ビクトル・デル・アモ(デポルティーボ・デ・ラ・コルーニャ監督)、インタビュー全文公開
3月8日と9日、JSPORTSのサッカー番組『Foot!』の取材で、リーガエスパニョーラで奮闘中のデポルティーボ・デ・ラ・コルーニャのビクトル・サンチェス・デル・アモ監督、スポルティング・デ・ヒホンのアベラルド・フェルナンデス監督のインタビューを行った。いずれも90年代にスペインサッカーを見ていた者には懐かしい名前だ。
インタビューの一部は3月25日の放送で流されたが、『Foot!』のご厚意でここに全文を公表したい。まずはデポルティーボがチャンピオンズリーグの常連だった頃の名選手ビクトルの話から。
内容なくして勝利はない
――まずチームの状況から話をしましょう。12試合未勝利という現状をどう見ていますか?
「結果には当然満足してない。我われの目標である一部残留を一時でも早く達成するには勝ち点を積み重ねていかなくてはならない。とはいえ、結果を出すにはまず良いプレーができなくてはいけない。なぜその結果に至ったのかプレー内容を分析するのが、我われテクニカルスタッフの仕事だ。
例えばベルナベウ(サンティアゴベルナベウ)でのレアル・マドリー戦は分析することがほとんどなかった。彼らの力がはるかに上なのだから。それに対して、ホームでのビジャレアル戦は後半ロスタイムにPKで敗れたものの、プレー自体はポジティブなものだった。アウェイで敗れたエスパニョール戦は拮抗した試合で我われにも勝つチャンスがあったから、プレーの分析結果はまたもポジティブだった。ホームでグラナダに敗れたのは大きな失望だったが、ゴールチャンス数では我われが大きく上回り、勝つべき内容だったが、チャンスを逃しているうちにPKで敗れた。最後に敗れたサンマネスでの試合(アスレティック・ビルバオ戦)は、格上相手に酷い内容で敗れた。まあこんなこともあるものだ。
何が言いたいかというと、未勝利の12試合のうち7試合を引き分けた我われは、レアル・マドリー戦、アスレティック・ビルバオ戦を除く試合では良く戦い、勝つチャンスもあった。内容が伴わないと勝てないのだから、監督としては内容の良し悪しこそが重要なのだ。我われのすべきことは良い点を伸ばし続け、引き分けや敗戦に結び付いたミス、マークミスや集中力の欠如を減らしていくことだ」
――つまり、あなたの分析では内容はポジティブだったということですね?
「もちろんそうだ。チームはほとんどの試合でコンペティティブだった。我われがいるのはリーガエスパニョーラという世界でも有数の競争力のあるリーグなのだ。その中で我われはクラブ予算が最も少ないチームの一つで、年俸の上限も2番目に低く抑えられている。その2つはチーム作りに大きく影響する。
つまり、我われは格上のチームと戦いながらすべての試合で良いプレーをし勝つチャンスを得てきた。確たる守備と攻撃の組織で、チームのアイデンティティを確立できている。要求水準は高くもっと上を目指してはいるが、目標は一部残留だ。ネガティブな結果が続いているのにもかかわらず、降格圏から7ポイント上にいる。内容を見ている限り、勝利が手に入る日は遠くない」
――前半戦で健闘したあなたのチーム、エイバル、スポルティングといったところが後半戦は軒並み苦戦しています。
「後半戦はコンペティションのレベルが上がる。冬の移籍市場で下位にいたチームは補強し何人かは即戦力となっている。我われはチーム力が十分だと感じたから補強をせず、逆にプレー時間に恵まれていなかった者を放出した。後半戦が困難な道になるのは当然であり、今こそチームが真の力を発揮しないといけない時だ。我われがチェックしなくてはいけないのはプレーの内容。内容なくして勝利はない」
――あなたが選手だった時代のデポルティーボの目標は残留ではなかったですよね?
「もちろんそうではない」
――つまり、あなたは2つのまったく違う時代を経験している。栄光の時代を生きたあなたが、この新しい時代をどう生きているのですか?
「最大の違いはすでに話した通り経済力の差だ。あの時代のデポルティーボの予算はリーガで5、6番目といったところで、その予算規模に相応しい目標があった。それでもレアル・マドリー、バルセロナがいる限り優勝を目指していたわけではなかった。だけど、うまくやればレアル・マドリーやバルセロナにも勝てた。確かにあれは美しい時代だった。良い選手と努力が結集したチームだった」
ミラン相手の大逆転劇は最高の思い出
――あの時代にノスタルジーを感じることはありますか?
「いや、監督としては後ろを振り返る時間はない。今目の前にある仕事だけで頭が一杯だ。ただ、チームを率いている時にふとあの美しい思い出がよみがえってくることはある」
――選手時代を知っているファンからは特別の愛情を感じるのではないですか?
「我われの仕事と努力と引き換えに受け取るものとしてファンの愛情以上のものはないよ。私はデポルティーボ・デ・ラ・コルーニャのファンに本当に感謝している」
――あなたはデポルティーボの選手としてリーグ優勝とコパ・デルレイ優勝を一度経験しています。覚えてますよね?
「もちろん、それとスペインスーパーカップを二度獲っている」
――そんな選手時代の最高の思い出とは何ですか?
「重要な試合はたくさんあったが、タイトルの懸かった試合は格別だ。リーグ優勝を決めたエスパニョール戦のドナートのゴール、マカーイのゴール、試合後にグラウンドになだれ込んで来たファンと祝ったこと……。あれは信じられない瞬間だった。巨大なレアル・マドリーやバルセロナからリーグタイトルを奪えたなんて信じられない。非常に困難なことを達成した大変な出来事だった。
コパ・デルレイでは決勝でレアル・マドリーを破ること、しかも決勝の日は彼らのクラブ創立百周年の記念日で、まるでレアル・マドリー優勝のために用意されているようなものだった。歴史的にもレアル・マドリーは決勝戦に強いチームだ。そういう状況でデポルティーボが勝つというのはやはり大変なことだ。困難が大きければ大きいほど祝祭も大きくなる。
そして最高の思い出の試合と言えば、グラウンド上での最も信じられない経験と言えば、あのチャンピオンズリーグ準々決勝でのミラン相手の大逆転劇だ。サンシーロで4-1で敗れた後、リアソルで4-0で勝ったのは信じられない。芝生の上であんなに興奮したことはない。結局タイトルは獲れなかったが、あのヨーロッパチャンピオンだった強大なミランに対してそんなことができようとは!」
――では、選手時代の最悪の思い出とは何でしょう?
「最悪ね。私は悪いことは忘れて前へ進む方なのだが、やっぱりケガをした時かな。頭に刻まれているのは、最後のケガをした時だ。重傷ではなかったが、3カ月間プレーできなかった。デポルティーボでの最後のシーズンのプレシーズン中の出来事だ。調子も良くて良いシーズンになりそうな予感があったが、練習中にケガをした。選手としても脂の乗り切っている時だったのだけど」
――デポルティーボ時代は誰と一番仲が良かったのですか?
「マカーイとアマビスカとは家が近所だったからよく一緒に過ごした」
――レアル・マドリー時代は?
「下部組織で同期だったグティ、ラウール、アルバロ、ガルシア・カルボ……。先輩のフェルナンド・イエロ、マノロ・サンチス、ルイス・ミージャ、デポルティーボでも一緒だったアマビスカにも良くしてもらった。だけど特にセードルフとは仲が良くて今も連絡を取り合っているよ」
影響を受けた監督はカペッロ
――あなたは選手時代に監督としてヘインケス、カペッロ、イルレタの下でプレーしました。彼らに学んだことは監督として今役立っていますか?
「カパロスやベニテスの下でもプレーした。ベニテスとはレアル・マドリーBで一緒だった。育成時代も含めすべての監督とともに生き、影響を受けた。選手時代に興味を持っていたことはもちろん、つまらなく感じたことでさえ役に立っている。ああしては駄目だという反面教師になるしね。私は自分を生涯の学習者だと思っている。新しいことを吸収するのは大好きだ。心を開いて毎日の仕事に取り組んでいる。私のスタッフ、助監督のダビド、フィジカルトレーナーのナチョ、アナリストのカルロスも同じ考え方だ。新しい情報を共有し、たくさん試合を見る。すべては成長を止めないためだ」
――そうした監督の中で誰に一番影響を受けましたか?
「カペッロだと思う。私を信頼しレアル・マドリーでデビューさせてくれた。トップデビューさせてくれた監督のことは選手なら忘れないはずだ。サッカーの父であり恩人だよ。しかも、戦術面でもカペッロが来る前と後では全然違った。プレーについて研究や分析は盛んではなかった時代に彼はそうしたメソッドを持ち込んだ。それがきっかけとなり以降スペインで戦術面が急速に進化し、選手のレベルアップに繋がったことが今日の代表レベル、クラブレベルでのスペインの成功をもたらしたのだと思う」
――でもあの時代、我われジャーナリストはカペッロを「守備的過ぎる」と批判していました。プレーしていたあなたはそんな印象を持ちませんでしたか?
「だってあのチームは守備的ではなかったよ! そりゃ君らの商売の都合だろう(笑)。確かに守備は良かった。でも攻撃も素晴らしかった。ラウール、ミヤトビッチ、スーケル、セードルフ……なんてレベルのアタッカーとゴールゲッターがいたんだからね。それを守備的なんて……。全員で攻撃し全員で守備をするという、今は当たり前だが当時はなかった戦術コンセプトのチームだったのは確かだ。偉大なアタッカーやクラックは守備を免除される時代だったからね。だけど11人全員で守り全員で攻めるに越したことはない。今は偉大なアタッカーやクラックも守備をするのが当然となっている」
――では、今のデポルティーボはカペッロのチームに戦術的影響を受けているのですか?
「いや、参考にするチームというのはない。我われが注目するのは戦術コンセプトだ。目指しているのは攻守バランスの取れたチーム。我われのゴールチャンス数はリーグ平均を上回っており、攻撃面では機能していると言える。守備面でもそうで、ピンチの数と失点数はリーグ平均レベル。バランスこそが重要なのだ。基本システムは4-4-2だが、これに安住せず状況により4-3-3、4-1-4-1に変化させるために努力してきた。いつも同じでは研究されて無効化されてしまう。バリエーションを持つことで常にサプライズを探すことも忘れていない。プレースタイルを変え、システムを変え、プレスを掛ける、後ろに引いて待つ、カウンター重視、コンビネーションとボール支配重視……。我われは様々なバリエーションを持ったチームであり、それを可能にするために働いてきた」
――あなたのチームは「カウンターチーム」ではないのですか?
「うーん。我われの得点はカウンターよりもコンビネーションプレーによるもの方が多い。2つのコンセプトを使い分けるのが重要なのだ。我われがスピードに乗ったカウンターで際立ったチームであることは事実だ。だがデータを見ればカウンターによるゴール数の方が少ない。それがバランスであり、バリエーションを持つということだ」
目標は、柔軟なチームを作りあげること
――ミッチェルがセビージャの監督だった時、セットプレーはミッチェルではなくあなたが用意している、と言われていましたが、それは事実ですか?
「最初の頃はそうだ。ミッチェルはセットプレーを用意するのは助監督の仕事だと考えていたが、意見交換をするうちに興味を持っていなかった彼も参加するようになった。セットプレーもプレーの一部だし、用意するのは美しくて楽しいものだよ。彼が加わったことでさらに練り上げることができた」
――今のデポルティーボにとってもセットプレーはストロングポイントですよね?
「テクニカルスタッフ全員で考えて練習している。CK、FKからのゴール数はリーグ平均レベルといったところだ。PKは運悪く1本しか吹いてもらえずそれは決めたけど、相手には5本のうち4本を決められている。もっと運が欲しいね」
――お話を聞いていると、あなたの頭の中にはすべてのデータが入っているみたいです(笑)
「たくさんあるからすべては無理だよ(笑)。でもデータを分析するのは我われの仕事だから主要なものは記憶している。例えば169本のCKを蹴って6得点を挙げている。相手には154本のCKを蹴られて7失点している。6得点7失点というわけだ」
――悪くないんじゃないですか?
「いや、得点が上回らないと。最近の試合でCKから2失点したからね」
――あなたがいた当時のデポルティーボ、マカーイやバレロン、トリスタンがいたチームを率いているとしたら、違うプレースタイルを選んでいたのでしょうか?
「当時の監督はイルレタで彼のサッカー観に基づいたサッカーをしそれで成功した。だけど、私は今の自分のスタイルを貫いていたと思う。つまり、グラウンドで起こり得るすべてのことに対応できる柔軟なチームを作りあげるということだ。
今日のサッカーでは、相手の力が上ならば自分がせっかく用意したプランは役に立たず、相手のサッカー観に従った別のサッカーをする必要が出てくる。もし君にその準備がなく、変化に適応できなければチームの競争力は確実に低下する。繰り返しになるが、ボールを支配できる状況でも相手に支配される状況でもプレーできなくてはならない。守備位置が前でも後でも堅守を維持しなくてはならない。こうしたことはすべて練習で実践しておく必要がある。
もし自分の得意なやり方、ボールを支配し敵陣でしかプレーできないとしたら、もし相手にボールを取り上げられたらどうするんだい? 練習していないなんて言えない。グラウンドで起こり得る状況にはすべて用意しておくべきだ。そういう準備を終え、しかもあの当時のような選手がいれば監督して満足できないわけがない」
――ゲーム形式の練習を見せてもらいましたが、あなたは再三再四プレーを止め、かなりしつこく長く説明をしていました。説明の内容はわかりませんでしたが、あれがあなたのやり方ですか?
「修正するには止めて説明するしかないだろう。5分間練習を止めて説明し修正した方が、悪いやり方をそのまま流して後でまとめて説明するよりも効率が良い。練習に無駄な時間は作りたくない。何かを実践するなら質と効率は常に問われるべきだ」
――最後の質問です。あなたの監督としての夢はレアル・マドリーを率いることでしょうか? それともレアル・マドリーを破ることでしょうか?
「私の夢はなるべくたくさんの成功を得た監督キャリアをなるべく長くやることだ。それ以外の目標は持っていない。それは選手時代からそうだった。シャツの色も何も関係ない。出身チームや育ったチームに愛着を感じるのは当然だ。しかしプロの選手として私の目標はなるべくたくさん成功することだった。そのための努力はいとわなかった」
――今日は長い間、ありがとうございました。