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【光る君へ】一条天皇の即位式に生首が投げ込まれた事件の全容

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
京都御所 清和院御門。(写真:イメージマート)

 今回の大河ドラマ「光る君へ」は、藤原兼家の念願が叶い、孫の一条天皇が即位する場面だった。いざ、一条天皇が即位式が始まろうとすると、高御座に髪の毛が付いた生首が転がっていたという。これは一体どういうことなのか、考えることにしよう。

 かねて兼家は花山天皇を天皇の座から引きずり下ろし、孫(一条天皇)を即位させたいと考えていた。すでに50代の半ばを越えた兼家には、残された時間が少なかった。兼家は子の道兼に命じて、忯子を亡くして傷心の花山天皇に出家を勧めさせた。

 寛和2年(986)6月、道兼は花山天皇とともに内裏を抜け出し、花山寺(元慶寺/京都市山科区)で天皇を出家させることに成功した。その際、道兼は花山天皇を出家させるため、「自分も出家します」と嘘をついたのである。

 花山天皇が出家したので、次の天皇には兼家の孫の一条天皇が就くことになった。こうして寛和2年(986)6月、一条天皇は新天皇になったのである。その際、人事は一新され、花山天皇の叔父で政治を支えていた藤原義懐は出家し、藤原実資も去った。

 それは、「まひろ(紫式部)」の父の藤原為時も同じである。兼家は悲願だった摂政の座に就き、道兼を蔵人頭に任じたのである。ところが、即位式の際に大事件が起こった。以下、『大鏡』で確認しておこう。

 一条天皇の即位式の日、即位式の準備を進めていた官人は、高御座に髪の付いた生首を発見した。高御座とは即位・朝賀などの朝廷儀式が催される際,大極殿(または紫宸殿)の中央に設けられた天皇の座のことである。

 いうまでもなく、高御座は神聖な場所だった。しかも、当時の人々は「死(人や動物の死体)」を穢れと考え、忌み嫌っていたので、官人は大変なことになったと思い、すぐに兼家のもとに飛んでいった。

 官人は兼家のもとに行くと、大きな声で生首の一件を報告した。しかし、兼家は眠たいのか、返事すらしなかった。官人はおかしいと思いながらも、しばらく立っていたが、やがて兼家は目を覚ましたかのように、即位式の準備が終わったのかを尋ねた。生首の一件に関しては、何も質問しなかったのである。

 兼家は生首の一件を知り、心中では驚いたと考えられるが、即位式を中止にする考えはなかった。それゆえ、敢えてとぼけたふりをしたのである。

 その後、生首が片づけられ、一条天皇の即位式は何事もなく挙行された。反兼家の何者かが生首を高御座に置いたのだろうが、その目論見は見事に失敗した。兼家は政治家として、1枚も2枚も上手だったのである。

主要参考文献

倉本一宏『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』(KADOKAWA、2023年)

倉本一宏『一条天皇』(吉川弘文館、2003年)

山本淳子『『源氏物語の時代』一条天皇と后たちのものがたり』(朝日選書、2007年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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