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センバツ出場校決定。期待される大偉業は……

楊順行スポーツライター
昨年は大阪桐蔭が史上3校目の春連覇。ウイニングボールを掲げるのは根尾昂(写真:岡沢克郎/アフロ)

大正・昭和・平成3元号制覇は?

 ちょっとマニアックな話題から。平成最後の甲子園大会に、大偉業がかかるチームがある。「大正・昭和・平成」の3元号での全国制覇に挑む、高松商(香川)だ。3元号にわたり、ここまでに春・夏少なくともいずれかに優勝しているのは、松山商(愛媛)のみ。1996(平成8)年の夏、「奇跡のバックホーム」で夏5回目の優勝を飾り、25(大正14)年春、32(昭和7)年春、35(昭和10)年夏、50(昭和25)年夏(当時松山東)、53(昭和28)年夏、69(昭和44)年夏に続いて平成での優勝を果たしている。

 全国に強豪数あるなか、わずか1校しか達成していないきわめて難易度の高い偉業だが、ちょっと脇道にそれると、そもそも大正期(12〜26年)に優勝している学校自体が少ないのだ。春は3校、夏は10校にすぎず、そのうち昭和(26〜89年)でも優勝しているのは、松山商のほかに関西学院(兵庫、20年夏+28年春)、高松商(24年春、25年夏+27年夏、60年春)、広島商(24年夏+29、30年夏、31年春、57年夏、73年夏、88年夏)のみ。高松商は、16年センバツの準優勝が惜しいが、四国大会を制して挑む27回目のこのセンバツは、文字通り最後のチャンスである。

 秋の北信越V、神宮大会でも準Vの星稜(石川)は、悲願の初優勝に挑む。なんといっても、昨年春夏の甲子園を経験したエース・奥川恭伸がすごい。昨秋の公式戦で喫した自責点は、石川県大会・金沢戦の4のみ。それにしても、侍ジャパンからチームに合流したばかりで、明らかに調整不足だった。復調した秋の北信越から神宮大会にかけては、7試合48回3分の1を投げて自責0と驚異的だ。その間、奪った三振65に対して四死球が3という安定感もすごい。

驚異の奪三振マシン・奥川

 北信越大会の松本第一(長野)戦では、5回コールド勝ちの15アウトのうち、10連続を含む13三振。啓新(福井)との決勝では、タイブレーク導入後初めての引き分け再試合となる15回、183球を投げ抜いた。準決勝を完封勝ちした翌日の連投でそれだから、スタミナも十分といえる。神宮大会の広陵(広島)戦では、7回を11三振。150キロ級のストレートに加え、130キロ台後半のフォークもおりまぜ、「私らの時代なら、ストレートが130キロ台でも好投手。それが、フォークであの球速ですから……」と広陵・中井哲之監督もお手上げだった。

 箕島との延長18回の名勝負、松井秀喜5敬遠など、甲子園という大河ドラマで、重要な役柄を演じてきた星稜。だがここまでは、95年夏の準優勝が最高で、あと一歩で大会の主役にはなりきれていない。チームの、そして石川勢初の優勝に期待がかかる。

 選手としてもう一人、龍谷大平安(京都)の奥村真大をあげておこう。昨夏、1年生ながら甲子園デビューを果たすと、新チームでは三塁の定位置を獲得した。持ち味は、勝負強い打撃。昨秋近畿大会の市和歌山戦ではサヨナラ打を、履正社(大阪)との準決勝は3ランを放っている。父・奥村伸一さんは、甲西(滋賀)のメンバーとして85、86年夏の甲子園に出場し、86年の三沢商(青森)との開幕戦でホームラン。真大の兄である奥村展征(現ヤクルト)も、日大山形で出場した2013年夏、日大三(西東京)戦でホームラン。過去には71年春に日大三(東京)・吉沢俊幸(元南海など)が坂出商(香川)戦で、10年春に息子の日大三・吉沢翔吾が山形中央戦で放っており、親子本塁打はこの奥村親子が2組目だった。

親子・兄弟本塁打のダブル達成なるか

 甲子園ではまた、兄弟でのホームランというのも飛び出している。2008年夏、広陵の一番・上本崇司(現広島)が、横浜(神奈川)戦で先頭打者ホームラン。03年夏にも、兄の上本博紀(現阪神)が同じ広陵の一番打者として東海大甲府(山梨)戦で先頭打者アーチを架けている。史上初めての兄弟先頭打者ホームランだ。センバツでは16年、高松商の植田理久都が創志学園(岡山)戦でホームランを打つと、兄の響が海星(長崎)戦で一発。史上初の、1大会での兄弟アーチを実現した。さてさて……もし奥村がこのセンバツでホームランを打てば、親子に続いて兄弟本塁打も達成というわけだが、果たして。

 ほかにも、神宮大会で初出場優勝した札幌大谷(北海道)。関東大会ベスト8ながら、エース左腕・及川雅貴など戦力では全国屈指の横浜。鳥取県屈指の進学校で、60年春に準優勝している米子東は、23年ぶりの出場。21世紀枠では、不幸な事故を経験した熊本西の健闘を祈りたい。

 残念だったのは、大阪桐蔭だ。昨秋の近畿大会では、初戦で橿原(奈良)に勝ったものの、2回戦で智弁和歌山に敗退。ベスト8にとどまり、西谷浩一監督が「ウチ(のセンバツ出場)は無理でしょう」と語っていた通りになった。もし出場していれば、史上初めてとなるセンバツ3連覇、そして18年の春夏連覇に続く春夏春の3連覇という偉業に挑戦と、話題性もたっぷりだっただけに、ちょっと惜しい気もするなぁ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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