プロ格闘家の転身、「和」で人づくり
新たな旅立ちである。『文武両道』をひたひたと歩む元プロ格闘家、中村和裕さんは太陽のような笑顔をつくった。36歳。「楽しい人生です。学生たちには、社会に出た時にすべてに対応できる基礎力と、友情の大切さを伝えていきたいと思います」
中村さんはこの度、早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科の修士課程(社会人1年生コース)を終え、4月から故郷・広島の福山市の福山大学で助教となる。4日。優秀論文発表会があり、自身の修士論文『柔道の礼法が心理に与える影響について~柔道の礼法を取り入れたスポーツプログラムと児童の心理尺度』は優秀論文賞にかがやいた。
どんな内容かと聞けば、「基本的に礼法の効果は記述的には書かれています。相手への敬意とか精神とか。それを柔道の礼法を取り入れた運動プログラムを用いて、実際に研究したものです」と説明する。ならば礼とは?「ひと言で言うなら、相手への思いやりですね」
中村さんをインタビューするのは、12年ぶりだった。初めて会ったのは、梅の香りが漂う2月、東京の梅の名所、羽根木公園そばの『吉田道場』だった。柔道で国際的に活躍した後、師とあおぐバルセロナ五輪金メダリストの吉田秀彦さんに誘われ、総合格闘技に転身したころだった。
カリフラワーのようにつぶれた右耳と、陽気な笑い声が印象に残っていた。その後、「PRIDE」などのリングで暴れながら、いくつかの格闘技団体を渡り、3年前からは所属なしのフリーの格闘家となっていた。つまり、安定収入はなかった。
「この3年は、メチャクチャ厳しかったですね。頭を下げて、チケットを買ってもらいにいったり、スポンサーの方と飲みにいったり…」。ストレスがたまり、風呂場で大声を出したこともあったそうだ。PRIDE時代はテレビにもばんばん出て、収入もたくさんあった。でも、最近は観客数百人などの会場で戦ったこともある。
壁にぶち当たっていた時、敬愛する先輩のシドニー五輪柔道金メダリストの瀧本誠さんから早大大学院への進学を薦められた。昨年4月、大学院に挑戦。学ぶオモシロさを改めて知り、研究の道を進む決心をした。
昨年末、プロ格闘家は引退した。甘いも酸っぱいも味わった12年間だった。やり残したことは?と聞けば、「ありません」と即答した。 「後悔はまったく、ない。楽しかったですねえ。楽しくないと生きている意味がないですから」
幕末の志士、高杉晋作を愛し、彼の「おもしろきこともなき世をおもしろく」とのコトバを信条とする。では、大学院で得たものは?と質問を重ねれば、「思考能力のおもしろさ」と言うのである。
「いろんな人の考え方に触れることができました。同期の仲間もそうだし、超一流の教授の方々の考え方も勉強になりました。インスパイアされました。もののとらえ方、見方はあっちこっち、たくさんあるということです。これって、おもしろいでしょ」
根が素直なのだろう。謙虚なのだろう。信念を持ちながら、思考はかたくなではない。周りの考えも砂地の水のごとく、スーッと吸収する。だから、周りから信頼される。敬愛されるのだろう。懇親会に出れば、いつのまにか、教授や仲間の輪ができるのだ。
今を生きる。師との出会いを大切にしながら、生きてきた。国際武道大学で柔道を習った元世界チャンピオン、柏崎克彦教授からは「自分の思想を持つこと」と指導された。ならば思想は?と聞けば、「思想というか、哲学というか、基本は“和”です。名前の和裕の和。はっはっは」
吉田秀彦さんからは「楽しむ」ことの重要性を教えてもらった。「何と言っても、吉田さん自身がメチャクチャ楽しんでいるです。だから、周りも楽しい。楽しめ~って」。なるほど、これもまた、<おもしろきこともなき世をおもしろく>につながる。
生きることの真髄は、何事にも全力を尽くすことだという。自身の境遇に最善を尽くす人生。なぜか一緒に話していると、こちらまで楽しくなってくる。
妻と3人の子どもと一緒に新天地・福山に移る。礼儀をわきまえた36歳は、「もっと楽しい人生を歩みたい」と笑う。ひょっとして、人生の達人か。だから、人にやさしく、人との出会いを大切にするのだろう。
そういえば、一緒にコンビニに買い物に入った時、レジの横の小さな募金箱にさりげなく、釣銭を入れていた。エライ。きっと、中村さんはいい先生になるだろう。