熊本地震から半年、10個の教訓と課題
本日で、熊本地震の本震から半年を迎えます。度重なる地震、次々と来襲する台風、そして、阿蘇山の噴火と、続発する災害に苦悩する熊本の方々に心からお見舞い申し上げます。いち早く、普段の生活に戻れることを願ってやみません。
さて、地震から半年を経て、私が感じた10個の教訓を取り上げてみたいと思います。
地震、台風、噴火と続く複合災害
被災地・熊本は、南北に引っ張られてできた別府-島原地溝帯にあり、我が国最大の断層・中央構造線の西側延長部に位置します。この地溝帯には、別府-万年山断層、布田川断層、日奈久断層などの活断層や、九重山、阿蘇山、雲仙岳などの火山があります。阿蘇山は、霧島山、桜島、開聞岳、口永良部島などと共に、霧島火山帯にも属します。また、夏から秋にかけては台風の通り道にもなり、震災後、九州に上陸・接近した台風は3つもありました。
政府・地震調査研究推進本部によれば、日奈久断層は全国の活断層の中で地震が発生する可能性が高いグループに属するとされています。熊本地震で活動しなかった断層西側の日奈久区間や八代区間では、高い確率が評価されおり、今後も注意が必要だと思われます。
大きな地震の前後には周辺での地震活動や火山活動が活発になります。地震や噴火で緩んだ場所では、風雨で土砂災害が発生しやすくなります。災害の複合化を踏まえた対応が必要になります。
阪神淡路大震災の百分の一だった犠牲者数
一連の熊本地震で犠牲になった方は関連死を含めて110名に及びます。そのうち、直接死は50名です。この数は、地震規模が同規模だった兵庫県南部地震の直接死5483人の百分の一程度です。なぜ、犠牲者が比較的少なかったのでしょうか。その理由は3つあると思います。
一つ目は、震度7の揺れに見舞われた場所の人口が少なかったことです。益城町と西原村の人口は合わせて4万人、これに対して、例えば神戸市の東灘区・灘区・中央区・長田区を合わせただけでも60万人になります。
二つ目は、前震によって避難所や車中に避難していた人が多く、倒壊家屋に居た人が少なかったことです。人の命に係わる全壊家屋数は、熊本地震では約8000棟、兵庫県南部地震では約10万棟です。全壊家屋数に対する直接死人数の割合が十分の一程度になっています。
三つ目は、耐震化の成果です。新耐震設計法は1981年に導入されました。国土技術政策総合研究所と建築研究所による益城町激甚被災地での家屋被害調査によると、1981年5月より前の建物の無被害率は5.3%、1981~2000年は20.3%、2000年以降は61.3%と大きな差があります。新耐震設計法導入から35年が経って、新しい建物の割合が増えたため、被害が半減したと思われます。
このことから、首都直下地震のように人口が集中する大都市を直下地震が不意打ちしたら、遥かに大きな被害になることが想像されます。
防災拠点の大切さ
熊本地震では、6つの基礎自治体で庁舎機能を維持できず、庁舎外で業務を続けることになりました。これらの建物の外観を見ると、壁の量が相対的に少なく感じられます。庁舎を失うと、自治体の災害後対応は困難を極めます。震度7の揺れを受け、庁舎を退去した益城町と無傷の庁舎を継続使用できた西原村とでは、災害後の対応や復旧・復興のスピードに差があるように感じられます。小中学校の耐震化を優先し、庁舎の耐震化が遅れている基礎自治体も多くあります。
災害対応の拠点である市町村の庁舎に関しては、災害後の業務継続を考え、十分な耐震性を付与することが望まれます。最低基準である現行の耐震基準は、多くの場合、概ね一定の建物の揺れに対して安全性を検証しています。したがって揺れやすい柔らかい建物は想定している地面の揺れは小さくなります。また、軟らかい地盤の揺れは堅い地盤より強い揺れになります。従って、堅い地盤の上に堅い庁舎を作ることが望まれます。
また、地震の頻度が小さい地域の耐震性を低減する地震地域係数は、活断層の多い地域では小さな値となっています。活断層による地震が起きても業務継続すべき庁舎や消防・警察・病院などの建物では地震地域係数による低減を見込むべきではないと思われます。一般に、壁の多い建物には大きな余力があります。いざというときの砦となる庁舎建築の在り方を考え直したいものです。
非構造部材や設備の損傷に要注意
建物の構造は大丈夫でも、天井の落下によって使えなかった避難所が多くありました。また、いわゆる非構造部材や天井クレーンなどが落下したり、設備が損壊して操業ができなくなった工場も多く見受けられました。什器や設備・機械の転倒によって、大きなダメージを受けた事例も多くあります。生活や業務の維持のためには、建物の構造だけでなく、様々な耐震対策が必要になります。改めて身の回りのチェックをしてみてください。
対応人員が不足する小さな町村
市町村の職員は、おおむね人口に比例します。例えば、人口6900人の西原村の職員数は66人、防災担当はたった1人です。ですが、災害時の仕事の量は、自治体の規模には比例しません。このため災害時には、小さな市町村では、災害対応にあたる人員が大きく不足します。また、小さな市町村では、災害時に重要な役割を果たす土木や建築などの専門性をもった技術職員の数も限られます。これをカバーするのが都道府県や国の役割ですが、ふだんは住民に接する機会が少なく、基礎自治体の仕事に精通しているわけではありません。従って、周辺の基礎自治体や、被災経験のある基礎自治体の支援が望まれます。こういった全国的な基礎自治体の支援ネットワークを作っておく必要があります。
役にたったプッシュ型支援
我が国の災害対応の基本は、基礎自治体が都道府県に支援を要望し、さらに都道府県が国に要望をする形をとります。これをプル型支援と言います。ですが、甚大な被害を受けた基礎自治体には、支援内容を取りまとめて要望をするゆとりはありません。熊本地震では、国が主体になったプッシュ型の物資支援がはじめて本格的に行われました。プッシュ型支援は被災地に安心感を与え大変有効でしたが、一部、仕分け作業が滞ったり、最後の配送が滞ったりする問題も生じました。物流に不慣れな役人に代わって、物流のプロの民間企業の協力を得ることが今後の課題だと思われます。
緊急輸送路とライフラインの確保
熊本地震では高速道路の跨道橋が落橋したり、列車が脱線したりして、道路や鉄道と言った陸路に障害が生じました。とくに、高速道路などの高規格道路の障害は、緊急車両の通行に大きな影響を与えました。高規格道路の多くは1次緊急輸送路に指定され、災害時に最も重要な役割を果たします。道路そのものが大丈夫でも、道路の上にある構造物の安全性が十分でないとその役割を果たせないことが熊本地震で明らかになりました。
道路は、国土交通省、高速道路株式会社、都道府県、市町村など、管理主体が多岐にわたります。このため、建設業者や重機が不足する復旧期には相互の連携が不可欠です。高速道路は、インターチェンジで通行制限ができますが、一般道ではそれは困難なため、緊急車両を優先することが難しくなります。道路と同様に多数の組織が関わることによる安全性の問題は、港湾や航路、水道にも当てはまります。また、電気やガスも、自由化によってその安全性確保に多少の懸念もあります。社会に不可欠なインフラやライフラインの安全性について、今一度、社会的な議論が必要だと思います。
災害情報の活用
熊本地震では、残念ながら本震の震度7情報が公表されたのは4日後の4月20日でした。遅延の原因は、町村と県との通信の不具合だったようです。このことも含め、災害時に最も重要となるのは、正確な情報の速やかな交換です。近年、スマホなどの携帯通信端末が普及し、インターネットの活用が当たり前になりました。ツイッターやラインなどのSNS、グーグルやヤフーの検索情報、カーナビなど位置情報を含むITS情報など、種々のビッグデータをクラウド環境を利用してリアルタイムに利用できるようになりました。熊本地震でも、防災科学技術研究所をはじめ、災害情報を有効に活用した事例が多々認められました。IoTとかICTとか横文字3文字が氾濫する時代ですが、これらをうまく活用し、限られた資源を有効活用することの大切さが改めて分かった災害でした。
罹災証明と応急危険度判定、遅れる公費解体
熊本地震で課題となったのは罹災証明と公費解体の遅滞です。応急仮設住宅への入居や生活再建支援制度などの支援を受けるには、住家の経済的損失を証明する罹災証明が必要となります。また、地域の復旧・復興のためには倒壊家屋の撤去が不可欠です。ですが、罹災証明や公費による解体撤去に時間がかかっています。
罹災証明遅滞の原因は、人員不足です。一般に、家屋の被害調査としては、危険度を判定する応急危険度判定、財産的損失を判定する被災度判定、地震保険算定に関わる損害認定の3つがあります。判定者の人数は限られますので、残念ながら大きな災害では人的資源の不足で、判定が遅れます。その結果、復旧復興の基礎となる罹災証明の発行が遅れます。3つの被害調査を共有化したり、手間を省くシステム化をするなどして、早期に罹災証明を発行できる体制を整える必要があります。
また、公費を使った解体のためにも、様々な手続きが必要で、解体業者も限られます。倒壊した家屋には住民の大切なものも残されてもいます。丁寧な解体をすればさらに時間を要します。家屋の解体を進め更地にしなければ、土地区画整理事業などによる災害復興も遅れてしまいます。今後の大規模災害に備え、できることから改善する必要があります。
事前準備と共助の力が活きた西原村
西原村の人口は6900人、役場職員はたった66人で、防災担当も1人しかいませんでした。常備消防は出張所しかなく11名の職員と救急車・ポンプ車各1台での運用でした。警察も駐在所しかなく、24時間対応可能な病院もありませんでした。このため、255人いる消防団に多くの災害対応を委ねていました。消防団には24台もの消防車があり、常備消防の25倍くらいの力を持っています。多くの村民は消防団OBでもあり、村ぐるみで災害に立ち向かう雰囲気がありました。
さらに、昨年の8月30日には発災対応型防災訓練を実施し、倒壊家屋から生き埋めの人を救出する訓練もしていました。この結果、本震の後、消防団員が救出、安否確認などを進め、夜明け時点では行方不明者がゼロになっていました。倒壊家屋のがれき撤去や復旧工事も、消防団や村民が中心になって行われました。十分な事前準備と共助力が、災害被害を減らし早期の復旧・復興を成し遂げるということがよく分かります。
発生が確実視されている南海トラフ地震は、地震規模が遥かに大きく、その被害は、最悪、熊本地震の6000倍の犠牲者、300倍の全壊家屋数が予想されています。また、首都直下地震では、地震規模は熊本地震と余り変わりませんが、500倍弱の犠牲者と75倍の全壊家屋数が予想されています。桁が違う被害を前にして、熊本地震から何を学ぶべきか、皆で考えていく必要があります。