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LGBT法案は、性別の意味を変える。もっと議論が必要だ。

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

LGBT法案は、修正維新案とでもいうべきものがまとまりました。自民案に「すべての国民が安心して生活することができるようとなるよう、留意する」という文言が付け加えられたことを、私は評価しています(LGBT法案、「すべての国民の安全」は差別か?)。

今回は、内閣委員会の中継を聞きながら考えた法案の問題点について、考えてみたいと思います。

性自認による差別とは?

3つの法案が提出され、修正案を含めると4つの案が存在しています。そこで焦点となっているのは、「ジェンダー・アイデンティティ」「性自認」「性同一性」です。

これらの言葉は法案のなかでの「定義」はほぼ同じであり、「言葉」のレベルでの違いしかありません。しかも「性自認」も「性同一性」も、英語では「ジェンダー・アイデンティティ」なのです。かつては「性同一性」という訳語が多く使われていましたが、最近は「性自認」が増えてきました。つまり3つとも「同じ」言葉であるのに、なぜここまで問題になっているのでしょうか。言葉も同じ、定義も同じならば、争う意味はないように見えます。

それはそもそも「性自認を理由とする差別」が何であるのかが、そもそも了解されていないからだと思います。

内閣委員会では、「トイレや風呂」といった話が何回も出ましたが、この法案はそういった個々のケースについて定めるものではないと退けられていました。確かにそう見えるのですが、私は無関係ではないと思います。女性たちが危機感をもっているのも、理由があります。

なぜならこれは、これまでの「性別の定義」の変更を迫るものだからです。

ある討論会番組で、この法案を推進する方が「風呂やトイレの利用は心配ない、なぜなら『性別と性自認は違いますから』」と発言されていて、ちょっとびっくりしました。「性自認を理由とする差別」を許さないということは、まさに「性自認が性別となる」ということなのではないでしょうか?

「性自認を理由とする差別を許さない」ということは、具体的にはどういう事態を考えればいいのでしょうか?例えば、就職の場で「あなたはトランスジェンダーだから採用しない」というのは明らかな差別です。「女性だから採用しない」もです。就職は、性別に不関与であるべきだからです。

しかし近年老舗のレズビアンバーで、月に1度のイベントに「トランス女性」の入場を拒んだところ、「差別だ」と文字通り世界的な大騒ぎになりました。これは、「性自認を理由とする差別」にあたると考えられたのです。

写真:アフロ

長い間、「生物学的な差異」「肉体的な差異」のことを、私たちは性別と呼んできました。しかし、「性自認を理由とする差別を許さない」「性自認を尊重する」ということは、今後、社会において、性別を肉体的な差異に基づくものから、性自認にシフトするということを意味しています。

例えば、性自認を尊重する立場からは、トランス男性にも生理があることを考えると、生理に関することは、「女性」に呼びかけるのではなく、「生理のあるひと」と呼びかけることが包括的であるということになります。これに対して「『生理のあるひと』はかつて『女性』と呼ばれていたのではなかったっけ?」とツイートしたJ.K.ローリングは、「トランス差別をした」と、これまた文字通り世界中から大バッシングをうけることになりました。

性自認と性同一性という言葉は、それぞれ日本の法律のなかで使われてきた歴史があります。自民党が推した「性同一性」は、性同一性障害の特例法に引き付ければ、医師の診断に紐づけられる可能性があります。それに対し、性自認という概念にそれはありません。ここでなされていた綱引きは、ジェンダー・アイデンティティという語に書き換えられることによって、結果として性自認に近くなったということができると思います*。

戸籍の性別の無意味さ

委員会では、風呂などの話が出るたびに、「戸籍の性別」で区切るために、それは問題がないのだという話が繰り返されていました。これは将来を見据えれば、ほぼ意味のない議論だと思います。議員の方はそのことを、どれくらい理解されているのだろうかと思いました。

写真:アフロ

例えば日本学術会議による提言、「性的マイノリティの権利保障をめざして(Ⅱ) ―トランスジェンダーの尊厳を保障するための 法整備に向けて」においては、性別適合手術のあと家庭裁判所の審判を経て行う現行の戸籍変更のプロセスに疑問が投げかけられ、現行の特例法の廃止が主張されています。そのうえで、第一に、戸籍事務管掌者への届出制(自己申告)とすること、第二に、自己申告制を採用しても法律上の性別を頻繁に変えるという事態は生じないから、再変更も認めることが、補足として申し添えられています(ただし、本人が医師の診断を受け、「トランスジェンダーであることを認識」することは必要とされています)。

つまり戸籍上の性も、これまでの身体的な性別から、性自認へと変更されるというわけなのです。医師の診断すら必要なく、自己申告で性別を変更できる国は(セルフID)、海外にはいくつもあります。

日本でも、手術要件を含む特例法が合憲かどうかをめぐって、大法廷がおこなわれます。場合によっては将来、性別適合手術なしに性別変更ができるようになります。ある団体の代表は、「法律上の性別と、男女別施設の利用基準は必ずしも一致するわけではない」といっていますが、戸籍上の性別にしたがって入浴したいというひとを拒むのは、それこそまさに「性自認を理由とした差別」にあたるのではないでしょうか。外性器をつけたまま戸籍上は女性になったひとに、「風呂では、あなたは女ではない」などと、どのようにいえるのかと思います。

性別をめぐっては、これからもさまざまな混乱が起こり得るでしょう。これほどセンシティヴで、さまざまなひとのそれぞれの意見や立場がある問題について、いまの法案はあまりに拙速にすぎる気がします。せめて大法廷まで待つことはできなったのでしょうか。

こうした事情から、先に書いたように「すべての国民が安心して生活することができるようとなるよう、留意する」という文言を評価しますが、これこそが許せないと会見をされた団体の方たちもおられたようです。結局、現行の法律案に国民も議員も、大満足という人はほとんど誰もいないのではないでしょうか。正直に言えば、大きな社会的な影響のある法案だけに、異常事態だと思います。慎重に意見を重ねて、また改めて法案を提出するということも、可能でないのだろうかと思います。

*このパラグラフを、2023年6月10日19時15分加筆。同じ言葉から派生しているのになぜ揉めるのかを、書き損じていました。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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