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終戦後も現役「死の鉄道」泰緬鉄道の乗り方は?タイ・ミャンマー国境近くまでツアーではなく自力で行こう!

タイ旅行ライター吉田彩緒莉タイ大好きトラベルライター
ありえない場所に造られた「死の鉄道」泰緬鉄道のありえない場所を歩く人たち

戦後も現役でタイの観光を支える泰緬鉄道とは?

泰緬鉄道は第二次世界大戦中、旧日本軍が、ビルマ(現在のミャンマ―)攻略や、イギリス植民地支配下のインド独立運動を支援する「インパール作戦」のため、ビルマ方面へ軍需物資の輸送を目的に造った鉄道だ。
当時は総距離全長415キロメートル、タイのノンプラドックとビルマのタンビュザヤを結ぶ鉄道だった。

靖国神社遊就館のホールにある泰緬鉄道の全駅
靖国神社遊就館のホールにある泰緬鉄道の全駅

しかし、現在ミャンマ―側の鉄道は撤去されており、タイのナムトック(Nam Tok)駅が終点となっている。タイ側はこの泰緬鉄道にタイ国鉄を走らせ、観光地化。

2度の爆撃を受けても80年以上前の橋の一部が残るクウェー川鉄橋、
2度の爆撃を受けても80年以上前の橋の一部が残るクウェー川鉄橋、

映画『戦場にかける橋』の舞台として世界的に知られることになったクウェー川鉄橋をはじめ、泰緬鉄道沿線には見どころが多い。鬱蒼としたジャングルの川沿いを掘削し、線路を敷き、ありえない高さに木製の高架を作った旧日本軍。そのため鉄道自体が観光名所だ。クウェー川の風光明媚な景色、リゾートホテル、タイ人が大好きな滝、洞窟などもあり、魅力的なネイチャーリゾートへの観光列車となっている。

靖国神社遊就館に鎮座する泰緬鉄道を走っていた機関車

この線路を走っていた機関車のうちの一台は、日本に送られ、今は靖国神社の遊就館でその姿を見ることができる。

死の鉄道

本来なら工事は5年以上かかると予想されていた泰緬鉄道だが、旧日本軍はたった1年3か月で開通させた。崖や渓谷、山など難所の多い場所を開拓して作る上に、突貫工事。その工事には連合軍の捕虜、そして現地の人々が動員され、過酷な労働環境の中、多くの方が亡くなった。しかし第二次世界大戦末期、自分たちすら食べる物がない上に、日本からの物資が届かない山奥。旧日本軍の兵士もまた、多くの方が亡くなっている。
その惨状から別名「死の鉄道」と呼ばれ、クウェー川鉄橋に近いカンチャナブリーの中心部には、多くの慰霊碑や墓地が並び、遺族の方も訪れている。

限られた日程でタイ旅行をしている人には少し難しいコースかもしれない。しかし、時間のある方は博物館も複数あるので平和への祈りを胸に訪れてみてほしい。

死の鉄道「泰緬鉄道」に乗る方法

「死の鉄道」と聞くと、ハードルが高いように思うかもしれない。実はバンコクから国鉄に乗ってしまえば、今ある泰緬鉄道の全行程を制覇することは、そこまで難しくない。しかも各旅行会社が催行する日帰りツアーも山ほどある。

時間があれば、ツアーは使わず自力で行ってほしい。タイ国鉄内のローカルな雰囲気はタイ旅行の大切な思い出になるだろう。

国鉄トンブリー駅(Thon Buri)からナムトック駅(Nam tok駅)行きの国鉄に乗れば、何もしなくてもその列車が泰緬鉄道を走ることになる。

トンブリー駅はチャオプラヤー川のトンブリーエリア(ワットアルンの建っている方)のシリラート病院近くにある

MAP:国鉄トンブリー駅

BTSやMRTと異なり国鉄はローカル度が半端ない
BTSやMRTと異なり国鉄はローカル度が半端ない

ただし列車は1日2本しかない。乗り遅れたら全ての計画が狂ってしまうので、まずは「どこの駅で、何を見るか」「泊まるのか、日帰りか」「泊まるならどこに何泊するか」を決める必要がある。

どこを見れば泰緬鉄道の旅を体験したことになるのか?

見どころは主に以下に3つ。
・クウェー川鉄橋
・チョンカイの切り通し
・アルヒル桟道橋(タム・クラセー桟道橋)

この3か所を見ないと「泰緬鉄道で旅してきたよ。」とはなかなか言えない。

泰緬鉄道の見どころを制覇するには何時の列車に乗れば良い?

結論から言うと、朝7時45分トンブリー発一択だ。
列車はアルヒル桟道橋(タムクラセー桟道橋)に11時51分着、終点のナムトック駅着は12時35分。
2本目は午後13時55分発。アルヒル桟道橋は17時50分着。Namtok駅着18時30分で、その後は帰りの列車がない。

観光列車と化しているため、本数が少なすぎる泰緬鉄道利用の列車
観光列車と化しているため、本数が少なすぎる泰緬鉄道利用の列車

トンブリー駅までのアクセスは?

バンコクの国鉄トンブリー駅は、バンコクの高架鉄道BTSや、MRTと比較すると行きづらい。サイアムやアソークに泊まっているようであれば、BTSナショナルスタジアムあたりまで出て、タクシーや配車アプリを使うと良し。面倒であればもうホテルでタクシーを捕まえてもらおう。

平日の場合、朝7時45分発の列車に乗るには、通勤ラッシュに巻き込まれる可能性も高い。国鉄の駅はローカル色豊かで面白いので、早めに駅に着いて周辺を散策したり、飲み物や朝食を購入しておくと良い時間つぶしができる上に、何より楽しい!

鉄道で食べるならカレーなどの汁物は避けよう、
鉄道で食べるならカレーなどの汁物は避けよう、

外国人観光客は100バーツ(2024年8月現在のレートで約420円)。終点まで5時間かかるので、安いものだが、タイ人は数十バーツで済むらしい。

泰緬鉄道のスタート地点には日本語の案内が!

トンブリー駅からは物売りがひっきりなしに食べ物を売りにくる。車内販売を物色したり、タイ人家族のほほえましい寝姿にほのぼのしているうちに「Nong Pla Duk Junction駅」に到着。ここは旧日本軍が泰緬鉄道作った起点駅だ。ここから80年以上の歴史があり、今も現役の泰緬鉄道に入っていく。

駅には日本語の記念碑があり、この駅に到着するまで約80年前の悲劇を信じられないまま、列車に乗って来たものの、事実であったことを認識する。かつて「死の鉄道」と呼ばれた泰緬鉄道は本当に現役で使われているのだ。

タイの田舎にポツンとの残る泰緬鉄道の起点駅
タイの田舎にポツンとの残る泰緬鉄道の起点駅

映画『戦場にかける橋』で知られるクウェー川鉄橋

欧米人が多く下車するカンチャナブリー駅を出発したら、最初の見どころである映画『戦場にかける橋』の舞台クウェー川鉄橋のある「サパンクエーヤイ(Saphan Kwae Yai)駅」に到着だ。この橋は旧日本軍が連合軍捕虜や現地の労働者を使い建造。多くの犠牲者を出している。

ここは駅に降りず列車に乗ったまま橋を渡ろう
ここは駅に降りず列車に乗ったまま橋を渡ろう

クウェー川鉄橋は、映画『スタンドバイミー』のように鉄橋にある線路を歩いて渡れるが、乗っている下り列車でアルヒル桟道橋を目指す場合、この駅では下りず、行きはそのまま列車に乗ってナムトック駅を目指そう。
二度の爆撃にもかかわらず、一部日本の戦後補償で再建築された部分以外は、当時のままの姿を残しており、車窓から見る鉄橋も迫力がある。
この橋の上を走る本数の少ない列車を見るために、多くの観光客が待避所で待ち構えて手を振ってくれるのも、感慨深い。今は平和の象徴のようだ。

待避所待ちは事故が起きても自己責任
待避所待ちは事故が起きても自己責任

サパンクエーヤイ駅からはソンテウでカンチャナブリー中心部にも簡単にアクセスができる。バンコクに戻る際に下車し、クウェー川鉄橋や博物館、時間があれば巨大仏像が美しいワット・タムスアなどを観光して本数の多いバスで帰るのがおすすめだ。

クウェー川鉄橋メインの旅につては以下の記事に書かせていただいたので、合わせて読んでいただきたい。

チョンカイの切り通し

次に通る名所は「チョンカイの切り通し」。

電車が通れるはずもないような岩肌を掘削し、線路が敷けるギリギリの岩盤部分のみを掘削。列車の車両が岩肌ギリギリを通り抜けていくスリルが凄いと人気なのだが、あっという間(10秒もない)に通り過ぎてしまう。だから最初から「もうすぐ通るよ」とわからないと撮影は難しい。しかも、筆者が乗車した際は行きも帰りも「チョンカイの切り通し」側のボックスシートが満席。ああ、撮影できなかった。残念過ぎる。
約80年前、しかも第二次世界大戦で追い詰められた旧日本軍の山あいの作業だ。ろくな重機もなく、木材運搬などは象を使っていたという。さすがにこの崖の作業は狭く、象を使う訳にもいかないので、多くの捕虜が掘削のために動員された。ここだけで、約1700人もの捕虜の遺体が沿線に埋められていたというから驚く。今は遺体は掘り出されチョンカイの切通しのそばにある「チョンカイ連合国軍共同墓地」に埋葬されているが、鉄道が遺体の上に造られ、貨物列車が通っていたとは何ともむごい話だ。

MAP:チョンカイの切り通し

アルヒル桟道橋(タム・クラセー桟道橋)

チョンカイの切り通しを過ぎると、ひたすら畑のみが広がる大地を列車は走り続ける。トラクターに乗ってこちらに大きく手を振ってくれる人の姿が見えたり、住民の方は1日2本(観光列車が通るときは3本)のタイ国鉄の列車の姿を見かけると、非常にうれしそう。

強い日差しで草は枯れている
強い日差しで草は枯れている

今はこんなにも平和な鉄道部分も全て、泰緬鉄道だ。見渡す限り、木陰もなく、酷暑で乾ききった大地が続く。こんな日に延々と木を伐採し、枕木を置き、鉄道を敷く作業はどんなに苦しいものだっただろうか。
約80年前の車窓から見る景色と、今の景色は全く異なるものだったに違いない。
そして再度鉄道がクウェー川と出会った時...乗客はとんでもないものを目にすることに。

「そろそろアルヒル桟道橋だぁ!」と盛り上がる列車内
「そろそろアルヒル桟道橋だぁ!」と盛り上がる列車内

ちょ、ちょっと、もの凄い場所を人が大勢歩いていない?

泰緬鉄道のクライマックス!アルヒル桟道橋(タム・クラセー桟道橋)
泰緬鉄道のクライマックス!アルヒル桟道橋(タム・クラセー桟道橋)

ここが泰緬鉄道最大の見どころであるアルヒル桟道橋(タム・クラセー桟道橋)だ。

日本ではありえない光景を目撃
日本ではありえない光景を目撃

そして気のせいではなく本当に大勢の人が歩いている!これから我らが乗っている列車が通ると言うのになんという余裕なのだろうか!

落ちないの?接触しないの?見ているだけでヒヤヒヤする
落ちないの?接触しないの?見ているだけでヒヤヒヤする

クウェー川沿いの崖に高さ8メートル、長さ約400メートルの木製の高架橋が続き、よくこんなところに鉄道を通したな、という驚嘆の声が漏れてしまう。別名「死の鉄道」でありながら、その高架はまるで木のアートのように美しく、鉄道で通ることさえ惜しく感じる。

全員が窓際にかけ寄る絶景。バランスを崩して傾きそう。
全員が窓際にかけ寄る絶景。バランスを崩して傾きそう。

木の高架橋をきしませながら、いよいよ列車が渡る。

折れた板は何なのよ!枕木(怯)?
折れた板は何なのよ!枕木(怯)?

多くの方々が高架橋工事で亡くなったことは、わかってはいるものの、高架橋のあまりの美しさに息をのむ。

振り返ると、こう!
振り返ると、こう!

本当に突貫工事で作った鉄道なのか?あまりの高い設計力と技術力にただ驚いてしまう。旧日本軍がどれだけミャンマーへの物資輸送を重要視していたかがよくわかる、必死の仕事だ。

アルヒル桟道橋を歩きたい人はタムクラセー駅で下車

アルヒル桟道橋ではクラセー橋駅(Thamkrasae駅)で下りれば、高架鉄道を歩くことが可能だ。しかも下りの列車もそんなに待たない。列車の往復は少ないが終点のナムトック駅からの下り列車は約1時間45分後に戻ってくる。
近くにレストランやカフェもあり、ランチを食べてから歩こう、となると結構ギリギリで危険だ。下りの列車が行ったらすぐ歩いて、それからランチ、そして上りの列車でカンチャナブリ―方面に戻るなど、計画を立てよう。線路上は幅が非常に狭く、待避所もないので、くれぐれも気を付けて。線路上を歩くのは自己責任だ。

歩く人、車上の人、それぞれ笑顔で写真を撮り合う
歩く人、車上の人、それぞれ笑顔で写真を撮り合う

アルヒル桟道橋のすぐ近くにはクラセー洞窟があり、美しい仏像が安置されている。

タムクラセー駅の川を挟んだ対岸には、アルヒル桟道橋の眺めが売りのホテルがあり、夜はライトアップされるのだそう。筆者もこの周辺に宿泊して自然を楽しみ、アルヒル桟道橋を歩くことも考えたのだが止めた。
私には「枕木一つに一人の命」と言われるほどの犠牲を出した、アルヒル桟道橋を眺めて寛ぎながら眠りにつける勇気はない。

MAP:タムクラセー駅

泊まるならナムトック駅からさらに船でクウェー川上流にあるホテルへ

泰緬鉄道の終点はナムトック駅だ。ここからわずか12、3キロメートル先は、ミャンマーとの国境で、車で国境ギリギリのビューポイントに行く観光客もいる。

泰緬鉄道の完成当初は現在のナムトック駅よりもう少しミャンマー側にあったようだが、連合軍に爆撃により破壊された。ただ、約1キロメートルほど先の「ナムトックサイヨ―クノイ(NamTok Sai Yok Noi)」という停留所に、泰緬鉄道を走っていた機関車が置いてある。車がある人や、涼しい時期に訪れ歩けそうだと判断したらぜひ行ってみてほしい。
ナムトック駅に着いたら、そのままバンコクまでの上りとなる同じ列車に乗って帰る人もいる。往復10時間近い旅となるが鉄道が好きな方は珍しくないそうだ。または、カンチャナブリ―にホテルを取り、カンチャナブリーまで戻る人もいる。
MAP:ナムトック駅
MAP:ナムトックサイヨ―クノイ

バンコク方面に帰る人たち
バンコク方面に帰る人たち

滞在日数に余裕のある人は、ナムトック駅からPak Seng 船着き場にソンテオで行き、船でしか行けないクウェー川上流にあるリゾートホテルで過ごすのもおすすめ。
別の機会に紹介するが、山と川と空しかない空間、そしてわずか10キロメートル先はミャンマーという隔絶された立地で過ごす非日常は、忘れられない思い出になるはず。

船でしか行けない秘境リゾートもカンチャナブリ―県の「顔」だ
船でしか行けない秘境リゾートもカンチャナブリ―県の「顔」だ

MAP:Pak Seng Pier

旧日本軍に置いて行かれた今はタイのために働く健気な鉄道

願わくば、できるだけ多くの人が泰緬鉄道という戦争遺構を訪ねるだけの旅ではなく、鉄道の沿線や鉄道の先にあるカンチャナブリー県の雄大な自然を堪能して、この地を好きになってくれたらいいのに、と思ってしまう。

あまりにも大きすぎる犠牲を出した工事から約80年。日本から遠く離れたタイとミャンマーの国境近くに、自分を作った旧日本軍には置いていかれ、何か所も破壊され、負傷したまま(人間ではないけれど)単独置いて行かれてしまった泰緬鉄道。
今はタイ国鉄の一部として、現地の観光資源として身を尽くし、世界中の人たちの笑顔を運ぶその姿に、様々な思いが去来するはずだ。

タイ大好きトラベルライター

タイ旅行・タイエンタメ関連ライター。25年前タイにはまり「住んだら飽きるかも?」と1年住んで、ますますハマってしまいタイ大好き病が悪化。タイ関連記事は旅行、映画、ホテル、タイ芸能人・文化人インタビューなど多媒体&多岐に渡る。個性あるタイのホテルが大好きで泊まり歩く日々。特に好きな都市はチェンマイ、チェンライ、カオラック、バンコク、ホアヒン。ライター・編集者歴30年。大手音楽事務所宣伝部を経て某バンドの会報ディレクション、映画情報誌・旅行誌・インバウンドサイト・旅行サイトなど多くの編集部で執筆・編集を行ってきたライター・編集ひと筋のヒト。

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