イラク首相の暗殺未遂事件の背景:ドローン攻撃は親イランのシーア派民兵の仕業か?新たな抗争激化の可能性
イラクの首都バグダッドで7日、ムスタファ・カディミ首相の住宅が爆弾を積んだドローン(無人飛行機)攻撃を受けた。カディミ氏にけがはなく、首相府は「暗殺は失敗に終わった」と発表した。攻撃の犯行声明は出ていないが、攻撃の背景にはカディミ首相と、イランの支援を受けるシーア派民兵の対立激化があると見られ、今回の事件はイラクの新たな分裂と混乱が激化する分岐点になりかねない。
今回の暗殺未遂事件の2日前の5日、イランの支援を受けるシーア派民兵組織の支持者数百人が、バグダッドで政府機関や首相邸がある「グリーンゾーン」の周辺で大規模なデモを行った。治安部隊がデモ隊の排除に出て衝突し、アルジャジーラなどの報道によると、デモ参加者2人が死亡し、デモ隊と治安部隊で合わせて100人以上が負傷したという。
デモ隊は2014年に「イスラム国」(IS)と戦うために組織されたシーア派民兵組織の連合体「人民動員部隊(PMF)」がつくった政治組織「征服連合」の支持者たち。征服連合は10月10日に実施された国民議会(定数329)選挙で、改選前の48議席から15議席へと大幅に議席を減らした。デモでは「選挙不正があった」と声を上げた。抗議デモに治安部隊が出動し、死者が出たことで、シーア派組織からは「復讐」を誓う声が出ていたという。
イラクのシーア派内の対立の発端となったのは、2019年10月に、シーア派の若者たちが始めた政府の腐敗や不公正の是正を求める大規模なデモだった。当時の首相が辞任するなど政治的な混乱が起こった。デモ隊にはイランがPMFを支援して、イラクの政治に介入しているとの批判も含まれ、シーア派聖地のナジャフやカルバラにあるイラン領事館がデモ隊の襲撃を受けた。それに対してPMF民兵によるデモ隊への攻撃やデモ活動家やジャーナリストの拉致や暗殺も続いていた。
カディミ首相は2020年5月、反政府デモとコロナ禍の混乱の中で、特定の政治組織に属さない独立派として、危機対応のために任命された。シーア派の元ジャーナリストだが、首相に就任する直前までイラクの情報機関のトップを務めた。首相に就任して1カ月後に、自身の指揮下にある対テロ特殊部隊を使って、イラク・ヒズボラのメンバー10数人を米関連施設への攻撃に関与した疑いで拘束するなどして、若者やイラク民衆の支持を得た。
カディミ首相は平和的なデモを保護する姿勢を示し、2021年2月にはデモの活動家を殺害した疑いでシーア派民兵の暗殺部隊グループを摘発した。首相は国民議会に与党を持っていないことから、政治改革やイランの影響力排除を求める民意を背景に、治安部隊や対テロ特殊部隊を使って民兵を抑えようとした。
5月にはイラクの活動家の暗殺と米軍基地攻撃に関与した疑いで、PMFの幹部を逮捕した。しかし、シーア派民兵が幹部の解放を求めてグリーンゾーンを包囲し、一方で、情報機関の幹部を暗殺する動きに出て、混乱が起きた。2週間後には幹部は「証拠不十分」で釈放された。カディミ首相が譲歩し、シーア派民兵側の「勝利」と見られた。
今回、カディミ首相への攻撃で軍事ドローンが使われたが、イラクで初めて軍事ドローンが使用されたのは、今年4月中旬、イラク北部のクルド地域のアルビル空港に駐留する米軍に向けたものだった。イエメン内戦でイランが支援しているシーア派組織ホーシがサウジアラビアに向けた攻撃で使っているものと同じ種類とされ、イランからイラクのシーア派民兵組織に提供されたものと見られている。
イラクでは2020年1月に、米軍がイランの革命防衛隊の対外工作部門クドス部隊のスレイマニ司令官とPMFのムハンディス副司令官をバグダッド空港で殺害して以来、イラクのシーア派民兵組織による駐留米軍への攻撃が続いてきた。ムハンディス副司令官はもともとイランの革命防衛隊との結びつきが強いシーア派民兵組織「イラク・ヒズボラ」の司令官であり、米軍攻撃はイラク・ヒズボラや、イラン革命防衛隊から資金や武器の支援を受ける、より小さな民兵集団が行っていると見られている。
今年6月初めにはバグダッドのグリーンゾーンにある米国大使館の近くで飛来した軍事ドローンが米軍の防空システムによって撃ち落とされたとのイラク治安筋の報道も出ていた。
10月の国民議会選挙ではもともと第1党のシーア派組織で、カディミ首相を支持しているサドル派が、改選前の54議席から70議席へと議席を増やした。サドル派を率いるシーア派宗教者のムクタダ・サドル師はイラク戦争後に反米攻撃を呼び掛け、自ら民兵組織「マハディ軍」を率いて、米軍と抗争したことで知られる。
サドル師は米国だけでなく、イランやトルコなど隣国の干渉も批判するイラク・ナショナリズム的な主張を掲げ、PMFとは一線を画している。総選挙前はサドル派と議席を競っていた親イランの征服連合が大幅に議席を減らしたことと合わせると、イラクの人口の半分以上を占めるシーア派の中でも、イランによる介入や民兵の横暴に反対する世論が広がっていることが浮き彫りになった。
これまでの経過を見るかぎり、首相公邸へのドローン攻撃は、米軍や米大使館への攻撃と同じく、シーア派民兵による可能性を考えざるを得ない。もし、そうであれば、イランとシーア派民兵にも選挙結果に対する危機感が募っていることになるだろう。逆に、カディミ首相は選挙結果を受け、さらにこの事件を契機に、イランの支援を受ける民兵組織に対して軍、治安部隊を使った新たな攻勢に出ることも考えられる。
サドル師はカディミ暗殺未遂事件の直後に、ツイッターで「イラクの治安と安定を標的としたもので、イラクを混乱に陥れることを狙ったテロ行為だ。それによって危険と外国の干渉があちこちで広がりかねない。しかし、イラクの勇敢な軍と治安部隊が事態を掌握して、イラクを救い、強固にするだろう」とする声明を発表した。
サドル氏は現在、「マハディ軍」の後継の民兵組織「サラーム(平和)軍」を率いている。サドル氏の事件への早急な反応は、事態がさらに悪化すればカディミ首相を擁護して動く可能性を示唆するもので、今回の首相暗殺未遂が、イラク情勢悪化の分岐点になる可能性もある。