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「性虐待と向き合う」。小林茂監督、新作ドキュメンタリーに着手へ

水上賢治映画ライター
小林茂監督(右)と小田香カメラマン(左) 写真:川上拓也

 「性暴力」「性虐待」――実情がなかなか表に伝えられることのないこの問題。ただ 、ここにきて#MeTooの運動が象徴するように時代と社会全体が動きだしつつある。それでも、このことをテーマになにか創作するというのは、なかなか勇気が必要で様々な困難があることは想像に難くない。

 今、その困難の道へと踏み出したドキュメンタリー作家がいる。『阿賀に生きる』の撮影や、『こどものそら』『チョコラ!』などの秀作ドキュメンタリーを発表してきた小林茂監督だ。

 小林監督の新たなドキュメンタリー映画『魂のきせき』(仮題)。2016年12月に着手した本作で、性犯罪被害者の取材を重ねている。

性虐待の問題はずっと気になっていました

 今、このテーマに挑む決心をした理由を尋ねると小林監督はこう明かす。

「実はもう何十年になるでしょうか、性虐待の問題はずっと気になっていました。ですから、急に思いついたわけではないんです」

 始まりは随分前にさかのぼるという。

「僕がまだ20歳ぐらいですから、かれこれ40年以上前ですか。水俣病の支援活動をする仲間のひとりにMIYAさんという女性がいました。彼女は子どもが小学校に上がるのを機に、東京から九州の実家に戻ったんです。それで子どもを連れて学校に行って、教頭先生の顔を見たときに、フラッシュバックで性虐待の記憶がよみがえった。臨海学校で性虐待を受けた先生が、教頭になっていたんです。そこからすべて記憶が甦って、精神がおかしくなるというか、もう崩壊していく。そこから性虐待の問題に関心を持ち始めました」

 以来、常に頭の片隅にはこの問題があったという。そんな折の2011年、『週刊金曜日』に掲載された、にのみやさをりさんの「性虐待」の写真レポート「声を聴かせて」を目にすることになる。

「性虐待に正面から向き合っているにのみやさんに驚きました。彼女自身、性犯罪被害者です。すぐに『週刊金曜日』の編集部に手紙を出しました。にのみやさんにこの手紙を渡してくれないかと」

 ただ、この時点ではまだ取材などはまったく考えていなかった。

「このときは、相談窓口を開設されているということで、にのみやさんと友人のMIYAさんをつなげるのが目的で。PTSDで苦しんでいるMIYAさんに、にのみやさんから相談にのってもらえないかというお願いでした」

いま撮らなければ一生撮ることはないかもしれない

 そこからまた数年の月日が流れたある日、にのみやさんから1通のDMが届く。それはとある会場で定期的にやってきた写真展の最後の回の知らせだった。

「DMを受けとったとき、なぜかわからないですけど、『性暴力』『性虐待』に関する映画が脳裡に浮かびました。いま撮らなければ一生撮ることはない。自分も60歳を超えて、人工透析で生きている身ですから、最後の作品かもしれない。この問題に向き合おうと決断しました。それでにのみやさんに撮らせてほしいとお願いしました。

 にのみやさんは被害をうけ、しばらくして、自分の世界から色が失われ、モノクロームの世界 になってしまったという。PTSD、フラッシュバックなどに悩まされ、自傷行為を繰り返 し、苦しみながらも、『モノクロの世界なら自分の世界を再現できるのではないか』と独学で写真を学び、写真家になって同じような境遇の性被害者を撮影している。また、加害者である性犯罪者との対話も重ねている。すごい人です。それで、断られるのを承知で、にのみやさんに撮らせてほしいとお願いしました」

 現在は、にのみやさんを中心に撮影を進めている。まだまだ、完成まで先は長いが現時点でもこの問題の根深さに向き合う日々だと明かす。

「性暴力事件を前にしたとき、どこか世間、いやとりわけ男性は、なぜ拒否できなかったのか?抵抗しなかったか?なぜ、何年も経ってから告白するのか?など、責任の所在を被害者側の女性にもあるような眼で見てしまいがちではないか。また、性虐待が起きたら、その瞬間だけのことととらえがちではないか。実際は、そんな単純に片づけられることではない。あまりのショックに記憶を封印して、何年も経ってフラッシュバックでよみがえって、ようやく心の整理がある程度ついたとき、語り出す人がいる。また、被害を受けた女性たちにとっては起きた瞬間だけでは終わっていない。「魂の殺人」といわれるぐらい 、心から消えない。その苦しみの深さは計り知れない。その苦しみにこそ関心をもたないといけない」

「魂のきせき」(仮題)撮影風景 写真:小林茂
「魂のきせき」(仮題)撮影風景 写真:小林茂

社会に「女卑」という考えが残っていないか

 現段階の取材でこんなことを感じているという。

「やはり変わらなければいけないのは男ではないか。男尊女卑という言葉がありますけど 、どこか社会に『女卑』という考えが残っていないか。変わらないといけないのは男の意識のような気がします

 撮影を受け入れてくれたにのみやさんにはこう話しているという。

「なにでフラッシュバックが起こるかわからないし、耐えられない瞬間がくるかもしれない。ですから、(にのみやさんが)やめたいとおもったらいつでもやめますと。そういう条件で、いろいろと相談しながら進めていきましょうと言っています」

 ただ、撮影を続ける中、意外な反応もあったという。

「この映画制作をどこからかききつけて、『被害者の一人として協力したい』と申し出る人々が何人も現れました。ほんとうに表に出ている被害は、氷山の一角でしかないということを今実感しています。また、ちゃんと自分のことをきいてほしいという人がいるんだと思いました。わたしの師である柳澤壽男監督は『自らの中にあるえらいさん願望を根絶やしにしなければ』と言っていたんですが、いまこの言葉が自分の中でリフレインしています。『支配』と『被支配』、『抑圧する側』と『抑圧される側』、この社会構造の問題まで見えてくるものになるかもしれません

 撮影は順調に進んでいるが実は挫折しかけたと打ち明ける。

「本音を言うと、これは大変なところに足を踏み入れたなと。昨年は『これほど苦しい思いをするのならばやらなければよかった』と思ったこともありました。被害者の方の話をきくのは、やはりつらいですよ。でも、いまはふっきれました。被害を自分のこととして実感することはむずかしい。しかし、『性被害』を語り合える『同志』になることはできると思います。撮影を受け入れてくれたにのみやさん自身がすべてをみせてくださっているから、自分も音を上げるわけにはいかないですよ」

「お話しをおうかがいしたみなさんの魂がうつりこむような作品になったら。だから告発調の映画にはしたくありません。日常を大事にしたい。これまで表に出てこなかった性被害の問題を可視化できれば。世間から色眼鏡で見られがちな、かぎかっこつきの『性虐待』から、単なる性虐待へ。このようにかぎかっこをとるような、偏見なしで性虐待と人々がきちんと向き合える作品になればと思っている」と小林監督。完成は2年後ぐらいを見据えている。大きな問いを投げかけてくれるであろう作品が近く届くことを切に願う。また、今後も完成まで追い続けたいと考えている。

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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