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両陛下はご相談しながら和歌を作られている? 和歌の師が明かす揺るぎない愛

つげのり子放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)
天皇陛下と雅子さま(写真:ロイター/アフロ)

■皇室の方々の言葉への繊細な素養

 東京オリンピックで名誉総裁を務める天皇陛下は、コロナ禍での開催を鑑み、五輪憲章の和訳である「祝い」の表現を避け、「記念する」という文言で開会宣言をされた。事前に調整してこの文言になったと報じられており、多くの人びとが言葉の大切さを実感する出来事になったことだろう。

 両陛下をはじめ皇室の方々が言葉への繊細な素養を培っているのは、定期的に作られている和歌によるものが大きいのではないだろうか。年初の恒例行事「歌会始の儀(うたかいはじめのぎ)」、他にもその内容は公開されないが「月次(つきなみ)」と呼ばれる、毎月の歌会も催されている。現代でも皇室の方々にとって和歌は、日本の伝統文化継承という意味でも、残していかなければならないものだ。

 奈良時代末期に編纂された「万葉集」は、五七五七七の形式で作られ、「三十一文字(みそひともじ)」とも呼ばれる日本独自の詩歌、和歌の起源だ。当時すでに和歌は天皇や皇族、貴族の嗜みとして定着し、身近な生活の折々に琴線に触れた心の機微を歌にこめていた。「万葉集」は全20巻からなり、約4,500首以上の歌が収められているが、そのひとつひとつに人びとの想いが凝縮され、時代を越えて普遍的な輝きを放っている。

 こうした皇室の伝統を支え、和歌の創作に助言しているのが、宮内庁御用掛を務める歌壇の長老、篠弘(88)さんだ。戦時中、権力に抗ってきた歌人たちの苦闘を描いた大著「戦争と歌人たちーここにも抵抗があったー」(本阿弥書店)が大きな話題となっている。

■和歌の先生が語る、両陛下の仲睦まじさ

 篠さんが宮内庁御用掛を拝命し、皇族の方々のお歌の指導をするようになったのは、平成30年。普段はファックスや郵便で送られてくるお歌の原稿を見て、一首ずつ感想とアドバイスとともに、時には添削も行うことがあるという。

 ある時、雅子さまのお誕生日に際して行われる、ご誕辰と呼ばれる歌会のお題を陛下と相談した際、なかなか決まらなかった。

 すると陛下は——

「雅子に希望を聞いてから決めたいので」

とおっしゃり、後で雅子さまと相談されたものがお題に採択された。篠さんは、陛下の雅子さまへの揺るぎない愛情を感じ、「陛下はお優しくていらっしゃるのだなぁ」と思ったという。

 しかも、陛下と雅子さまが篠さんにお歌を出されるのは、いつも同じタイミングなのだとか。どうやら両陛下は、仲睦まじくご一緒にお歌を作っていらっしゃるようだ。

 その睦まじさはお歌にも表れている。令和3年、今年の歌会始に出された御製(ぎょせい)と、雅子さまの御歌(みうた)は、確かにお二人でご相談されながら作られた気配がある。

天皇陛下の御製 「人々の 願ひと努力が実を結び 平らけき世の到るを祈る」

雅子さまの御歌 「感染の 収まりゆくをひた願ひ 出で立つ園に梅の実あをし」

 どちらも新型コロナウイルス感染症の蔓延によって、通常の生活が送れなくなった人びとに寄り添い、早期収束への願いを詠まれているが、モチーフも語感も似通っているように感じる。お二人で相談しながら作られている、微笑ましいお姿が目に浮かんでくるようだ。

■和歌にこめられた、両陛下の思いの変遷

 篠さんは、両陛下がお歌に託された思いの中に、変化を感じたという。

「陛下は皇太子時代、公務で出掛けた先の景色や山登りされた時のお歌が多かったのですが、天皇になってからは、国民を思う内容に変わられています。雅子さまも東日本大震災以来、復興への願いを強くお持ちであり、お二人とも、大変な状況にある人たちへの希望と祈りが根底にあるように感じます」

 確かに、陛下が皇太子時代に歌会始で詠まれたお歌を見ると——

「山あひの 紅葉深まる 学び舎に 本読み聞かす 声はさやけし」(平成27年)

「スペインの 小さき町に 響きたる 人々の唱ふ 復興の歌」   (平成28年)

「復興の 住宅に移りし 人々の 語るを聞きつつ 幸を祈れり」  (平成30年)

 陛下は旅先や被災地を訪れた際のお歌が多く、また特徴的なのは音楽家としての感性がそうさせているのか、歌声や読み聞かせする声、語る声など「音」を鋭敏にとらえていらっしゃる。確かに、耳にした音の世界から、国民を俯瞰する視点へと変化していらっしゃるのだ。

■陛下が青春時代に詠まれた、和歌の原点

 篠さんは、技術的な点よりも、お歌にこめられた作者の“人間臭さ”や“熱量”によって、心に響く重さが違ってくると指摘する。

 そこで筆者は、陛下がまだ皇太子だった学習院高等科1年生の時に詠まれたお歌について聞いてみた。それは地理研究会のメンバーと石川県を訪れた際、昭和51年の歌会始のお題「坂」にちなんで詠まれたお歌だ。

 「まばらにも 人の住む家見ゆるなり 沈黙の坂 内灘の丘」

 能登半島の内灘は、在日米軍の試射場を巡って反対運動が続いていた場所だったが、陛下が訪ねた頃にはすでに米軍も撤退し、荒れ地と化していた様子を詠っていらっしゃる。

 実は篠さんは、このお歌は、筆者が取材時に見せた時が初見だったという。このお歌を朗読すると微かに頷き、感心したようにこう話した。

「粗削りですが、素材がとてもいいですね。新聞記事や基地問題に敏感でいらっしゃったのでしょう。若い頃の青春時代の良いところが出ています。静かな丘から、かつての試射場の荒れ地を見ている視点と、その時、胸に去来した心情が伝わってきます」

 まさに陛下のお歌の原点に接したような、満足気な表情だった。

 お歌はたどってきた人生や思いを如実に映し出すもの。篠さんは、陛下と雅子さまがこれから詠まれるお歌への期待をにじませていた。

「”匂わせ”と報じられる眞子さまのお歌、実は恋と無関係 和歌の師明かす真意」

https://news.yahoo.co.jp/byline/tsugenoriko/20210727-00249184

放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)

2001年の愛子内親王ご誕生以来、皇室番組に携わり、テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。西武文理大学非常勤講師。日本放送作家協会、日本脚本家連盟、日本メディア学会会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)などがある。

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