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熊本地震の本震から8年、能登半島地震と対比してみる

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
著者撮影

2度の震度7の揺れに見舞われた熊本地震

 熊本地震の本震から8年を迎えます。2016年4月16日(土)の未明1時25分ごろにマグニチュード(M)7.3の地震が発生し、益城町と西原村で最大震度7を観測しました。この地震の28時間前の4月14日の21時26分ごろにも、M6.5、最大震度7の前震が発生していました。2つの地震の震源は近接しており、日奈久断層と布田川断層が交差する辺りに位置します。前震は日奈久断層の北東部、本震は布田川断層を震源断層とする地震でした。何れも直下の地震で、緊急地震速報は間に合いませんでした。

 これに対し、能登半島地震はM7.6と地震規模が大きく、最大震度は同じ7ですが、熊本地震よりも揺れが長く続きました。また、海底の活断層が活動したため津波も発生しました。この地震では4分前と13秒前にM5クラスの前震があったため、本震発生の直前に緊急地震速報が発せられていました。

前震により直接死が減じられた熊本地震

 熊本地震では震源域周辺での地震活動が活発でした。前震と本震の間には、最大震度6強、6弱、5強の地震が各1回、5弱の地震が3回も発生しました。このため、前震後に多くの住民が避難所や車中に避難していました。おかげで本震が起きたときには、倒壊した家屋の中にいた住民が多くはありませんでした。その結果、8,667棟もの全壊家屋でしたが、直接死は50人でした。これは、10万棟の全壊家屋で、5,500人もの直接死を出した阪神・淡路大震災と比べ1オーダー少なく、8,581棟の全壊家屋で230人の直接死となっている能登半島地震と比べても、1/5程度になっています。このことは、南海トラフ地震臨時情報による事前避難の大切さを示しているように思います。

度重なる余震で多くの関連死が発生

 本震後にも、最大震度6弱や6強の余震が4回も発生し、震源が東に隣接する別府-万年山断層帯にまで広がりました。10月8日には、阿蘇山も噴火しています。活発な余震活動の中、住民は車中泊などの避難生活を余儀なくされました。このため、226人もの関連死が発生しました。現在15人の能登半島地震と比べて非常に多く感じます。ただし、熊本地震でも、地震発生3か月後の時点での関連死は20人で、半年後に71人、1年後に178人と増えました。これは、弔慰金支給との関りで関連死の認定に時間がかかるためです。能登半島地震でも、今後、弔慰金支給の委員会が開催されると、関連死が増える可能性があります。

 なお、日奈久断層の南西部では長らく地震が起きていませんので、今後の地震活動を注視する必要があります。

震度7を観測した西原村と益城町

 震度7の揺れに見舞われた益城町と西原村の人口は約32,500人と6,600人、世帯数は約11,100と2,300でした。両町村の全壊棟数は、3,214棟と852棟でしたので、家屋の3割程度が全壊したことが分かります。また、直接死は20人と5人でした。これに対して、能登半島地震で最も大きな被害を出した輪島市と珠洲市の人口は、約23,100人と12,600人、世帯数は11,400と5,800です。全壊家屋数は3,824棟と2,500棟ですから、熊本地震よりも家屋被害が多かったことが分かります。直接死も103人と97人に上ります。実は、家屋被害数は世帯数を上回っており、高齢化と過疎化による空家の多さが原因しているとも言えそうです。

熊本と比べ避難者がなかなか減らない奥能登

 熊本地震での住宅被害は約20万7千棟、能登半島地震は11万6千棟です。これに対して、避難者の数は、最大時で18万4千人と3万4千人でした。これは、震度6強以上の揺れを観測した市町村の人口が約73万1千人と12万4千人と差があることから、被災者人口による違いだと言えそうです。一方、3か月後の避難者数は、4,600人と8,100人と、2つの地震で逆転してしまっています。この原因は、住まいの確保とライフラインの復旧スピードの違いにありそうです。熊本では3か月後の時点では1,400戸ほどの仮設住宅が完成し、断水もほぼ解消されていましたが、奥能登では仮設住宅は900戸程度に留まっており、8,000戸程度が断水のままです。この差は、立地特性に大きな原因がありそうです。

周辺からの支援が届きやすかった熊本

 熊本地震と能登半島地震の支援状況を比べると、発生日時と立地特性の差が感じられます。春の土曜未明に起きた地震と元日の日没前に起きた地震では、発災時対応に差が生じます。また、被災地の中に政令市の熊本市がある熊本と、県庁所在地が100キロも離れている奥能登では、支援力にも差ができます。さらに、阿蘇大橋が崩落した阿蘇を除けば、平坦で四方八方から支援しやすい熊本に比べ、幹線道路が1本しかなく、毛細血管のような道路が多い半島先端部では、災害後の道路確保も困難になります。

2つの地震から未来の日本社会を考える

 熊本では、今、大規模な半導体工場が建設され、まちが活気に満ちています。今秋には、防災推進国民大会の開催も予定されています。一方で、能登の孤立集落の人たちの逞しさも感じます。家屋が無傷であれば、井戸や湧き水、浄化槽や汲取り便所、プロパンガスの軒下備蓄、豊富な保存食、地域の中での助け合いなど、都会ではない生きる力が備わっています。耐震化を進めれば地産地消の自律・分散・協調型社会の見本になりそうです。空家を活用した2拠点居住で都会の若者を集めて地域を活性化し、再生可能エネルギーや蓄電池、非常時の通信手段などを整備すれば、長期間孤立しても行き抜いていけます。

 熊本や能登は未来の日本の縮図です。熊本地震と能登半島地震を対比しつつ、これからの日本の社会の在り方を考えてみてはどうでしょう。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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