ウクライナの兵士は平和のための"偉大な投資家"。現地のクリエイターはいま
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ロシアがウクライナに侵攻を開始してから、ひと月半が経過した。
刻々と変わる戦況から西側諸国による経済制裁、あらゆるメディアを総動員しての情報戦、目を覆いたくなるような悲惨な戦闘、爆撃の光景など、連日、多くの関連ニュースが伝えられる。
ウクライナのクリエイターや広告・マーケティング産業は現在どのような状況に置かれているのだろう?
一部報道されているように、勝利のためのキャンペーンに協力しているのだろうか。具体的な情報が少ないため、筆者としては気になっていた。
おりしも先月から、国際クリエイティブ祭として知られる「カンヌ・ライオンズ」が、同国のクリエイターを支援する取り組み"We stand with Ukraine"を開始した。
このプロジェクトに参加しているウクライナ側のメンバー数人に取材を打診したところ、アンナ・コスティロバ氏(Anna Kostylova)とセルヒイ・マリク氏(Serhii Malyk)の2名から返信があり、手記を寄せてくれた。
二人の手記は、2月24日以降、緊迫する現地の状況がリアルに伝わってくるものであり、彼らが現在取り組んでいるプロジェクト(仕事)にも言及されていた。この記事では、ほぼカットなしの寄稿文として紹介したい。
まずはアンナ・コスティロバ氏の手記から。
クリエイティブ・ディレクター、コピーライターとして活動するコスティロバ氏は、4名の女性メンバーで運営する「パワープラント・クリエイティブ(Power Plant Creative)」というマーケティング会社の創業者でもある。
もはや立ち止まることはできないーアンナ・コスティロバさんによる手記
2月23日。私は子供を実家に預けて、休暇でスペイン旅行をする計画を立てていました。戦争になるかもしれないという話はありましたが……まさかキーウで、そんなことにはならないだろう、と考えていましたから。
しかし、いざ出発するとなると、「やはり息子を置いていくことはできない」という思いが頭をよぎりました。
そこでインターネットで”占い”をしてみました。「キーウに息子を置いたまま休暇をとったらどうなる?」。画面に表示されたのは「死」という文字でした。
24日の夜、私は子供と一緒にスペインへの経由地であるイタリアにいました。そこで爆撃のニュースを知ったのです。それ以来、生活はストップしてしまいました。
ウクライナ人は実に迅速に組織化されました。近年の「尊厳の革命」(※筆者注:2014年のマイダン革命)や東部で紛争が生じたときのように。
そのこと自体に驚きはありませんでした。友人たちは市民兵となり、私のような経営者たちも防衛態勢を整えました。
息子は泣いて、地下シェルターの友だちのところに行きたいと駄々をこねました。
みんな勝利のために行動しています。クリエイティブな仕事で人をつなぐ、料理をする、ITの前線に立つ、武器をとって戦うーー私にはいったい何ができるのだろう? 現地からいろんな情報を調べました。
当初はボランティアとして人道支援活動をしようとしたのですが、やがて自分が得意とするクリエイティブ領域、そして自分がいるスペインという場を活用する必要があることに気づきました。
そこで、ウクライナの知人たちとスペインの支援者をつなぎ、国際社会に働きかけてウクライナの現状を伝え、寄付を募るようになりました。支援金を集めるために、地元の芸術的な取り組みにも参加しました。
しかし、もっとも重要なのは、私のビジネスを再始動することです。そのことが、私の国とこの苦難をサバイブしようとしている人々にとって、最大の支援になると考えるからです。
爆撃でキーウに足止めされていた同僚たちと一緒に、仕事を再開しようとしました。向こうで警報の音が鳴り響くたびに中断しなければなりません。涙でビデオ通話を止めざるをえないこともありました。
しかし、私たちは知っています。もはや立ち止まることなどできないのだ、と。
両親のアパートが爆撃の被害を受けたことをニュースで知りました。私はそこに息子を預けようとしていたのです。
私の両親にはもう帰るところがありません。でも、二人は生きています。家族を亡くされた方も多いのです。
私にとって身近な場所、クリエイティブの業界で働いていた有望な人たち、素晴らしいプロジェクトを成し遂げた人、賢明かつ才能にあふれ、今後の計画をたくさん抱いていた人たちが亡くなっています。
そんな知らせをすんなり受け入れる気持ちには到底なれません。
ロシア兵にレイプされ、拷問された子供たち。その痛みや苦しみをどうやって乗り越えればいいのか? 私にはわかりません。魂が悲鳴を上げています。胸が張り裂けそうです。
こうした状況のなか、多くのウクライナ人はこのように感じています。唯一、生きる助けとなるものは仕事であり、ロシアに勝利するためにそれを役立てることだ、と。
私はこう思います。ロシアが東部地域で戦争を始め、クリミアを併合したとき、なぜ、私たちはもっと世界に向けて大声で叫ばなかったのだろう? なぜ、世界はこの国で何事も生じていないかのように装ったのだろう? と。
当時、私と私のチームは、「ウクライナへのもっとも偉大な投資家リスト(The List of the Greatest Investors into Ukraine)」というプロジェクトを立ち上げました。
私たちは、ウクライナを守るために東部で手足を失った兵士たちこそ、”偉大な投資家”であると社会に訴えました。なぜなら、彼らは私たちの平和のために、自身の肉体の一部をなげうったからです。
負傷して退役した軍人の中には、新しいビジネスを興そうと起業の努力をしている人もいます。そんな人たちをリスト化して、夢の実現をサポートしようとしたのです。
しかし、我々のこの活動では十分ではありませんでした。明らかに不十分だったと感じています。
私のオフィスは基本的に、ウクライナ国内のクライアントと仕事をしていましたから、ビジネスは現状止まっています。一方で、今回のことで私たちはより強くなり、成熟し、柔軟になれたと思います。
個人的には、クリエイターとして、そして経営者として、新しい世界に生まれ変わったような気さえするのです。ほとんどすべてを失い、新しい環境で、これから何が起こるかわからない。まるで別の人生が始まったかのようです。
(Contribution:Anna Kostylova / Translation:Koichi Kawajiri)
痛切な手記である。文中に記されているように、コスティロバ氏は、ゼレンスキー氏を選出した前回の大統領選時に、退役軍人を支援するプロジェクトを立ち上げていた。
プロジェクトを紹介する現地の経済誌を見ると、退役軍人たちは、みな義足や義手を身につけている。そしてまさにこのタイミングで、軍服をスーツに着替えようとしていた(冒頭写真)。
「大統領選候補者でもオリガルヒでもない無名の彼ら」こそ、社会にもっとも貢献した人材だと考え、クラウドファウンディングを実施し、PR活動を行ったという。
続いてセルヒイ・マリク氏が寄せた手記をご紹介しよう。
マリク氏は7名のメンバーから成る「アングリー・エージェンシー(Angry Agency)」という広告会社の代表を務めるクリエイティブ・ディレクターだが、いまはウクライナへの支援を訴えるキャンペーンを展開しているという。
クリエイティブの市場は情報戦にシフトしたーセルヒイ・マリクさんによる手記
2月24日の夜、私とインナ・ポルシナ(共同創設者)は、キーウで大きなサイレンの音に邪魔されて目をさましました。信じたくはありませんでしたが、攻撃が始まったのです。
SNSをチェックして最初に目にした投稿には「ハルキウが砲撃を受けている」と書かれていました。
以来、何百万人ものウクライナ人が地下鉄などの避難所で眠り、長く滞在し、出産もそこで行うーーそんな生活が始まり、通常の仕事はすべてストップしました。
クリエイティブの市場は、情報戦に関わるものとなり、現在、私たちは広告祭での受賞を目指したキャンペーンではなく、戦争に勝利するためのキャンペーン制作に取り組んでいます。
つい先日、「ネバーアゲイン・ギャラリー(Never Again Gallery)」というサイトを立ち上げました。ウクライナのアーティストやイラストレーターに、第二次世界大戦中に制作された21枚のポスターをパロディ化した作品をつくってもらったのです。
このプロジェクトは、自由と民主主義の力を信じる欧米諸国の人々の歴史的記憶に訴えるもの。80年前の出来事を思い出してもらいながら、まさにいま、当時と近い状況に置かれているウクライナへの支援を求めています。
第三次世界大戦はなんとしても防がなければなりません。
ウクライナ人の勇敢さや結束力が、世界に知れ渡ったのはうれしい限りです。しかし、みなさん決して忘れないでください。現在、私たちは戦時下にあり、ロシア兵がウクライナ人をレイプし、略奪し、殺戮していることを。
私たちの目標は、世界の国々に呼びかけ、この戦争を勝ち抜くために私たちの軍隊を助けることです。
(Contribution:Serhii Malyk / Translation:Koichi Kawajiri)
目標は「戦争を勝ち抜くために私たちの軍隊を助けること」ーー最後の1文が強く印象に残った。
マリク氏のチームが制作した「ネバーアゲイン・ギャラリー」を見ていると、戦争はなぜ繰り返されるのか? という疑問が心の奥から湧いてくる。
ウクライナではほかにも多くのクリエイターたちが、「軍隊を助け、諸外国に支援を求める」ためのキャンペーン制作に従事していることが推察される。
![「Never again gallery」 より。](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/kawajirikoichi/00291153/image-1649753349902.png?fill=1&fc=fff&fmt=jpeg&q=85&exp=10800)
書籍『戦争と広告』(馬場マコト著)はじめ多くの文献に記されているように、日本でも太平洋戦争中は、多くの著名クリエイターが戦意高揚のキャンペーンにすすんで協力していた。
死ぬか生きるかの戦時下において、クリエイティブのプロジェクトもそうならざるをえなくなる。たとえ望んでいなくても。それこそが戦争の恐ろしさであり、狂気だ。
「もはや立ち止まることなどできない」ーーコスティロバ氏が書いていたこの1文は、ウクライナの人々の現在の実感なのだろう。それと同時に手記からは、多くの人々が「ビジネスを再起動させたい」と切望していることも伝わってきた。
ウクライナのクリエイターたちが、1日も早く”日常の仕事”に復帰できる日が来ることを祈るばかりだ。
そのための支援アクションもすでに始まっている。
4月12日現在、コスティロバ氏やマリク氏ほか、約20名のウクライナ人クリエイターが海外企業とのコラボレーションを模索し、コンタクトを取ろうとしている(We Stand with Ukraine 参加クリエイターリスト)。
コスティロバ氏は筆者とのやり取りの中で、日本のこれまでの支援に謝意を示しつつ、こうも語っていた。「どんな言葉のサポートでも、コンタクトでも、助言でもありがたいのです。私たちはウクライナの再建を担っていかなければなりません」
IT系の産業では、在ウクライナのプログラマーや日本に避難してきた技術者に、仕事を発注することで支援しようという動きも出はじめているようだ。リモートで行える仕事にいまや国境はない。
コミュニケーションツールも驚異的な進化を遂げ、戦時下においても海外の仕事を受注することができる。その部分においては日常を取り戻すことができる。そこが第二次大戦時との違いだろう。