日本チームで初の快挙!「F.C.C. TSRホンダフランス」がル・マン24時間レースで優勝。
日本のレーシングチームとしては初めての快挙だ。耐久レースの聖地、フランスのル・マンで4月21日〜22日に開催されたオートバイ耐久の「ル・マン24時間レース」で、日本国籍で出場した「F.C.C. TSR Honda France」(フレディ・フォーレイ/アラン・テシェ/ジョシュ・フック組)が2位以下に2周の差を付けて優勝。鈴鹿8耐を3度優勝した経験を持つ国内屈指の耐久レースチーム「TSR」(三重県・鈴鹿市)は3年目の挑戦で栄冠を掴み取った。
2輪のル・マンはオートバイ耐久の頂点!
6月に4輪の「ル・マン24時間レース」が開催されていることで有名なフランス、ル・マン。同地では1978年からは2輪の「ル・マン24時間レース(24 Heures Motos)」が毎年春または秋に開催され、フランス全土はもちろんヨーロッパ中から多くのオートバイファンを集めている。夏の「鈴鹿8耐」(鈴鹿8時間耐久レース)のルーツでもあり、FIM世界耐久選手権(EWC)の最重要レースに位置付けられているのがバイクのル・マン24時間だ。
「鈴鹿8耐」を主戦場としてきた強豪「F.C.C. TSR」がル・マンへの挑戦を始めたのは2016年のこと。1990年代にグランプリ(ロードレース世界選手権)の125ccクラスなどに参戦していたTSRはその時代に築いたヨーロッパでの人間関係を軸に、FIM世界耐久選手権(EWC)への参戦を模索。日本国内でホンダCBR1000RRをベースにした24時間耐久レース用のバイクを製作し、空輸してヨーロッパの耐久レースに挑戦してきた。
ル・マン24時間は熱心なオートバイファンや若いパーティーピープルを集める24時間のお祭りとして開催されており、特に耐久レース文化が根付く地元フランスのライダーたちにとっては憧れのレースになっている。MotoGP(ロードレース世界選手権)が開催されるグランプリコース「ブガッティサーキット」を使用して行われるが、春や秋の肌寒い時期に開催され、夜間の冷え込みはかなり厳しい。24時間を僅か3人のライダーで走り切らなくてはならず、1時間に1回のペースでやってくるピットインでチームスタッフやメカニックは不眠不休で戦う、過酷極まりないレースである。
TSRの挑戦は3回目
「F.C.C. TSR」は2016年に初挑戦ながらル・マン24時間でいきなりの3位表彰台を獲得。しかし、その後のFIM世界耐久選手権(EWC)のレースではマシントラブルなどが多発して失速。世界チャンピオン獲得のチャンスを逃してしまった。
翌2017年のル・マンはライバルのヤマハYZF-R1などの新世代バイクの台頭やトラブルなどによって表彰台争いに加われず、5位完走。FIM世界耐久選手権(EWC)でもチャンピオンをまたもや獲得できなかった。
主にフランスで開催され、長い歴史を紡いできた耐久レース。この世界での公用語は英語ではなくフランス語であり、ライダーのブリーフィングやプレスカンファレンスもフランス語主体で行われる。参加ライダーもフランス人が多く、ほとんどのチームがフランス人のライダーを1人は起用するのがセオリーになっているほどだ。耐久レースはフランス人の、フランス人による、フランス人のためのレースと言っても過言ではない。
そんな特殊な環境を良く知る「F.C.C. TSR」の藤井正和・総監督は3年目となる2017-18シーズンからチーム体制を刷新。ホンダのフランス現地法人「ホンダフランス」とタッグを組み、フランスにメンテナンスガレージを借りた。また、藤井も冬の間、フランスに長期滞在し、現地との関係を密にして3度目のル・マン挑戦への準備を進めてきた。
ライダーはホンダフランスの推薦もあり、24時間耐久レースで複数回優勝した経験を持つ耐久スペシャリストのフレディ・フォーレイ(フランス)、2016年からTSRが経験を積ませてきたアラン・テシェ(フランス)、そしてTSRから2015年に全日本ロードレース選手権や鈴鹿8耐を戦ったジョシュ・フック(オーストラリア)の3人を起用。フランス中心の外国人ライダー3人の体制を作り上げた。
独自の活動、独自の挑戦
毎年、夏の「鈴鹿8耐」ではホンダのワークス仕様のバイクを貸与され、それに見合った実力派のグランプリライダーを起用しているTSRだが、FIM世界耐久選手権の海外レースに関してはTSR独自製作のホンダCBR1000RRを使用する。マフラーやカウルなどは長年共に仕事をする鈴鹿市のパーツメーカーによって制作され、耐久レースの雄TSRとしてのノウハウが詰め込まれたマシンになっている。今回のル・マンに関してもワークスマシンとは一線を画す、完全なプライベーター仕様だ。
藤井はヨーロッパでの挑戦について「我々は昔から一緒にレースをやってきた連中と、絶対にグランプリをやろう、鈴鹿8耐をやろう、ル・マンをやろうと酒を飲みながら話してきた。それが現実になっただけ」とクールに語る。藤井は90年代にグランプリに挑戦した経験から、高いレベルのモータースポーツはヨーロッパにあることを肌で感じ、夏の鈴鹿8耐で勝てるレーシングチームを作るにはその高みに自ら飛び込んでいく必要性を感じていたのだろう。グローバルな視点を持つ藤井の頭の中では世界への挑戦はごく自然なことだったのかもしれない。
また、藤井の中には「レースは勝つためにやる」という強い信念がある。チームを強くするためにヨーロッパへスタッフを送り込むことが目的ではない。「自分たちが戦って優勝を狙えるレース」という答えがフランスを本場とする耐久レースの世界だったのだ。
元来、ワークス(ファクトリーチーム)をやっつけるプライベーターとして活動してきた「TSR」(テクニカルスポーツレーシング)。国内レースはバイクメーカーの開発拠点となっているため、メーカーの息がかかったバイクを手に入れられないことには優勝は難しい。近年はヤマハがフルワークスチーム(完全にメーカー直属のチーム体制)を敷いており、今季はホンダもフルワークスチームを参戦させた。よりメーカー間の競争が激しくなり、全てを自分たちで作り上げるプライベーターにとって少々息苦しい環境であることも、TSRが海外の耐久レースに参戦する理由と言える。
俺たちは世界一になるんだ!
TSRの藤井正和・総監督は「俺たちはル・マンで勝って、世界一になるんだ」というメッセージを口癖のように強い語気で発してきた。国内に居るとピンとこない所があるが、日本に憧れを持つ人が多く、日本製のオートバイを愛してやまないファンが集まるフランス。その国の人々が6万人、7万人と集まり、熱狂的に観戦する耐久レースはモータースポーツを戦う者にとって、これまたとない最高の舞台だ。
そこに挑戦して勝つ。それを目標に新体制で「ル・マン24時間レース」に挑んだTSRはレース序盤から上位を快走。昨年の優勝チーム「GMT94 YAMAHA」(ヤマハ)にプレッシャーを与え続け、虎視眈々とレースを続けた。そして、トップ走行中の「GMT94 YAMAHA」が転倒、クラッシュを喫し、「F.C.C. TSR Honda France」がトップに浮上。フロントスクリーンが割れるトラブルがあったものの、迅速な交換作業で切り抜け、見事に24時間を首位で走りきった。
動画:ル・マン24時間レースフィニッシュ、表彰式(FIM EWC公式YouTubeより)
ホンダのバイクがル・マンで優勝するのは2006年以来12年ぶり。1970年代後半には「無敵艦隊」の異名で知られたホンダのワークスマシン「ホンダRCB」が連勝した時代があったものの、これらは海外チームによるもの。日本国籍のレーシングチームが頂点に立つのは初めてのことだ。優勝のチェッカーフラッグ後、バイクレースを愛するフランスのファンに拍手喝采で迎えられ、TSRは表彰台に日の丸を掲げ、国歌「君が代」を流した。
藤井正和・総監督は「遠いフランスの地で、3回目の挑戦となるル・マン24時間で表彰台の中央に日の丸が上がり、君が代を聞いた時は思わず涙がこぼれるくらい震えたね」と喜びを表現した。
ホンダの創始者、本田宗一郎はまだ会社が日本を代表するオートバイメーカーにもなっていない時代に社員を鼓舞すべくイギリスの「マン島TTレース」への挑戦を宣言。世界選手権グランプリレースに挑戦し、ワールドチャンピオンとなり、世界的な名声を得た。そして、自動車を生産し始めて間もない時代に自動車レースの最高峰「F1グランプリ」に挑戦。既得権益に守られた先輩メーカーが取り組んでいないF1での優勝を挑戦わずか2年目で成し遂げた。
日本で認められるためには世界の頂点を取る。日本一になるにはまず誰よりも先に「世界一」になる。TSRの挑戦は本田宗一郎が戦後間もない時代に抱いた夢を追いかけているかのようだ。
TSRの藤井正和・総監督は「我々は今年のEWCでチャンピオンになる!ということが目的であり、今回のこのル・マンは優勝とはいえあくまで通過点にしか過ぎません。鈴鹿8耐で日本に戻った時、みなさんの前でチャンピオンを披露できれば、それに越したことはありません」とコメント。既にTSRの目は夏の鈴鹿8耐(FIM世界耐久選手権・最終戦)で世界一になることに向いている。
写真協力:TSR
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