「どうする家康」浅井長政の裏切りを伝えた阿月とは、どんな女性だったのか
大河ドラマ「どうする家康」は、金ヶ崎退き口の場面だった。浅井長政の裏切りが阿月によって伝えられたが、どのような女性だったのか想像してみよう。
元亀元年(1570)4月、織田信長は越前に侵攻したが、同盟していた浅井長政に裏切られ、撤退を決断した(金ヶ崎退き口)。信長は何とか撤退に成功したが、ドラマでは阿月なるお市の方の侍女が情報を伝えたことになっていた。
残念ながら、信長に長政の裏切りの情報がどう伝わったのか、たしかな史料で裏付けるのは難しい。一説によると、お市の方が小豆を入れた袋の両側を縛って信長に送り、それを見た信長が浅井氏と朝倉氏による挟撃と判断したというが、信じ難い。
ドラマに登場した阿月は、ドラマのオリジナルキャラクターで史料では確認できない。とはいえ、せっかくなので、阿月についていろいろと想像してみるのも面白いだろう。
阿月は、足が速い女性だった。しかし、身分は高くなかったようで、父によって人買い商人に売られてしまった。当時、人身売買は公に認められていなかったが、アンダーグラウンドの世界では公然と行われていた。人身売買の証文もある。
人買い商人に売られた阿月は、運良くお市の方に拾われた。幸せな部類に入るだろう。売られた女性(あるいは男性でも)は、奴隷に等しく、主人の所有物だった。主人が亡くなると、子への遺産として譲状に書かれることもあった。
一般論でいえば、売られた女性は家事労働や農作業に従事させられ、多くは不幸なうちに生涯を終えたと考えられる。つまり、阿月はお市の方という良き主人に恵まれ、高価な金平糖までも口にできたのだから、かなりラッキーだったといえる。
では、阿月が約40kmも走って、長政の裏切りを伝えることが可能だったかといえば、いかに当時の人が健脚とはいえ、これは難しかったと思う。というよりも、いかに阿月がお市の方の恩を受けたとはいえ、自由になりたかっただろうから、途中で逃げたと思う。