39歳の元二刀流メジャーリーガーが2度目の復帰に挑戦
大谷翔平は「ベーブ・ルース以来の二刀流選手」だが、約20年前にも投打の両方で大谷並の才能を誇った選手がメジャーにもいた。
その選手の名前はリック・アンキール。
高校最終学年だった1997年には、11勝1敗、防御率0.47、74投球回数で162奪三振の驚異的な成績を残してアメリカ唯一の全国紙であるUSAトゥディ紙の全米最優秀高校生選手に選ばれた。左腕のアンキールは無安打無得点試合が3回、1安打試合も4度達成した怪童だった。打つ方でも打率.359、7本塁打、27打点を挙げていたが、メジャーのスカウトたちは打者よりも投手としての才能に惚れ込んだ。
2年間のマイナー生活でも圧倒的な力の差をみせ、19歳でメジャーデビュー。翌2000年には30試合に先発して11勝7敗の成績でセントルイス・カージナルスの地区優勝に貢献。アトランタ・ブレーブス相手のプレーオフ地区シリーズでは、大切な第1戦の先発に抜擢されてグレッグ・マダックスと投げ合う。2回までは無得点に抑えたが、3回に突然コントロールを乱し、5球も暴投を投げ、4四球、2安打を許して降板。
ブレーブスを退けたカージナルスはリーグ優勝決定シリーズでニューヨーク・メッツと対戦。アンキールは第2戦の先発を任されたが、初回から捕手が捕れない暴投を5球投げて、1イニングも持たずに降板。第5戦でもリリーフ登板したが、ワイルドピッチ2つ、四球も2つとストライクが入らなくなってしまった。
マイナーに降格してもアンキールの暴投癖はなかなか治らなかったが、2004年にはマイナーで23.2イニング投げて23奪三振、2四球。シーズン終盤には3年半ぶりにメジャーのマウンドに戻り、10回を投げて9奪三振、1四球を記録。2005年には完全復活が期待されたが、春のキャンプ中にいきなり打者転向を宣言。マイナーで経験を積んで、2007年8月には打者としてメジャーのフィールドに戻ってきた。
カージナルスではアルバート・プーホルスと一緒に打線の主軸を任せられ、2008年には25本塁打を放っている。
キャリア晩年には4年間で5チームを渡り歩くジャーニーマンとなってしまったが、プレーオフの試合で「先発投手としての登板」と「先発野手としてホームラン」の両方を記録したのはメジャーの長い歴史の中でベーブ・ルースとアンキールの2人だけである。
2013年のシーズンを最後に野球を引退したアンキール。
この夏は「ブルーグラス・ワールドシリーズ」という元メジャーリーガーが多数参加する大会に参加している。
この大会にはアンキール以外にも、今年野球殿堂入りを果たしたチッパー・ジョーンズ(元ブレーブス)、ボストン・レッドソックスとニューヨーク・ヤンキースでワールドシリーズを制したジョニー・デーモン、サイ・ヤング賞投手のジェイク・ピービー(元パドレス他)らメジャーでトップクラスの実績を残した選手が多数参加。
この大会に投手と外野手の二刀流で出場しているアンキールは、ヤフー・スポーツのティム・ブラウン記者に「プロ野球選手としてもう一度復帰することを考えている」と打ち明けた。
ブルーグラス・ワールドシリーズのマウンドに登ったアンキールの速球は89マイル(142キロ)を計測。20年前には97マイル(155キロ)を出していたが、投手として最後にメジャーで投げてから14年も過ぎており、球速ではなく投球術で勝負するつもりだ。
「この挑戦で失うものなど何もない」と言うアンキールは「恐怖心もないんだから、挑戦するべきだろう」とブラウン記者に復帰に向けた気持ちを打ち明けている。
2人の男の子の父親であるアンキールは「子供たちは俺が投げている姿を1度も見たことがない」と復帰を思い立った理由も説明。
来春のキャンプでリリーフ投手として参加するチャンスを与えてくれる球団を探している。
14年も投げていない39歳がメジャー復帰を目指すのは現実的ではない夢物語かもしれないが、アンキールは本気だ。
アンキールが投手を引退して、打者転向を宣言したときも多くの人たちは彼の選手生命を終わったと思ったが、彼はメジャーに戻ってきた。また、大谷の「二刀流挑戦」も少し前までは非現実的と思われていた。
周りの声に惑わされるのではなく、自分自身を強く信じて目標に向かって歩んでいけば、夢は掴み取れる。
来年の春にはオープン戦でもいいので、投手・アンキール対打者・大谷の「二刀流対決」を見てみたいものだ。