今やメキシコの「メジャーリーグ」。年々洗練されるメキシカンパシフィックリーグ
もう30年ほど前のことである。比較文化論というのがアカデミズムの世界で流行りだった。その潮流に乗ってか、スポーツジャーナリズムの世界でも日米の野球をこのアカデミズムの俎上に載せ、「合理的なアメリカン・ベースボール」と「古色蒼然とした日本根性論野球」という、今となっては浅薄としかいいようのない二項対立に基づいた野球文化論がもてはやされたことがある。その時期、ある野球文化論に関する本の中でメキシコのウィンターリーグについて語られていた。そこは、選手は試合中に飲酒をし、スタンドは酔客となったファンで暴動寸前という、洗練されたアメリカ野球とは別世界の「怠惰で低レベルなラテン野球」が行われる場という扱いを受けていた。この書の中で、そのメキシコ野球をアメリカ人選手が体感した場として挙げられていたのが、ウィンターリーグの「リガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ」、メキシカンパシフィックリーグである。
牧歌的だったウィンターリーグ
ここに私が足を初めて踏み入れたのは、もう18年も前のことになる。上記のような無秩序ぶりはさすがに目にすることはなかったが、その風景は夏のリーグ同様のんびりしたもので、当時一介の旅人に過ぎなかった私を、球場職員はこともあろうか、ベンチ、さらにはフィールドに通してくれ、気が付けば、チームに帯同していた見習いの少年(メキシコではよくあることで、プロ球団が目をつけた選手をチームに帯同させてプロとしての適性を見る)とキャッチボールをしていたということもあった。またある球場では、試合直前のベンチに向かってお目当ての元メジャーリーガーの名を告げると、そこにいた選手が、「ちょっと待ってろ」とその大選手を呼びに行ってくれるようなシーンもあった。球場の設備も古く、「田舎リーグ」感は否めなかった。その分、選手とファンとの距離も十分すぎるほど近かった。
メキシコのウィンターリーグを再訪したのは、その6年後だった。その頃には、私もメディアパスをもらう立場になっていた。この際の訪問では、夏のメキシカンリーグ傘下の冬のマイナーリーグをメインに取材していた。こんなところでプロ野球が行われているのかと驚かされた「野球の果て」とも言えるような風景から、メキシカンパシフィックリーグの人気チーム、トマテロスの本拠、クリアカンの1万6000人収容というラテンアメリカ最大規模のスタジアムとそこに集った大観衆を目の当たりにして、このリーグの規模の大きさを感じたものだった。
洗練度を増すウィンターリーグ
それから、10年ぶりにメキシカンパシフィックリーグを訪ねた。今回取材したのは、昨年のWBCメキシコラウンドの会場となったハリスコ州グアダラハラの球場だった。郊外のターミナルでいきなりWBC仕様のバスを見かけたところにこのイベントの盛り上がりぶりが感じられた。このメキシコ第2の都市のスポーツチームと言えば、サッカーのCDグアダラハラの名が真っ先に出てくるが、この町の野球チーム、チャロスがサッカー人気に決して埋没してはいないことは、地下鉄駅の構内にチームショップが出ていることからもうかがえた。
この10数年で、メキシコ野球がもっとも変わった点は、マーチャンダイズの充実だろう。プロスポーツにおいて選手への報酬が高騰する中、チーム関連商品の販売は今やスポーツビジネスにおける大きな柱になっている。かつて、首都メキシコシティとサマーリーグ最大の人気球団スルタネス擁する北部の都市、モンテレー以外では、キャップやジャージという基本アイテムでさえ球場で買うことは困難だった。球場の外の露店では、いわゆる海賊版のキャップや手製のジャージ、はたまたファールボールが売られているというのがメキシコプロ野球の風景だったのだが、現在ではこの国にもメジャーリーグ御用達のメーカーが入り込み、「球団公認グッズ」が球場内のチームショップにあふれている。その品ぞろえは、決して日本のそれにひけをとらない。
この町のスタジアムにも敷地内に入ると最初にショップがあり、スタンドはチャロスのロゴで身を固めたファンで賑わっていた。ただ、そのショップに土産物を頼まれた選手(2年前の侍ジャパン戦にもやってきた代表選手!)がファンと同じように買い物をしていたのには、まだまだメキシコらしさが残っていたが。
北米、アジアの球場にひけをとらないスタジアム
そしてなんと言っても、ファンを迎え入れる器のイノベーションには目を見張る。集客装置としてのスタジアムの重要性についてはいまさら論を待たないところであるが、ここメキシコでも球場のイノベーションは確実に進んでいる。先述のクリアカンでも、3年前に「メジャー級」と言っていい、外野席を備えた最先端の新球場が完成している。この球場には、日本からこのリーグに参加していたNPBの選手も舌を巻いていた。
ここグアダラハラの球場も、WBCが開催されたことからもわかるように、最新鋭とは言わないまでも、他国のそれと比べても決してひけをとらないものである。2層式のスタンドを覆うアーチ形の屋根が印象的なその名もエスタデォオ・チャロス(チャロス・スタジアム)の威容からは、かつての「田舎臭さ」を感じることは全くない。
野球場にしては随分横長の印象があるのは、それもそのはず、このスタジアムはもともと、2011年に開催されたパン・アメリカン大会(4年に1度開かれる南北アメリカ大陸各国が参加する競技会)の会場として造られた陸上競技場だったからだ。サブ会場として造られたため、2つあるサッカーチームのホームとするのは手狭だったこともあり、2014年にメキシカンパシフィックリーグのチームを誘致するため、メインスタンドの下に野球用の内野席を設置し、外野フェンスの向こうにもレストラン席を作ってこの競技場はボールパークに生まれ変わったのだ。
メインスタンド前には、この町にかつてあったサマーリーグに在籍していたあのフェルンナンド・バレンズエラの銅像が鎮座し、メインスタンド下にはバー・スペース付きのラグジュアリーシート、構造上どうしてもフィールドから遠くなるメインスタンド下段の両翼には、この地発祥と言われているマリアッチ楽団の演奏スペース付きのレストランが設けられ、野球以外でも楽しめるスペースが作られている。レフトスタンド後方にある巨大ビジョンから流れる映像は、日本のそれ以上にエンタテインメント性に富み、足を運んだ観衆を楽しませていた。その球場の姿は、単なる野球観戦の場から、一種のレジャーランドと化したアメリカのボールパークを彷彿とさせた。
「カリブ最強」となったリーグ
現在メキシカンパシフィックリーグは、MLB、日本のNPB、韓国のKBOに次ぐ、観客動員力を誇る世界第4の人気リーグである。その動員力は資金力にもつながり、近年では2A、3Aクラスが中心のアメリカ人選手も、治安面に不安の残るドミニカ、ベネズエラ、資金不足からリーグ縮小の続くプエルトリコを避け、好選手ほどメキシコを目指すようになってきている。さらには、近年ではカリビアンシリーズのライバル国である上記の国々からも自国リーグではなくパシフィックリーグを目指すものが増えている。チャロスでは、昨シーズンからかつてのサンフランシスコ・ジャイアンツの名セットアッパー、セルジオ・ロモがプレーしている。
このような流れは、リーグの質の向上にもつながっている。1980、90年代はカリビアンシリーズでの優勝はそれぞれ1回ずつと、常にドミニカ、ベネズエラの2強の後塵を拝していたメキシコだが、2000年代に2回とベネズエラと肩を並べるようになり、2010年代に入ると8大会中4回の優勝と、今やメキシカンパシフィックリーグは「カリブ最強」の名をほしいままにしている。リーグのレベルアップは観客動員数の向上にもつながり、今、パシフィックリーグは黄金期を迎えている。これまで4か国で持ち回りだったカリビアンシリーズの開催地も今年は昨年に引き続き、メキシコに決定。このエスタディオ・チャロスで行われる。集客力がそうさせるのだろう、ここしばらくは、メキシコで開催する方向になっている。
(写真はすべて筆者撮影)