ビワマスが帰ってきた! 手づくり魚道が生む「問い」と「対話」。地域が創る「小さな自然再生」の現場
試行錯誤から生まれた「命の道」
かつて琵琶湖につながる川では、秋風の吹く頃になるとビワマスが遡上する姿をあちらこちらで見ることができた。川で生まれたビワマスの稚魚は翌春、湖に下る。そこで3、4年過ごした後、生まれた川に戻り産卵し生涯を終える。
別名「あめのいお(雨の魚)」。秋雨で増水した川に群れで遡上することからこう呼ばれる。食材としても愛されている。上品な脂でトロに似た甘みがあり、漁業者からは「琵琶湖の宝石」と呼ばれる。
古くから湖国の暮らしに密接に関係していたが、近代以降の河川環境の変化によってビワマスが見られる場所は少なくなっていた。
しかし、そうした状況を変えるような出来事が起きているという。
それを確かめるべく、11月20日、滋賀県琵琶湖環境科学研究センターの佐藤祐一専門研究員に以下の3つの川を案内してもらった。佐藤さんはこれらの川に設置された手づくり魚道(ぎょどう/魚のための通路)に携わっている。
人々が口にしたビワマスへの思い
最初に向かったのは家棟川(やなむねがわ)。
ここでは2011年、琵琶湖に生息する貴重な魚類を守りたいとの思いから、地域の人たちが川の生態系調査を始めた。その結果、在来魚23種が棲息しているとわかったが、集まった人が口々に語ったのはビワマスのことだった。脳裏には、家棟川を遡上し、懸命に産卵して命を終えるビワマスの姿が鮮明に刻まれていた。
60年ほど前、ビワマスは産卵のために家棟川から中ノ池川を通り、JR野洲駅近くの祗王井川まで遡上していた。しかし、中ノ池川に2.9メートルの落差工ができた。落差工には、川底を階段状にすることで洪水のエネルギーを集中させ、エネルギーを減らす役割がある。だが、ビワマスが遡上するには大きな壁となった。
そこで2015年8月、「家棟川・童子川・中ノ池川にビワマスを戻すプロジェクト」が結成され、ビワマスが遡上、産卵、繁殖できる環境の整備がはじまった。プロジェクトの活動は、産卵床の造成、遡上調査、見守りなど多岐にわたるが、ここでは魚道づくりに絞ってお話ししていく。
多様な主体で試行錯誤を繰り返す
2016年、落差工に魚道を設置する試みがはじまる。落差2.9メートルの高さをビワマスが遡上するためにはどうしたらいいか。プロジェクトメンバーは専門家のアドバイスを聞きながら、工事現場で使う単管パイプと木片を組み合わせ、階段状の魚道を作り上げた。8つの水槽が少しずつ高さを変えて階段状に並び、ビワマスが1段ずつジャンプして進むことを想定したものだ。
しかし、3段目までは到達できたものの、それ以上進むことはできなかった。ビワマスの体力やジャンプ力を超える設計だった。
2017年、改良のための助成金を企業から得て、魚道のデザインを見直した。鋼製のフレームを使用し、木製の板を組み合わせた新しい魚道を製作。段差の傾斜をより緩やかにし、ジャンプの助走がしやすいよう各水槽に水を多く貯める工夫も施した。
改良後の魚道は7段あったが、水面から1段目までが高く、遡上する姿は見られなかった。どうしたらいいか。成功への道のりはまだ遠い。
2018年は、さらなる改良を加えた。新たに考案されたのは、魚道の1段目の下に半円形のますを設置し、最初のジャンプを容易にする工夫だった。
こうした小さな変化の積み重ねが大きな成果を生む。ついに1匹のビワマスが魚道を完全に遡上する姿が確認されたのだ。約3年の試行錯誤の末、初めて成果が形となった瞬間だった。
それ以降、ビワマスの遡上は年々着実に増えた。
2023年に、地元の調査員・木村實さんたちが観察したところ、遡上個体数は20匹に達した。ボロボロになった体で懸命にジャンプを繰り返し、次世代に命を繋ごうとするビワマスの姿に自分の人生を重ね合わせるなど、多くの地元の人たちの心を打った。
プロジェクトの大きな特徴は、多様な主体が協働し、「小さな自然再生」の手法を活用している点である。従来のような大規模な河川工事ではなく、地域住民や地元企業、行政、研究者が一体となり、小規模な改善を積み重ねることで、川と自然を少しずつ甦らせるアプローチだ。
手仕事であるがゆえに問いが生まれ、さまざまな試みが生まれる。すぐに結果を生むわけではないが、問いをもち、立ち止まり、思うようにならない自然と対話することで、ここにしかない魚道がつくられていく。そして、そこには何より人々の喜び、楽しみがある。
地道な活動が成果を生み、ついに大きな一歩が踏み出された。2024年3月、滋賀県が常設の魚道を整備したのである。
これまでプロジェクトで使用していた仮設の魚道は、大雨で流されるリスクがあるため毎年取り外し、大雨の降る可能性が低い秋から冬の間に再設置する手間がかかっていた。
2024年、ビワマスの遡上数は33匹に達した。なかには「生まれて初めてビワマスを見た」と語る地元の人も多い。筆者自身も、地元に長く住む人から「こんなに美しい魚がこの川を遡るなんて」という驚きの言葉を聞いた。ビワマスの姿が地域の誇りとなり、住民と川を繋ぐ新たな絆が生まれていることを感じる。
広がるプロジェクトの成果:愛知川の支流・渋川での挑戦
家棟川でのプロジェクトの成果は着実に広がりを見せている。この日、2つ目に訪れたのが、愛知川支流の渋川だ。
ここでは、毎年10月中旬から11月下旬にかけてビワマスが姿を現し、産卵のピークを迎える。しかし、渋川の途中には高さ2.5メートルの砂防えん堤があり、ビワマスの遡上を妨げていた。そのため、限られた河床にビワマスが密集し、十分な産卵場所を確保できない状況が続いていた。
こうした課題を解決するため、愛知川漁業協同組合が2021年に試験的な魚道の設置に乗り出した。この取り組みには、河川や土木の専門家をはじめ、計7人の中心メンバーが関わり、県から占用許可を取得するとともに、設置費用約120万円を市民から募った。また、県内外からの大学生や民間企業、行政職員など約50人も協力し、資機材を現場に運び込む作業を支援した。
砂防えん堤脇に設置された魚道は、単管パイプとプラスチック製のU字溝を組み合わせて作られている。遡上するビワマスの体力を保つため、緩やかな勾配に設計し、途中の折り返し地点には休憩用のスペースを設ける工夫も施された。
魚道を上りきると、その先には新たな産卵場所として期待される約300メートルの川の流れが広がる。
2022年に初めて本格的に設置したところ、魚道は早速その効果を見せた。えん堤の上流部でビワマスの姿、新たな産卵床が次々と見つかった。2023年の調査では最終的には22か所に産卵床が見つかり稚魚も確認され、生息域が広がっていることがわかった。
「小さな自然再生」の広がり:大浦川での挑戦
この日最後に訪れたのは大浦川だった。今年11月2日には「第25回『小さな自然再生』現地研修会」がここで開催され、地域住民や子どもたち、行政職員、そして河川や環境に関わる仕事の関係者など、35名が参加。研修会では、仮設の魚道を設置する作業が行われた。
筆者もこの研修会に参加し、その様子は、Yahoo!ニュース記事「ビワマスが戻る川へ!地域が挑む小さな自然再生の現場」として発信している。
18日ぶりに現地を訪れたが、魚道周辺にはビワマスが集まり、魚道を登ろうとする姿が見られた。その様子を目にして、思わず「がんばれ」と拳を握りしめてしまった。いつのまにか自分も関係者になっていたようだ。
手仕事ゆえに問いと対話が生まれる「小さな自然再生」の喜び
家棟川、愛知川、大浦川での魚道づくりを見て思うのは、決まったやり方はないということだ。地域の人たち、行政、研究者、地元企業などがいっしょになって、「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤を繰り返しながら、川と自然を少しずつ甦らせていく。
手仕事で進められるこのプロジェクトでは、問いが生まれ、試行錯誤を繰り返す中で、新たな発見や工夫が積み重ねられていく。すぐに結果が出るわけではないが、自然と向き合い、対話しながら進むプロセスそのものが「小さな自然再生」の本質なのではないか。
そして、こうした活動がもたらすものは、ビワマスの姿だけではない。川を甦らせることで生まれる、人々の喜び、楽しみ、協力なども大きな成果と言えるだろう。ビワマスが魚道を登る姿を見て涙したり、「がんばれ」と手を握りしめたりする瞬間、地域と自然が繋がっていることを実感する。その喜びが、新たな挑戦の輪を広げる原動力となり、未来へとつながっていく。