りの時にくしゃくしゃになって引っかかるし、汗が蒸発しない。長靴はクラッチペダルが踏み込みづらくなる。車内は毎度びちゃびちゃです」
“走っては止まる”で負担がかかるのは、なにも人間だけではない。
走らされ止まらされるパッカー車自体にも、大きな負担がかかるという。
「タイヤは3~4万kmでツルンツルンになりますね。また、さっき言ったように、後ろのプレス板を動かすためにエンジンが切れないので、オイル交換の周期も異常に早い。クルマ自体も他車両が60万km走れるところ、パッカー車は30万kmくらいで廃車になることもあります。それに、回収物を積むと後部が重たくなり、走行時に運転席が跳ねるため振動も激しくなりますからね」
1日数十回と引く「サイドブレーキ」においては、レバーやワイヤーが折れた・切れたという事例も。
「消耗が進むと、どれだけしっかりサイドブレーキを引いても、利きが甘くなってきてしまう。これが実はかなり怖い」
<パッカー車の後部で起きる事故>
このサイドブレーキの消耗は、悲しい事故を頻繁に引き起こす要因になるという。
「ごみの収集時、作業員が立つ場所は当然ながらクルマの”真後ろ”。利きが甘くなったサイドブレーキが原因で、後ろに下がってきた自車に轢かれたり、壁に挟まれたりして亡くなったという方は少なくありません。同例を報じるニュースを聞いたことがあるかもしれないですが、それらの裏には、こういうパッカー車がゆえの原因もあるんです」
そんな収集車の「後部」には、他にも多くの危険がはらんでいると、出村さんは続ける。
「何といっても、プレス板の巻き込みは本当に怖い。この鉄板は、冷蔵庫だって簡単に砕き潰します。ある日、潰されていない段ボールを投げ入れた時、こぼれそうになったので手で押さえたところ、思いの他段ボールが柔らかく、そのまま体が車内のほうに向かって行ってしまったんです。ヒヤっとしました」
一般ごみなどの収集員は2,3人の組になって作業をするが、出村さんのような事業系古紙回収の場合、単独で回るケースが多い。つまり、巻き込まれて助けてくれる人がいないのだ。
随所に「緊急停止ボタン」はあるものの、「逆回転ボタン」は1所のみ。そのボタンに手が届かない場所で巻き込み事故が起きれば、緊急停止ボタンで回転は止まっても、その状態から脱出することはできない。
「あと、回収作業中に後ろから突っ込んできたクルマとパッカー車に挟まれる事故も多いです。パッカー車の後部で作業する際は、手元だけでなく、背後にも気を向けないといけないんです」
<突然出てきた「宣戦布告」の新聞>
街中の店舗の回収を終わらせた後、出村さんが「ここからがメインディッシュです」と低い声でつぶやいた。物流センターでの回収作業だ。
「輸入されてきた商品は国内で販売される際、その商品の入った段ボールや箱ケースを日本仕様の箱に入れ変えることがよくあるんです」
これまでは多くても十数回程度、手一杯の段ボールを投げ込めば終わっていた回収作業だが、物流センターでは、段ボールが満載された高さ1.5メートルほどもあるカートが10台以上並ぶ量。
軽い段ボールとはいえ、束になればそれなりに重く、面が広いため運ぶ際の空気抵抗も大きい。
夏をとうに過ぎ、パーカーだけでは寒いくらいの日だというのに、出村さんの額にはほどなくして大粒の汗が見え始める。
カートに畳み積まれていたのは、某有名スポーツ用品メーカーの靴のボール箱。おそらく数千はあるその紙箱に、先ほど出村さんの言っていた「経済や流行を肌で感じる」感覚が分かった気がした。
こうした様々な種類の古紙を回収していると、時にとんでもないモノに出くわすことがあるという。
先日出てきたのは、「古新聞」。紙面には、「昭和16年12月9日」の文字。右読みで「宣戦布告」と書かれてある。
そう、出村さんが見つけたのは、真珠湾攻撃の翌日に発行された新聞だったのだ。
「遺品整理業者が自社トラックで遺品整理をして持って帰ってきた古紙と一緒に、プラスチック製のファイルが紛れ込んでいたんです。本来ならプラスチックなので古紙として出してはダメなものなので、分別していた時に中が見えて。『戦線布告』にはビックリしましたね。その場で3分位フリーズしました(笑)」
出村さんのような古紙回収の作業員は、「経済や流行、季節」の他に、「歴史」の移り変わりをも感じるのかもしれない。
<2歳児が見た「ごみ収集車に乗る」という夢>
1か所目の物流センターを終わらせ、満載した段ボールを一旦問屋に引き渡しに行く道中、タオルで汗を拭う出村さんに、こんなことを聞いてみた。
「出村さんはどうしてこの仕事に就いたんですか?」
すると出村さんは少し照れながらも自慢げに答えてくれた。
「僕ね、2歳の頃から『パッカー車のおじさんになりたい』っていうのが夢だったんですよ」
ダストボックスから直接ごみをパッカー車に流し込む収集法があった時代、出村さんは団地のアパートからその様子を見るのが大好きだったという。
「迫力があったんですよね」
後日見せてくれた幼稚園の卒園アルバムにも、「せいそうしゃのうんてんしゅになりたい」と、拙い文字で所信表明してあった。
親御さんが添えた「君の将来は決まった!」の応援のメッセージがなんとも温かかった。
その後成長し高校生になった出村さんは、ホームセンターでアルバイトをしている時、現場を出入りしていたごみ収集員と仲良くなり、高校卒業後パッカー車に乗りたいと思っている旨を熱く語ったところ、見事就職が決まった。他同級生の誰よりも早い就職内定だったそうだ。
「その就職した先から2013年に独立しました。仕事現場で知り合った同業者の1人が体調を崩し、『代わりに(古紙回収)やってみないか』と誘われたんです。同年10月に退職。11月には個人事業主として働き始めました」
個人事業主として活動するためには、まずパッカー車を購入しなければならない。当時資金的に余裕のなかった出村さんに、誘ってくれた仲間が100万円ほど貸してくれた。
今年で業界在籍15年目。
決して実入りの多い仕事ではないが、出村さんはその後会社を設立。取材当日の未明に待ち合わせしたあの駐車場には、現在パッカー車2台と軽トラが並ぶ。
幼少期にパッカー車と一緒に撮った数多くの写真や、「コレクションなんです」と見せてくれた年季物のカタログ。
思わず口に出てしまった「本当に好きなんですね」に、出村さんはひたすら嬉しそうだった。
ブルーカラーに対し、現場を知らない世間からは時折「成り下がった果てに就く仕事」、「底辺職」と蔑む声が聞こえてくる。
が、2歳で見た夢を叶え、コロナ禍の日本を下支えする出村さんに、底辺職だという人がどれほどいるだろうか。
「自分が子どものころからパッカー車が好きだったからでしょうね。自分が作業している姿を小さな子どもさんに見てもらっている時がすごく嬉しいです」
現在、街中を走るごみ収集員の姿を見て、憧れを抱く子どもたちは決して少なくはないはずだ。
親御さんは是非そんなお子さんに伝えてほしい。
「君の将来は決まった!」と。
※前回記事:
コロナ禍の中、大掃除をする人たちに「社会の静脈」を担うごみ収集員が知っておいてほしいこと
https://news.yahoo.co.jp/byline/hashimotoaiki/20201221-00213582/
※ブルーカラーの皆様へ
現在、お話を聞かせてくださる方、現場取材をさせてくださる方を随時募集しています。
個人・企業問いません。世間に届けたい現場の声などありましたら、TwitterのDMまたはcontact@aikihashimoto.comまでご連絡ください。