総務省接待問題の背後にある目には見えない電波利権の深い闇
東北新社から高額接待を受けた山田真貴子内閣広報官は、3月1日の衆議院予算委員会の集中審議を前に体調不良を理由に入院し、辞職することになった。
委員会で山田氏を追及しようとしていた野党は肩すかしを食らったが、しかし直前までは本人も菅総理も辞任を否定していたのだから、国民にとっては何が何だかわからない。菅政権のちぐはぐな対応に呆れ、攻撃の矛先は官僚でなく菅総理に向かうことになるだろう。
私は前回のブログで、メディアの報道が「接待」を受けた官僚の倫理問題に終始することに警鐘を鳴らした。この問題は菅総理の金脈と人脈という「急所」を突いている。それなのにそちらに目を向けさせないよう「接待」の異常さだけがクローズアップされていた。メディアは「接待」の背後にある金脈と人脈に目を向けるべきだと書いた。
そして今回も、政権運営の拙劣さは問題だが、この問題の背後には菅総理の金脈と人脈以上の深い闇がある。それを書こうと思う。国民には知らされていない闇が、我々の目には見えない巨大な利権がこの国を覆っている。東北新社による総務省幹部の接待時期がそれを物語る。それは電波利権の闇である。
1日の予算委員会で共産党の塩川鉄也衆議院議員は、接待の時期が2018年の5月から2020年の12月までであることを取り上げ、それは総務省が衛星放送の電波割り当てを検討する有識者会議の報告書と関係があるとして、有識者会議に関わった官僚の何人が接待されたかを質した。
2018年5月の有識者会議の座長は小林史明政務官で、報告書はBS放送事業者の電波を圧縮して空きを作り、そこに新規参入を認めようとするものだ。そうなると東北新社のような既存の放送事業者には競争相手が増えて収益が減る恐れがある。
そうでなくとも衛星放送はインターネットに押されて視聴者が増えない。今や若者はテレビよりネットで映像を見たり情報を得ている。そこから衛星放送事業者の代表格であり、しかも菅総理の長男を抱える東北新社が、自分たちの業界に有利な報告書に変更させるべく接待攻勢を始めた。
東北新社がBS放送「スターチャンネル」の電波の一部を返納するなどして、空いたところにジャパネットホールディングス、吉本興業、松竹ブロードキャスティングの3チャンネルが加わった。その見返りを得るため東北新社は総務官僚に接待攻勢をかけた。2018年5月から2020年4月まで21回の接待を行い、うち19回は有識者会議に関係する官僚を接待した。
その結果、報告書の見直しが始まることになる。その方向が固まった2019年11月に総務省ナンバー2の山田真貴子総務審議官が接待を受けた。おそらく東北新社の要望が受け入れられる方向になったので、お礼の意味を込めて高額接待になったと思う。
そして2020年4月に有識者会議が再開され、12月に新たな報告書が作成された。すると2018年には電波の空いたところを「公募か新規参入者を割り当て」としていたのが、2020年には「4K事業者に割り当てるべき」となり、さらに衛星放送業界が要望していた「衛星使用料金の低額化」が盛り込まれた。
「週刊文春」が公表した2020年12月の会食の音声データには、2018年の有識者会議の座長であった小林政務官に批判的な言動が記録されている。そこから放送業界に新規参入を増やそうとする小林政務官と、既得権益を守ろうとする業界と官僚との対立構図が浮かび上がる。
菅総理は「たたき上げ」の政治家らしく「既得権益の打破」を掲げているが、長男を総務大臣秘書官にして官僚との接点を作り、さらに同郷の放送事業者が経営する東北新社に送り込み、東北新社は長男を「囲碁将棋チャンネル」の取締役に据えた。
東北新社は菅総理の長男が入社したことで、総務省の官僚に対し放送業界の既得権益を代表して要望する行動をとる。今回の接待問題はそれを示した。そして菅総理の長男は父親の政治的主張に真っ向から反することをやった。菅総理はその認識を具体的な行動で示さなければ、その主張を誰からも信用されなくなる。
電波は目に見えない。見えないからどんな世界があるのかも国民は知らない。一方で電波は国民の共有財産である。国民の財産であるから電波を勝手に私物化することは許されない。そのため総務省が許認可することになっている。ところが総務省は電波を国民の見えるところで割り当てることをしない。見えないところで決めるからこれは利権となる。
それに目を付けたのが政治家や既存メディアである。私はかつて記者として旧郵政省を担当した。その時に「波取り記者」の存在を知った。新聞記者が取材のためではなく電波を貰うために郵政省に通ってくる。新聞社が民放の地方局を系列下に置くためだ。
波取り記者は政治家の威光を背に官僚に圧力をかける。旧郵政省の放送免許に力があったのは39歳で郵政大臣になり、テレビ局の大量免許を行った田中角栄氏である。だから田中派担当記者が「波取り記者」をやらされる。そこで有名なのが、朝日新聞社が田中に頼み「日本教育テレビ(NET)」という教育専門局を総合放送局の「テレビ朝日」にしたことだ。
田中政権下の1975年、TBSの系列にあった大阪のABCがテレビ朝日系列になり、TBSは毎日放送と系列になるよう指導された。それを機に日テレと読売、フジと産経、テレビ東京と日経という系列関係が完成する。世界では新聞とテレビの系列を認めない。相互批判がなくなり民主主義にとって良くないからだ。日本ではその逆が起きた。
テレビは総務省の許認可事業であるから、テレビが政府を批判するのは限界がある。新聞は政府の許認可事業ではないので政府批判は自由である。ところが新聞とテレビが系列化したことで、新聞社はテレビ局同様に政府批判をできなくなった。しかも新聞とテレビが一体化したため、その負の実態を国民には知らせない。だから国民は知らない。
もう一つの重大な事例はBS放送である。世界にBS放送はない。なぜ日本だけにBS放送があるのか国民は知らない。日本がBS放送を始めた理由は、日米貿易摩擦で米国からの輸入を増やさなければならない時に、米国が打ち上げをやめたBSを買ってきたからだ。
衛星放送にはBS(放送衛星)とCS(通信衛星)の2つがあり、出力の大きいBSは打ち上げに金がかかる。CSはそれより安く打ち上げられるが出力が小さい。デジタル技術が登場する以前はCSを受信するのに大きなアンテナが必要だった。家庭の小さなアンテナで受信するにはBSでなければならなかった。
米国はBSを打ち上げようとしたが、デジタル技術の登場によりコストの安いCSで衛星放送を始めた。しかもCSでは100チャンネル程度の「多チャンネル放送」が可能である。コストが安いため視聴者の負担も軽減される。米国のテレビ界にはベンチャーが新規参入し、地上波の既存勢力と棲み分けることになった。
ところがその頃、日本ではNHKとソニーがハイビジョン放送で世界をリードしようとしていた。そしてハイビジョンはアナログでなければ駄目だと言われた。日本はデジタルに向かわず、アナログハイビジョンに力を入れ、世界の流れから取り残される。ソニーは世界に冠たる放送機器メーカーだったが、デジタルに乗り遅れてその地位を失った。
一方でその頃、海軍出身の中曽根元総理とそのブレーンである元陸軍参謀の瀬島龍三氏が、戦前の日本を復活させようと考えていた。戦前の日本には世界から情報を収集し、同時に世界に日本を発信する国策会社があった。同盟通信という。しかし戦争に負けると占領軍は同盟通信を戦争推進の媒体として解体し、共同通信、時事通信、電通の3社に分割した。それを復活させようというのが中曽根―瀬島の野望だった。
そこで目を付けたのがNHKである。NHKを世界に冠たる放送局にして、情報収集と情報発信の任務を負わせようと考えた。そのため米国が打ち上げをやめたBSを買ってきてNHKに打ち上げさせた。名目は難視聴対策である。離島には電波が届かないのでBS放送をやると説明された。
しかしそれは嘘であった。NHKが始めたBS放送は地上波放送と内容が異なる。難視聴対策なら地上波と同じ放送をすべきなのに、映画やメジャーリーグ中継など地上波とは別の放送が始まり、料金も地上波とは別に取る。そこからNHKの肥大化が始まった。
一方で総務省は米国のような多チャンネル放送のスタートを遅らせた。国民の多くがBSに加入するのを見届けて、CS放送やケーブルテレビなど多チャンネル放送をスタートさせた。そのため新規参入業者のいる多チャンネルは最初から苦戦を強いられた。
チャンネル数に限りのあるBS放送に参入できるのは、NHK以外では民放や新聞社を後ろ盾とするチャンネルである。要するに日本では既得権益が優先され、新規参入業者には高いハードルが設けられた。
それではBS放送によって、中曽根元総理や瀬島龍三氏が考えた戦前の同盟通信と同じ機能をNHKが持ちえたかと言えば、それは違う。NHKがBS放送を始めた頃の島桂次会長は、世界的なニュースネットワークを作る野心を抱き、CNNのようにNHKを民営化しようとした。
ところが島会長は自民党の野中広務逓信委員長に首を切られる。BS打ち上げを巡り、国会で嘘を言ったと追及され、副会長の海老沢勝二氏に交代させられた。その迫力に旧郵政官僚は恐れをなし、NHKも野中氏の足元にひれ伏したが、しかしその海老沢時代にNHKの不祥事が噴出する。
BS放送によって肥大化したNHKは、BS放送と同時に民間子会社を持つことが認められ、金にまつわる数々の不祥事を引き起こした。それに国民が怒り、受信料不払い運動が起き、海老沢氏も会長を辞めざるを得なくなる。BS放送を始めた目的はまったく達成されていない。
それでも世界に例のないBS放送が日本では続いている。いずれはネットの世界に飲み込まれていく運命と思うが、それまでは政治家と官僚と既得権益の間で電波利権を巡る争いが繰り返されていくのだろう。
一方で、NHKをコントロールすることが権力強化につながるとの考えが、歴代の政治権力に引き継がれている。中曽根元総理は自分の派閥担当記者をNHKの中で出世させ、NHKをコントロールしようとした。野中広務氏はNHK会長の首を切ることで周囲を恐れさせ、そこからスタートし政界のドンに上り詰めた。
そして自民党内に政権基盤を持たない菅総理も、人事権を駆使して総務官僚をコントロールし、またNHK改革を行う構えを見せてNHKを自在のまま操ろうとした。しかし今、長男と総務官僚の接待問題でそのすべてを失いかねない危機に陥っている。
権力者の有為転変は世の常だから、それに一喜一憂する必要もないが、しかし権力闘争の背後にある目に見えない電波利権について、新聞とテレビは既得権益の中にいて誰も物を言わない。しかしここにこそ光を当てないと、日本は世界の流れから取り残される。