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教員は授業で現実の政治的事象をとりあげるようになるのか、文科省の会議が提言

前屋毅フリージャーナリスト
(写真:cap10hk/イメージマート)

 政治を教えるなんて簡単にできるはずがない。起きたこと、起きている時事問題が「知識」だけなら、とても主権者とはいえない。社会の動きを知り、自分の頭で考え、実践につなげてこそ主権者である。

 その主権者教育について、文科省は教員に「中立性」をやかましく求めている。「教員は政治的意見をもってはいけない」ということになりかねず、それが社会人として好もしい姿なのかどうか疑わしい。おかしな理屈ではあるが、萩生田光一文科省も「中立は難しい」と認めている。主権者教育とは難題そのものなのだ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/maeyatsuyoshi/20210227-00224865/

 主権者教育の今後の在り方を検討している文科省の「主権者教育推進会議」の第18回会合が2月19日に開かれ、「最終報告案」が示された。

 そこには、2019年度に高校などを対象にして文科省が実施した「主権者教育(政治的教養の教育)実施状況調査」の結果が載せられている。それによれば、19年度に高校3年生に対して主権者教育を実施したと回答した割合は全体の95.6%にも達している。大半の高校で主権者教育が行われた、ということだ。

 しかし、「現実の政治的事象についての話し合い活動」に取り組んだ割合はといえば、34.4%でしかない。主権者教育をやったといいながら、大半の学校が現実の政治的事象をとりあげていないのだ。現実に起きている政治を無視していては、なんのための主権者教育なのだろうか。

 現実の政治的事象をとりあげることは文科省が「通知」で指示していたことである。それが守られていなかった、ということだ。

 なぜ、現実の政治的事象は無視されたのか。「最終報告案」には、注釈として次のように記されている。

「主権者教育推進会議における議論では、過度に政治的中立性を意識するあまり、授業において現実の具体的な政治的事象を取り扱うことを躊躇しているのではないかとの指摘があった」

「(政治的事象をとりあげるべきとした)19年度通知において『指導にあたっては、教員は個人的な主義主張を述べることは避け、公正かつ中立な立場で生徒を指導すること』とされていることに関連し、授業において議論を深める場合の指導上の工夫として教師が個別の課題に関して特定の見解を取り上げることもさけるべき、と受け止められているケースもあるのではないかとの指摘もあった」 

 教員が自分の見解や意見を述べることを躊躇した。その結果が、政治的事象を扱わない中途半端な主権者教育になったというわけだ。

 これを踏まえて「最終答申案」は、躊躇する現状を乗り越えて19年度通知で示した政治的事象について話し合うことを各学校や教育委員会に求める提案をしている。

 教員が自らの見解や意見を生徒に押しつけることになってはいけない。かといって、まったく述べないのは、見解も意見もない「みっともない大人の姿」をみせることにしかならない。

 教員自身の見解や意見も、生徒にとってはひとつの「見方」である。それも生徒が幅広く考えることにつながる。それを躊躇させたのは、なぜなのだろうか。そこを問題にする必要がある。

 教員もふくめて生徒同士でも活発な話し合いができるようにできるかどうかが、今後の主権者教育を意味あるものにできるかどうかを左右する。政府も文科省も、ほんとうの主権者教育をつくっていく覚悟はあるのだろうか。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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