韓国だけではない「恨みの政治」――日韓対立は世界の分岐点になるか
- かつて支配されたことに起因する「恨みの政治」は、韓国以外にも世界各地で広がりつつある
- そこには手っ取り早く支持を確保しようとする政治家の戦術だけでなく、国際関係の構造の変化がある
- 日韓対立の行方は、まだ声をあげていない国の「恨みの政治」の今後の動向を左右するとみられる
これまでになく日韓関係が悪化するなか、過去に支配された側が支配した側に謝罪や賠償を要求するケースは、世界各地で増えている。日韓対立の行方は、こうした「恨みの政治」の広がりに影響を及ぼすとみられる。
以下では、主な3つの事例をみていこう。
(1)メキシコ 大航海時代の闇
3月25日、メキシコのロペス・オブラドール大統領はスペインのフィリップ国王とローマ・カトリック教会のフランシスコ法王に書簡を送り、かつてのスペイン支配やカトリック改宗の強制による文化破壊への謝罪を求めた。
1492年にコロンブスが西インド諸島に到達した後、スペインはアメリカ大陸を占領。メキシコのアステカ王国やペルーのインカ帝国を滅亡させただけでなく、銀鉱山などでの苦役やヨーロッパ人が持ち込んだ病気によって先住民が人口を減らすと、今度はアフリカから奴隷を運び込んだ。
スペインがリードした大航海時代は、その後のヨーロッパによる世界制覇の分岐点となったのだが、その蛮行は「キリスト教の恩寵をもたらす」という大義によって正当化された。西インド諸島でコロンブスが先住民を集め、(彼らに理解できないスペイン語で)「神の御名のもと」スペイン国王による領有を宣言したことは、その象徴だ。
これらを踏まえて、ロペス・オブラドール大統領は「多くの人々が殺された…いわゆる征服は剣と法衣によって行われた」、「和解の時に至っているが、そのためにまず彼らが許しを乞うべき」と述べた。
これに対して、スペイン政府は「500年前の出来事を現代の考え方で裁くことはできない」と謝罪要求を拒絶。「兄弟の関係にある我々2カ国は、我々の歴史を、常に怒りではなく建設的な視点をもって読む方法を常に学んできた」と続けた。
一方、バチカンは公式見解を示していないが、南米アルゼンチン出身のフランシスコ法王は2016年にメキシコを訪問した際、カトリック布教時の問題を認め、先住民に謝罪している。
(2)インド アムリトサル虐殺の記憶
4月13日、インドの要人からアムリトサル虐殺への発言が相次いだ。
インド北部のアムリトサルでは1919年4月13日、イギリスの支配に抗議する住民にイギリス軍やこれに率いられたムスリム兵が発砲。イギリス植民地政府の記録では犠牲者は379人にのぼったが、その後の調査では1000人近かったともいわれる。
このアムリトサル虐殺はイギリスによるインド支配の象徴でもあり、100周年の今年の記念日にモディ首相はこの「恐ろしい記憶が…誇りに思えるインドを建設するよう我々を鼓舞する」とツイート。改めてイギリスを批判するとともに、国民の結束を呼びかけた。
もっとも、これは今に始まったことではなく、インド政府は独立以来イギリスに謝罪を求めてきた。これに対して、エリザベス女王や歴代首相は「恥ずべき出来事」と認め、アムリトサル虐殺の記念碑を弔問してきたが、公式の謝罪をしてこなかった。
また、イギリスには保守層を中心に、虐殺を過小評価する声もある。エリザベス女王の夫フィリップ殿下が1997年、女王がアムリトサルを含むインドを訪問したタイミングで「インドが犠牲者を大げさに見積もっている」と発言したことは、その象徴だ。
今年4月、メイ首相(当時)は議会で「この悲劇は…恥ずべき傷」と述べたが、やはり公式の謝罪がなかったため、現場となったパンジャーブ州の知事は「不十分」と批判している。
(3)ギリシャ 第二次世界大戦の傷跡
4月17日、ギリシャ議会はナチスによる占領時代の賠償として3000億ユーロ以上をドイツに求める決議を可決した。
1933年にドイツの政権を握ったナチスはヨーロッパ大陸の支配に乗り出し、ギリシャにも1941年に侵攻。この際、多くのギリシャ人が犠牲になった。戦後、ドイツ(西ドイツ)は戦時中に占領した各国に謝罪し、ギリシャに対しても1960年に1億1500万マルクの賠償金を支払っている。
しかし、チプラス首相は戦時中の被害額を算定し直し、過去の支払いでは不十分として「完全な賠償」を求めてきた。この算定には、1942年にギリシャ銀行がナチスに拠出させられた4億7600万マルク相当の「無利子融資」の返済なども含まれる。今回の議会の決議は、この算定を踏まえたものだ。
ドイツの歴代大統領はこれまで何度もギリシャの地で謝罪してきたが、ギリシャで謝罪・賠償の要求が高まったことを受け、ステインメイヤー大統領が2018年10月、アテネ解放の記念日に合わせてギリシャを訪問し、改めて謝罪した。
その一方で、賠償に関しては「既に支払いを済ませた」という立場で、4月にギリシャ議会から要請があった際もドイツ政府のステファン・ザイバート報道官は「賠償に関するドイツの問題は法的、政治的に最終的に解決されている」と述べている。
なぜ今「恨みの政治」か
こうした「恨みの政治」が広がる根底に、かつての支配への反感があるのは間違いないだろう。しかし、これまでにも謝罪・賠償の要求はあったが、大規模に噴出するようになったのは最近のことだ。
そこには民主主義の影響を見出せる。
国によって程度の差はあれ、民主主義の普及にともない政府は「国民の声」をこれまで以上に無視しにくくなった(日韓関係が最も安定していたのは韓国が軍事政権の時代で、当時は日本と結びついた特権階級が力をもっていた)。
さらに、どの国でも格差など社会不満が蔓延するなか、手っ取り早く幅広い支持を集めようと、国民の間に根深くある、かつて支配した側への敵意を利用する政治家も、これに拍車をかけている。これはいわば移民や難民、異教徒への排斥運動と同根で、インドのモディ政権がイギリス批判を展開する一方、国内のムスリムを迫害していることは、その象徴だ(もっとも、世論を煽動する政治家に関しては支配した側も大きく変わらない)。
これまで「恨みの政治」を抑えたもの
ただし、より構造的な原因も無視できない。これまで市民レベルではともかく政府レベルで「恨みの政治」が広がりにくかったのは、主に以下の2つの理由があった。
- かつて支配した側との間に国力、発言力の差が大きかった
- 経済、安全保障、文化交流などあらゆる面で、かつて支配した国との関係が大きな比重を占めていた
つまり、これらの国は解放された後もかつて支配した側の引力圏にあったため、抑制した対応をせざるを得なかった。それはかつて支配した側に「もう済んだこと」と思わせやすくしたといえる。
ところが、この状況は失われつつある。
メキシコやインドなど台頭する新興国からみて、ヨーロッパ諸国との国力の差はかつてほど圧倒的なものではない。そのうえ、グローバル経済のもとで取り引き相手も多様化しているため、因縁のある相手への依存度は下がりつつある。
要するに、自分の成長と選択肢の増加で、かつて支配された側はもはやあまり我慢しなくてよくなったといえる。
「恨みの政治」は広がるか
これに対して、ギリシャの状況はやや異なる。
ギリシャではリーマンショックの翌2009年に債務危機が発生。ユーロ下落を恐れたEUが構造改革を条件に資金協力を行ったが、これが広い反感を招き、2015年選挙で反EUを掲げるチプラス政権が誕生した。EUの中心にあり、ギリシャに緊縮財政を求めるドイツは、その反感の主な対象になってきたのだ。
つまり、ギリシャ場合、かつて支配した側の影響がこれまで以上に強まることへの拒絶反応が「恨みの政治」の爆発を招いたといえる。
したがって、かつて支配した側の影響が弱まっても強まっても、「恨みの政治」が噴出するきっかけになり得る。
ただし、どちらの場合でも、つきあう相手の選択肢が増えたことで、これまで抑えられてきたかつて支配した側への批判が道徳的な断罪という形で表面化しやすくなった点では同じだ。EUやドイツとの関係があやしくなったギリシャが、中国の「一帯一路」構想に積極的なのは、偶然ではない。
だとすれば、世界全体が流動化し、取り引きが複雑化するなか、今後「恨みの政治」が各地で噴出しても不思議ではない。その場合、これまで様子見だった国が触発されるかは、先に声をあげた国が成果を得られるかによっても左右される。
その意味で、「恨みの政治」に基づく対立が最も激しい形で表面化した日韓関係の行方は、今後の世界の一つの分岐点になるといえるだろう。