戸惑うひとこそ「まずは相談」が難しい
この数週間、いじめや不登校、ひきこもりなどのキーワードがメディアを騒がせている。多くの識者がそれぞれの問題の構造を解説し、「まずは相談を」と呼び掛けている。
私は民間の若者支援団体を運営しているが、基本的に最初の相談は公的機関にすることを勧めている。公的機関が万能というわけではないが、民間団体に比べて広く相談を受け付け、無料で活用することができる。何より、戸惑うひとにとっての安心感という意味では民間団体とは比べようもないと考えるからだ。
記事や解説を見ていても、「ひきこもり地域支援センター」などが紹介されているのではないだろうか。私たちのところにも非常に多くの相談が寄せられているため、ひきこもり地域支援センターなどの公的相談窓口はパンク状態であるかもしれない。
それでも、悩みや不安、戸惑いの渦中にあるひとびとの推計値(数)からすれば、ほんの一握りのひとたちが、勇気を振り絞って相談窓口に足を運ばれているのではないだろうか。
そのようなひとたちに対して「まずは相談」と呼びかけるのは、支援機関側からは誰がどこでつらい想いを抱いているのか把握しようがないためだ。連絡があり、話を聞かせていただける機会の第一歩は、本人は難しいため、親や家族に期待するしかないのが現状とも言える。
しかし、これまで少なからず相談を受けてきた側の立場に立てば、戸惑うひとたちにとって「相談をする」という行為は非常にハードルが高いものと考えている。
誰かに何かを相談する場合、大きく三つの工程が必要だ。
1. 何が問題であるのかが整理される
2. 整理された問題が言語化されている
3. それぞれの問題に対応する適切な相談先を判断する
ひとの抱える悩みは単一の問題によって形成されているよりも、複合的な問題が複雑に絡み合っていることが多い。ときに、本人ですら気が付かない問題を内包していることもあり、それを独力で整理することは容易ではない。
同じように言語化についても、「もやもや」することが自分にとって腑に落ちる言葉に落とし込まれ、さらに他者が理解できる表現にすることの難易度は高い。逆に言えば、これらが得意であったり、幼少期から意図的でないにせよトレーニングされていたりすると、比較的容易に越えられる工程かもしれない。
この二つの段階を経て、それぞれの問題に対応する適切な相談先を探すことができて初めて相談することができる。
例えば、過去にある定時制高校の生徒と立ち話をしているとき、「進学をしたいが学費の拠出が難しい」という話があった。家庭の経済状況によって早い段階から進学はできないと思っている子どもは少なくなく、進学希望を出さないことから奨学金の情報なども入らない。
しかし、よく話を聞いてみると、確かに経済的には苦しそうな家庭であった。しかし、そもそも親との関係は断絶しており、日常生活でもコミュニケーションが取れてないことがわかった。奨学金という制度への知識不足に加え、家庭の経済問題、家族関係の問題が存在していた。
さらに、小学校の高学年から学校の勉強がわからないまま、誰にも教えてもらう機会がなかったことで学力も厳しいものだった。心の病も持っていることも教えていただいた。学費の問題から始まったが、かなり複雑な問題が絡み合っており、その学生がよい状態であるためには多くの支えが必要であることがわかった。ただ、ひとりの高校生が自身の問題を整理することは簡単ではなく、言語化するにも困難を極めた。
仮に「ひきこもり」の問題から、本人や家族に相談を呼びかけても、そもそも「ひきこもり」状態であるのかどうか、また、そうであったとしても言葉として「ひきこもり」状態であることを認識、受容しているかもわからない。むしろ、現象や状態としての「ひきこもり」であり、そこにつながる背景に多様な問題やトラブル、積み上げられたものが折り重なっている可能性も少なくない。
『ひきこもり、矯正施設退所者等みずから支援に繋がりにくい当事者の効果的な発見・誘導に関する調査研究』(NPO法人育て上げネット)において、約600名の無業の若者の調査では、支援機関を利用した若者の約半数が相談することに躊躇した経験を持っていることがわかった。
その理由も、「何を話したらいいかわからない」(55.9%)、「人に相談するのが苦手」(51.7%)、「自分が場違いじゃないか心配」(38.4%)、「支援を受けるのはダメな人だ・・・」(30.6%)と、相談をするという行為の前に、多くの戸惑いが見て取れる。
特に「支援を受けるのはダメな人だ・・・」という感覚は、他者に相談することをためらわせ、相談機関の利用で自尊心が傷ついていく可能性がある。そのため、「まずは相談」という呼びかけそのものは非常に大切であるとともに、相談をするという行動に至るには多くの葛藤を越えなければならないことを認識する必要がある。
その上で、少しでも相談することの負担を軽減するものとして、厚生労働省では積極的にLINEなどSNSを活用した相談に取り組んでいる。テキストベースの相談のため、情報量には限りがあるが、対面相談のように物理的に相談窓口に行くこともなく、電話のような声を必要としない。これまでもSNS相談の現場を見てきたが、かなり相談しやすいツールとして活用されている。
SNSほど匿名性は高くないが、Skypeなど直接的な対面を前提としないオンライン相談も少しずつ実装されている。同じく厚生労働省の施策である地域若者サポートステーションでは、一定の制約はありながらもSkypeなどでの相談ができるようになった(実際の利活用は各所による)。育て上げネットでも家族向けとしてオンライン相談をしているが、地元で相談しづらいという方からのアクセスが近年非常に多くなり、海外在住の家庭からも相談依頼がある。
相談をすることの葛藤を劇的に緩和できるわけではないが、電話や対面相談が簡単でない場合、次善策としてインターネットを活用した窓口の活用も検討してみてはいかがだろうか。逆に、公的機関には少しでも、ひとりでも相談しやすい環境設定をお願いしたい。
そうはいっても、やはり相談をするという行為の負担がなくなるわけではない。特に、上述した問題を整理することや「何を話したらいいかわからない」状態にあるひとたちに対しては、「相談のための相談」「問題の整理と言語化のための窓口」というのが必要ではないかと考える。
間口を広くとっているところ、総合的な相談を行っているところはあるが、公的支援機関そのものがどこかの部署や特定の制度や政策に紐づいていると、どうしても問題が特定されていなければ使いづらい。それでも、誰に対しても開かれている相談窓口の設置は急務であり、問題を解決するのではなく、その前段階にあたるところで、少し相談をしてみようか・・・と思うに至ったひとたちを温かく、柔らかく受け止める公的な場の創出を期待したい。