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感染ルートは口か皮膚か、地方病と人々の戦い

華盛頓Webライター
credit:unsplash

人類の歴史は病気との戦いの歴史と言っても過言ではありません。

日本においても甲府盆地にて地方病が蔓延しており、地方病との戦いは山梨県の歴史に大きな比重を占めているのです。

この記事では地方病との戦いの軌跡について引き続き紹介していきます。

前回はこちら

中世から続いていた、地方病と人々の戦い③

口か皮膚か

credit:paxabay
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日本住血吸虫症の感染経路解明において、飲料水からの経口感染皮膚からの経皮感染という2つの仮説が存在しました。

甲府盆地では飲み水が原因と信じられていましたが、一部の農民は水田や川での作業中に発生する「泥かぶれ」が病気の発症に関与していると疑われていたのです。

しかし農業に従事する者たちは、感染の恐れがあっても仕事を続けるしかなく、命懸けの労働に従事せざるを得ませんでした。

1905年、内科医の土屋岩保はイヌやネコを解剖し、門脈内にのみ日本住血吸虫が存在することを発見します。

これを根拠に経口感染説を提唱し、多くの医学者がこれに賛同しました。

当時、寄生虫学で知られていた感染経路の多くが飲食物を介した経口感染であったため、土屋の説は既成概念にも支えられていたのです。

実験での決着

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1909年、日本住血吸虫症の感染経路を巡る研究が進展しました。

多くの医師や研究者は、飲料水からの経口感染を疑っていましたが、実際の実験によって経皮感染説が浮上したのです

日本住血吸虫を発見した桂田と、経口感染説を支持していた藤浪鑑は、それぞれ異なる地域で動物実験を実施しました。

結果は予想を覆すもので、経皮感染を防いだ動物は感染せず、経口感染を防いだ動物のみが感染したのです。

さらに、京都帝国大学(現在の京都大学)の松浦有志太郎は、自らの体を使った感染実験を行いました。

当初、松浦は経口感染説を支持し、飲食物の煮沸を徹底しましたが、やがて皮膚を介して感染することを確認したのです。

実験後、彼の足には赤い斑点が発生し、1か月後には血便に日本住血吸虫の卵が見つかりました。

この結果は、経皮感染説を裏付けるものであったのです。

当時、寄生虫が皮膚を通じて感染するという考えは、医学界の常識を超えるものでした。

経口感染を支持していた土屋岩保も追実験を行い、最終的に経皮感染を認めざるを得なかったのです。

彼は山梨県知事に報告し、学会でも経皮感染が正式に認められました。

農民たちが「泥かぶれ」と呼んでいた皮膚炎は、寄生虫の幼生が皮膚を破って侵入する際に引き起こされた炎症でした。

このセルカリア皮膚炎と呼ばれる症状が、感染の入り口であることが明らかになったのです。

感染ルートが水を介した皮膚経由であることが判明したことで、感染予防対策の困難さが一層浮き彫りになりました。

飲食物を煮沸することで予防できる経口感染とは異なり、水田や川など、自然界の水を介した経皮感染は、予防が非常に難しいのです。

清潔に見える水でも、感染を防ぐことが困難であるため、日本住血吸虫症の撲滅には長い年月を要することとなりました。

続きはこちら

中世から続いていた、地方病と人々の戦い⑤

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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