森会長辞任、その功罪とは
もはや「いつ」だけが問題だった。12日、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が「女性蔑視発言」の責任を取る形で辞任を表明することになった。是非はともあれ、こういう場合、森会長のスポーツ界における功罪を伝えるべきだと思う。
「女性がたくさん入っている理事会の会議は、時間がかかります」。オリンピック運動の先頭に立つ大会組織委員会の森会長の3日の問題発言は、男女格差の解消に向けて取り組んできた国際オリンピック委員会(IOC)の努力も、男女平等を謳うオリンピック精神もないがしろにするものだった。時代錯誤ともとれる83歳の失言は言語道断である。一刻も早く、会長職を辞任すべきだと思っていた。東京五輪・パラリンピック大会のため、日本のスポーツ界のため、そして畏敬の念を抱く森会長ご本人のため、である。
でも、IOCのほか、大会組織委員会、政府などの周囲の対応は無責任なものだった。発言の翌日4日の無策の囲み会見は火に油をそそぐ結果となり、多くの人々の憤りを買った。東京五輪・パラリンピック大会を支える聖火ランナー、ボランティアの相次ぐ辞退を招き、世論の猛反発、辞任要求の署名運動、ついにはオリンピックの公式スポンサー、オリンピックの放送権を持つ米NBCテレビからの批判も受けた。
スポンサーの意向に敏感なIOCも手のひら返しで森会長たたきに回り、遅ればせながら、辞任に追い込まれることになった。結局、辞任のタイミングは遅きに失した感がつよい。森会長に決断を促せなかった周囲の体たらく、国際感覚の欠如、および危機意識の希薄さは致命的である。
でも、言いたい。日本スポーツ界において、森会長の功績はとてつもなく大きい。2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会、2020年東京五輪・パラリンピック大会の招致成功の一番の功労者は間違いなく、森会長である。両大会の招致活動を取材して、森会長の奮闘ぶりは筆舌に尽くし難いものがあった。
元ラガーマンの森会長は義理人情の人である。調整の人、気配りの人である。大学ラグビー部の後輩で、イラクで凶弾に倒れた外交官の奥克彦さん(2003年没、享年45)の夢や、日本ラグビー協会の元会長、町井徹郎さん(2004年没、享年69)の遺志を受け継ぎ、森会長はラグビーW杯日本大会招致委員会の会長に就いた。森会長は2007年ラグビーW杯フランス大会の際には深夜遅くまで酒を飲みながら、投票権を持つ国際ラグビーボード(現ワールドラグビー)の理事たちを説得したものだった。
日本での2019年ラグビーW杯開催が決まったのが、2009年の夏の夜だった。森会長はこう、漏らした。「おふたりの霊を何としても慰めたい。その一心で(招致活動を)やってきたのです」と。
東京五輪・オリンピック大会招致の時も同じようなもので、多忙な仕事の合間を縫っては世界各地を強行日程で飛び回り、IOC委員に対して東京をアピールした。元首相という政治パワーもあろうが、やはり大会招致にかける執念、熱量には凄まじいものがあった。東京五輪・パラリンピック大会も日本にきた。この時は2013年9月のブエノスアイレスのIOC総会だった。決定後、森さんは子どものように顔をくしゃくしゃにしていた。
政治家としてはともかく、日本ラグビー協会や日本スポーツ協会(前日本体育協会)の会長を歴任した森さんのスポーツにかける思いにウソはなかったと思う。森さんのお陰で、日本のスポーツ界のプレゼンスは上がった。2011年のスポーツ基本法の公布も、2015年のスポーツ庁の発足も森さんなしでは円滑には進まなかっただろう。
だが森さんももう高齢となった。がんの手術を経ながらも、日本のスポーツ界の発展のため、東京五輪・パラリンピック大会の準備のため、尽力してきた半生だった。ただ、誰であれ、長年トップの座に居続ければ、本人も周りも感覚が鈍る。五輪開幕まで5カ月余。こんな哀しい辞任劇とは、残念でならないのである。