オートバイのあれこれ『崖っぷちの2ストロークを救ったRZ250』
全国1,000万人のバイクファンへ送るこのコーナー。
今日は『崖っぷちの2ストロークを救ったRZ250』をテーマにお話ししようと思います。
1980年(昭和55年)、ヤマハから歴史を作る1台が登場しました。
『RZ250』。
現在も、ヤマハの名車として多くのバイクファンから愛されているモデルですね。
このRZ250が生まれることになった背景には、世界規模の環境問題がありました。
モータリゼーション(交通社会)の発達による大気汚染問題が取り沙汰され始めた1970年代、2ストロークエンジンはその環境性能の悪さから世界的に排除されようとしていました。
また、ちょうど同じ頃に起きたオイルショック(石油危機)も、2スト撤廃の動きを加速させることになります。
オイルショックにより世間で省エネ志向・節約志向が高まるなか、燃費が良いとは決して言えない2ストは、より忌避される対象になってしまったということです。
要約すれば、2ストは時代に潰されようとしていたということ。
そして、その世相に敏感に反応したのがヤマハでした。
バイクを作り始めて以来、2ストロークで名を馳せてきたヤマハですから、それも無理はありません。
「2ストロークはもうダメになるかもしれない。だから、ラストのつもりで入魂の2ストスポーツを作ろう」
と決心します。
こうして生み出されたのが、RZ250だったというわけです。
ヤマハが「最後の2スト」という想いで開発に取り組んだだけのことはあり、RZはスポーツバイクとして妥協を排した作りこみがなされていました。
パワーユニットは、リッター換算で140ps相当の35psを発揮する水冷並列2気筒エンジンを搭載。
レーシングマシン『TZ250』の設計も一部取り入れ、当時の市販車としては格別のパフォーマンスを持っていました。
また車体のほうにもTZのノウハウが落とし込まれ、リヤショックユニットに『モノクロスサス』という1本式ショックが採用されたりと、画期的なディテールが目白押し。
ヤマハは極めてストイックにRZを設計していたと言えます。
他の見どころとしては、チャンバー(膨張室)が目立つマフラーを装備していたのもポイントでしょう。
先述のとおり、当時は2ストへの風当たりが強かったものの、ヤマハはあえて2ストロークであることがひと目で分かるマフラーを採用したのです。
世間への反骨心、「2スト屋」としてのプライド…、そういった熱情がヤマハにはあったのでしょう。
もちろん、性能面でのメリットも見込んでの採用だったとは思われますが、このチャンバーマフラーは外観的にもレーシーで、結果としてRZの魅力をよりいっそう引き立てることになりました。
RZ250は発売後大好評を得てバイクシーンを賑わし、結果的には衰退しゆく運命にあった2ストロークを再興させるきっかけとなったのでした。
80年代というと、スズキ『RG250ガンマ』やホンダ『NSR250R』といった2ストマシンが市場をリードした時代ですが(レーサーレプリカブーム)、この潮流の源にあったのは、他でもないRZなのです。
2ストロークを蘇らせ、そこから“熱狂の80年代”の素地を作ったという点で、RZはヤマハの名車にとどまらず、「日本バイク史における名車」と言って差し支えないでしょう。
画像引用元:ヤマハ発動機