樹木希林さんの生前の言葉が静かな感動を呼ぶ。宝島社の企業広告がフェイクの時代に投げかけたもの
9月に亡くなった樹木希林さんを"起用"した宝島社の企業広告が静かな感動を呼んでいる。この広告は10月29日、読売新聞と朝日新聞の朝刊2紙に、30段(見開き)サイズで掲載された。
それぞれ写真とコピーが異なる。ひとつは、生前に家族と撮影した集合写真に「あとは、じぶんで考えてよ。」のキャッチコピー(朝日)。もうひとつは遺影用に撮影された写真に「サヨナラ、地球さん。」のキャッチコピーをつけたものだ(読売)。
ボディコピー(本文)は、生前の樹木希林さんの言葉から19をセレクトしたもの。それぞれから5つを紹介してみよう。
「ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう? そうやって考えると、がんは面白いのよ。」
「いまの世の中って、ひとつ問題が起きると、みんなで徹底的にやっつけるじゃない。だから怖いの。自分が当事者になることなんて、だれも考えていないんでしょうね。」
(読売新聞バージョンより)
「絆というものを、あまり信用しないの。期待しすぎると、お互い苦しくなっちゃうから。」
「迷ったら、自分にとって楽なほうに、道を変えればいいんじゃないかしら。」
「“言わなくていいこと”は、ないと思う。やっぱり言ったほうがいいのよ。」
(朝日新聞バージョンより)
宝島社のウェブサイトでは拡大すれば全文を読めるようになっている。いずれもあの語り口のまま脳内再生されそうな"樹木希林節"の名言まとめだ。
この広告のコピーライティングを担当した三井明子氏に取材したところ、ボディコピーは個々バラバラのフレーズではなく、一連の流れとしてメッセージを受け取ってもらえるように、言葉尻など少しアレンジを加える必要もあったようだが、基本的には様々なメディアなどで発信された膨大な量の言葉からセレクトし、内容的に重複する発言などはまとめるスタイルで原稿を作成したとのことだった。言葉の順序は吟味を重ねた上で決めていったという。
写真も印象的だ。朝日のほうはプライベートで撮影された家族写真を使用。読売は遺影として撮影された写真(撮影:矢吹健巳氏)に、娘である内田也哉子氏の舌の写真を合成している。もちろん、これらの写真や言葉はすべて、遺族の許可のもとで制作、掲載されている。画像加工は、撮影者である矢吹氏自身も参加して行われた。
こういったクリエイター側の"つくりこみ"に関しては賛否もあるかもしれないが、ペロリと出した舌が「サヨナラ、地球さん。」の言葉と相まって、湿ったことが好きではない故人の人柄を偲ばせる効果を生んでいると筆者は考える。
宝島社の20年にわたる企業広告シリーズの"まとめ"としても読める
ご存知のように樹木希林さんは、映画やドラマだけでなく、数多くの広告にも出演してきた役者である。ピップエレキバンやフジカラーのシリーズのようにヒットCMも多い。逝去後には数々の追悼番組だけでなく、いくつかの追悼コマーシャル(富士フイルムなど)がオンエアされたのも記憶に新しい。
ある書籍のインタビューでは冗談めかしてみずからを「CM皇太后」と言っているほどだ(『コピー年鑑2016』別冊付録)。広告の仕事が好きな人だった。このインタビューでは次のようにも語っている。
「私が役者続いてるのは、CMというものがあったからなのよ。いまから55年前に役者をはじめたとき、CMをやる役者なんて下の下だと。芝居が荒れるとか、ちゃんとした役者になれないとか言われて、その中で、全然舞台とか映画とかテレビとか興味がないから、『CMいいじゃないの』って言ったのが私の役者人生のはじまりだから」(『コピー年鑑2016』別冊付録より)
映画やドラマ制作者はもちろん、広告制作者や関係者からも愛された。それもあって自発的な追悼の動きも大きくなるのだろう。
樹木希林さんには筆者も、生前2度ばかり取材させていただいたことがあるが、この"CM皇太后"はサービス精神の鬼のようなところもあった。そしていまどきにしては珍しいことだが、私個人の体験の範囲では取材後の原稿チェックもなさらない。つまり「(私は全力で話したわけだから)あとはあなたに任すわよ」というわけだ。
これはこれで当方にすればなかなかのプレッシャーなのだが、まさに「あとは、じぶんで考えてよ。」の人。このコピーは言い得て妙だ。
宝島社は広告の制作意図を次のように説明している。
「どう生きるか、そして、どう死ぬかに向き合った樹木希林さんの、地球の人々への最後のメッセージ。どう生きるか、どう死ぬかについて、あらためて深く考えるきっかけになれば幸いです」(同社ウェブサイトより)
つまり、この広告は追悼の装いをしながら、いまの時代を生きる人への呼びかけにもなっている。
宝島社はこういった企業広告(特定の商品をアピールしないブランド広告)が巧みな会社で、1998年からほとんど毎年のように新聞というメディアを活用し、タイムリー、ときにセンセーショナルなメッセージを発信してきた。今年はその企業広告シリーズが始まってちょうど20周年にあたる。
宝島社は企業広告においては"硬派"である。例えば、1998年には詩人の田村隆一氏を起用し、そこに「おじいちゃんにも、セックスを。」という過激にも思えるコピーをつけて物議を醸した。有名政治家の逮捕や辞職に世間が揺れた2002年には「国会議事堂は、解体。」のコピーを付した広告を出している。ほかにも美輪明宏氏を起用しての「生年月日を捨てましょう。」(2003年)、「団塊は資源です。」(2006年)、「女性だけ、新しい種へ。」(2009年)など、コピーだけを見ても"とんがった"シリーズ広告であることはご想像いただけるだろう(過去の広告も同社ウェブサイトで閲覧可能)。樹木希林さんも2016年に続いて2回目の起用だ。
毎回の広告のテーマは、老い(少子高齢化)や政治不信、女性活躍など。「癌に教えられる」(2007年)というのもある。宝島社はいつもその時代に対峙するメッセージを、広告を通して投げかけてきた。こういったテーマを扱うには新聞というジャーナリズムの場がやはりふさわしい。
広告表現を専門に長年ウオッチしている筆者のような編集者の目から見ると、ここ数年はメッセージが少しおとなしくなった印象もあったが、この広告で「らしさ」が甦ったようだ。今回の樹木希林さん追悼名言集は、20年に及ぶ同社の企業メッセージの"まとめ"として読むこともできる。
先ほど紹介したインタビュー記事の中で取材者に、「いいコピーとは? あるいはいい広告とは?」と尋ねられ、樹木希林さんは次のように回答している。広告だけでなく昨今の社会の風潮についても考えさせられる発言なので引用してみたい。
「やっぱり、商品というものを考えるとね、本物だからって世の中に広まるわけじゃないのよ。偽物のほうが広まりやすいのよ。偽っていう字は人の為って書く。人の為だと思って一生懸命作るんだけど、その裏側に、薬害だったり、いろいろなことがある。だからそんなに、本物ばっかりが世の中にあるわけじゃないんだと思うと、それを売らなきゃなんない広告の仕事というのは、ある意味で責任があると思うの。
かといって、そこばっかりを考えると面白くない。商品のダメさをちゃんと作り手がわかってて、でもその中のいい部分はここだよというところを見つけて、そして遊んでもらいたいという風に思うのね」(『コピー年鑑2016』別冊付録より)
広告、あるいは社会のフェイクを、そうと見抜いた上でそれとしなやかに遊び、仕事と生き方に責任を持つ。そんな樹木希林流のスタンスが没後ますます共感を呼んでいる。その極意に近づくためには、やはり「じぶんで、考える」しかないのだろう。そんなことにも気づかせる、力のある広告だった。