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「検察庁法改正」で、検察は、政権の意向を過激に「忖度」しかねない

郷原信郎郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士
2018年自民党総裁選安倍晋三選挙対策本部発足式(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

「検察庁法改正案」が衆議院内閣委員会で審議入りしたことに対して、ネットで「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグで、900万件以上のツイートが行われ、多くの芸能人や文化人が抗議の声を上げ、元検事総長など検察OBが法案に反対する意見書を法務大臣に提出し記者会見するなど、国民の反対の声が大きく盛り上がった。

与党は、5月15日に強行採決の方針と報じられていたが、野党側から、武田良太担当大臣の不信任決議案が出され、審議は打切りとなった。18日からの週の国会での動きに注目が集まる。

国会審議に、多くの国民が関心を持ち、活発な議論が行われることは大変望ましいことだが、本来、多くの国民にはあまりなじみがない「検察庁法」の問題であるだけに、基本的な事項についての疑問が生じることが考えられる。

この法案の問題点については、【検察官定年延長法案が「絶対に許容できない」理由 #検察庁法改正案に抗議します】で詳しく述べたが、想定される基本的な疑問について、私なりに解説をしておきたいと思う。

検察について基本的な疑問に答える

まず、第1の疑問として、今回、検察官の定年延長の問題が「三権分立」が問題とされていることに関して、

安倍首相も言っているように、検察は行政機関でしょう。行政の内部の問題なのに、なぜ、立法・司法・行政の「三権分立」が問題になるの?

という疑問があり得るだろう。

それに対する端的な答は、

確かに、検察も法務省に属する行政機関です。しかし、検察官は、起訴する権限を独占しているなど、刑事訴訟法上強大な権限を持っており、検察が起訴した場合の有罪率は99%を超えます。したがって、検察の判断は事実上司法判断になると言ってもよいほどなので、そのような権限を持った検察は、単なる行政機関ではなく、「司法的機能を強く持つ機関」と言うべきなのです。ですから、内閣と検察の関係は、内閣と司法の関係の問題でもあるのです。

ということになろうかと思う。

そこで考えられる第2の疑問が、

検察に権限があると言っても、検察が起訴した場合は、間違っていれば裁判所が無罪判決を出すはず。検察の不起訴が間違っていれば、検察審査会が強制起訴の議決をする。だから、結局、検察がどう判断しようと結論に影響はないんじゃない?

という疑問だ。

この疑問には、刑事事件の捜査と処分の関係の理解が必要であり、以下のような説明が可能だ。

検察官は、単に、刑事事件について起訴・不起訴を判断するだけではありません。検察官自ら取調べや他の証拠収集をした上で、起訴・不起訴を判断するのです。特に、政治家・経済人などの事件が告発されたりして「特捜部」が捜査する場合、もともと告発状だけで、証拠はないわけです。検察が積極的に捜査して証拠を集めれば起訴して有罪に持ち込めますが、逆に、検察が、ろくに捜査しなかったり、不起訴にするために証拠を固めたりすれば、「不起訴にすべき事件」になります。検察の不起訴処分に対して検察審査会に申立てをしても、証拠がないのだから「起訴相当」にはなりません。せいぜい「不起訴不当」が出るだけです。その場合は、検察が再び不起訴にすれば、事件は決着します。

それに対して、次のような第3の疑問を持つ人もいるだろう。

検察の捜査や処分に対して、政治的な圧力をかけようとしても、そもそも内閣には、検察官を解任する権限がないわけだから、検察の判断に介入することはできないんじゃない?内閣の判断で定年延長ができてもできなくても変わらないんじゃない?

その点に関しては、検察も「官僚組織」であり、組織内で、上位の権力者に対する「忖度」が働くということが重要だ。次のような答になるだろう。

検察も、法務省内に属する官僚組織です。法務省に人事権があるわけですから、どうしても法務省を通じて、内閣側の意向が検察に伝わり、それを「忖度」して、捜査や処分するということはあり得ます。それがどれだけ強く作用するかは、法務省幹部の考え方や姿勢によりますし、それを検察側でどう受け止めるかは検察幹部によります。法務省幹部が、内閣側の意向に基づいて、検察幹部に事件の捜査・処分について要請をすれば、後は、検察幹部の受け止め方次第ということになります。

この第2の疑問第3の疑問については、実例で説明しないとピンと来ないかもしれない。そこで、過去の事例の中から、解りやすい事例を挙げよう。

甘利明氏に関するあっせん利得罪の事件

まず、第2の疑問に関して、検察官が告訴告発を受けた場合の「不起訴処分」に至るプロセスとして典型的なのは、甘利明氏のあっせん利得罪の事件だ。

私は、この事件が週刊文春の記事で報じられた際に、あっせん利得罪が成立する可能性があるとコメントし、その後、詳細がわかった段階で「絵に描いたようなあっせん利得罪の事件」と述べ、2016年2月24日に衆議院予算委員会の中央公聴会で公述人として、「独立行政法人のコンプライアンス」を中心に意見を述べた際にも、この甘利氏の事件にも言及し、同様の見解を述べた(【独法URのコンプライアンスの視点から見た甘利問題】)。

この事件が、その後、告発が行われ、刑事事件としてどのような経過をたどったのか、甘利氏がどう対応したのかは、(【甘利氏「石破氏への苦言」への”国民的違和感”】)で総括して述べている。検察の捜査と不起訴処分の意味を理解するための典型事例なので、是非お読み頂きたい。

要するに、この事件では、甘利氏本人や秘書に多額の現金が渡ったことは明らかで、甘利氏自身もそれを認めて大臣を辞任していた。あっせん利得罪の刑事事件としてポイントとなるのは、甘利氏にURに対する「議員としての権限に基づく影響力」が認められるかであったが、URに関連のある閣僚ポストも経験した与党の有力議員としての甘利氏とURとの関係が、「議員としての権限に基づく影響力」の背景になっていると見ることが可能であり、甘利氏本人と秘書がS社側から多額の金銭を受領した事実を認めているのであるから、「議員の権限に基づく影響力を行使した」あっせん利得罪が成立する可能性は十分にある事案だった。

ところが、弁護士団体の告発を受けて、東京地検特捜部が、この事件の捜査を行ったものの、UR側への家宅捜索を形だけ行っただけで、肝心の甘利氏の事務所への強制捜査も、秘書の逮捕等の本格的な捜査は行われることなく、国会の会期終了の前日の5月31日、甘利氏と元秘書2人を不起訴処分(嫌疑不十分)とした。その際、「起訴できない理由」に関して「検察の非公式説明」がマスコミで報じられたが、全く不合理極まりないものだった。

その後、検察審査会への審査申立の結果「不起訴不当」の議決が出されたことからも、「国民の目」からも到底納得できないものだったことは明らかだったが、検察は再捜査の結果、再度、強引に不起訴とした。しかも、国会閉会の前日に、公訴時効までまだ十分に期間がある容疑事実についても、丸ごと不起訴にしてしまうなど、方針は最初から決まっていて、不起訴のスケジュールについて、政治的配慮したとしか思えなかった。

検察審査会の議決を受けての検察の再捜査では、元秘書と建設業者の総務担当者とのやりとりが、同法の構成要件である「国会議員の権限に基づく影響力の行使」に当たるかどうかを改めて検討。審査会は「言うことを聞かないと国会で取り上げる」と言うなどの典型例でなくても「影響力の行使」を認めうると指摘していたが、特捜部は「総合的に判断して構成要件に当たらない」と結論づけたとのことだ(2016年8月16日日付け朝日)。

この事件で、大臣室で業者から現金を受け取ったことを認めて大臣を辞任した後、「睡眠障害」の診断書を提出して、4ヵ月にもわたって国会を欠席していた甘利氏は、この不起訴処分を受けて、「不起訴という判断をいただき、私の件はこれで決着した」と記者団に述べ、政治活動を本格的に再開する意向を示した。

この事件での検察の捜査・処分は、最初から、事件をつぶす方針で臨み、ろくに捜査しなかったり、不起訴にするために証拠を固めたりして不起訴にした典型的な例だ。当初の検察の不起訴処分は、「議員の権限に基づく影響力を行使した」とは言えないという点で、捜査が尽くされておらず、素人の検察審査会からも「不起訴が不当」とされたのだが、如何せん、捜査不十分なままでは「起訴相当」とは言えない、「もっと捜査を尽くすべきだ」ということで「不起訴不当」との議決が出たが、それを受けた再捜査をした上で、不起訴処分をされてしまうと、それで刑事処分は決着してしまうのだ。

この事件では、検察の不起訴処分が、その対象とされた人物に犯罪の嫌疑を否定することの有力な根拠を与えたのであるが、それと同様のパターンになったのが、ジャーナリストの伊藤詩織氏が、安倍首相と親しいと言われる山口敬之氏を準強姦で告訴した事件である。検察は、警察から送付した事件を不起訴(嫌疑不十分)にした。これを受けて山口氏が、「検察の判断によって潔白が明らかになった」と堂々と主張した。しかし、その後、伊藤氏が起こした民事訴訟で、山口氏は一審で不法行為責任が認定されている。

黒川官房長の「応答」

実は、甘利氏の事件の関係では、私は、事件が表面化した当初から、当時、法務省官房長を務めていた黒川氏と頻繁に携帯電話で連絡をとっていた。私は、黒川氏とは検事任官同期で、個人的に付き合いもあった。大阪地検の証拠改ざん問題等の不祥事を受けて法務省に設置された「検察の在り方検討会議」で、私が委員の一人として、黒川氏が事務局だったこともあり、話をする機会が多かった。それ以降、折に触れて、連絡を取り合っていた。

この甘利氏の事件は、私は、検察不祥事で信頼を失った検察が、名誉回復を図る格好の事件だと思い、まさに、検察に、事件の組み立て、法律構成を指導し、エールを送るつもりで、事件に関するブログ記事を頻繁に発信していた。そして、黒川氏にも、電話で、私の事件に対する見方を伝え、「ブログに詳しく書いているから、読んでおいてくれ」と言っていた。黒川氏は「わかった。わかった。しっかりやらせるから」と、私の言うことを理解しているような素振りだった。

一連のブログの中に、検察がURの事務所に対して捜索を行ったことが報じられた直後に書いた【甘利問題、「政治的向かい風」の中で強制捜査着手を決断した検察】という記事がある。結果的には、「告発を受けて捜査をせざるを得ない立場の検察が「ガス抜き」のためにやっているのではないか、という見方」が正しかったわけだが、このブログ記事で、私は、

「政治的な強い向かい風」の中での強制捜査に着手にした東京地検特捜部の決断に、まずは敬意を表したい。そして、今後、事件の真相解明に向け、幾多の困難を乗り越えて捜査が遂行されていくことを強く期待したい。

などと肯定的に評価し、期待を表明している。

それは、URへの強制捜査のニュースを見て、すぐに、黒川氏に電話をしたところ、「取りあえずはここまでだけど、今後もしっかりやらせる」というような「前向き」の話だったからである。この時に限らず、私が黒川氏に電話して具体的事件のことを話した際、「自分は官房長なので、具体的事件のことには関知しない」などと言ったことは一度もない。ひょっとすると、私には「前向き」のことを言う一方で、自民党や官邸サイドには、真逆のことを言っていたのかもしれない。

実際に、この事件に関して黒川氏が法務・検察の内部でどのように動いたのかは知る由もない。しかし、彼の言葉が、私を含めた「検察外部者」に、「検察の捜査・処分を、希望する方向に向けてくれるのではないか」との期待を抱かせる効果を持っていたことは確かなのである。

緒方重威元検事長の逮捕・起訴と「官邸の意向への『忖度』」

そこで、検察の組織内で上位の権力者に対する「忖度」が働くのか、という第3の疑問である。「すべての事件を法と証拠に基づき適切に処理している」というのは建前であり、実際には、「忖度」が働くものであることを当事者が著書で明らかにした事件がある。

2007年に、元広島高検検事長・公安調査庁長官の緒方重威氏が、朝鮮総連本部の所有権移転をめぐる詐欺事件で、東京地検特捜部に逮捕・起訴された。緒方氏は、著書「公安検察」(講談社)で、次のように述べている。

当時首相の座にあった安倍晋三氏は、拉致問題をめぐる強硬姿勢を最大の足がかりとして宰相の地位を射止め、経済制裁などによって北朝鮮への圧力を強めていた。

時の政権の意向が法務・検察の動向に影響を及ぼすことは、多かれ少なかれあるだろう。当事者として検察に奉職していた私もそれは理解できる。だが、今回の事件では、「詐欺の被害者」とされる朝鮮総連側が「騙されていない」と訴えている。強引に被害者を設定して私を詐欺容疑で逮捕、起訴するという捜査の裏側に、官邸の意向が色濃く反映したことは疑いようがない。まして私には、独自のチャンネルによって官邸周辺の情報が入ってくる。法律の知識がある人間なら誰もが耳を疑うような捜査に検察を突き進ませた大きな要因は、官邸と、その意向を忖度した検察の政治的意思であった。

五三歳という若さで政権の座を射止めた安倍首相は、北朝鮮に対する強硬姿勢を最大の求心力とし、政権発足後も北朝鮮に関しては圧力一本槍の姿勢を鮮明にして人気を集めていた。当然のことながら、内政に関しても朝鮮総連に対して徹底的に厳しい態度で臨んでいた。

そこに元検事長であり、公安調査庁の長官まで務めた私が登場し、まるで朝鮮総連の窮状に救いの手を差し伸べるかのような振る舞いに出た。これが明るみに出たため、安倍首相と官邸、さらには与党・自民党が激怒し、法務・検察は何としても自力で私を”除去”しなければならない必要性に迫られたのだ。それが実行できなかった場合、批判の矛先は法務・検察に向けられかねない。

だから法務・検察は、東京地検特捜部まで動員して、徹底して荒唐無稽な容疑事実をつくりあげてでも、私たちを詐欺容疑で逮捕しなければならなかったのである。

緒方氏は、元高検検事長であり、検察の組織内での捜査・処分の実情を知り尽くしている。その緒方氏が、「時の政権の意向が法務・検察の動向に影響を及ぼすことは多かれ少なかれあるだろう」と述べた上、検事長まで務めた緒方氏を検察が逮捕起訴した「大きな要因」が、「官邸の意向を忖度したこと」にあったと述べている。

同じ安倍政権下だが、当時の「第一次安倍政権」は、比較的短命で終わり、少なくとも「安倍一強」と言われる現政権ほどには政治権力は集中していなかった。しかし、当時でさえ、検察は、「官邸の意向を忖度して」検察幹部を詐欺罪で逮捕するに至ったというのである。

もちろん、逮捕・起訴された当事者の言うことなので、すべて額面どおりに受け止めることはできないかもしれない。しかし、やはり、この事件の経過を見ると、通常、被害者側も処罰を望んでいるわけでもないのに、詐欺罪で立件する事件とは思えない。

検察の「忖度」は、積極的に逮捕・起訴する方向にも働く

政治の意向への「忖度」が、検察の捜査・処分に影響を与える余地は、「事件をつぶす」という方向だけではなく、「人を逮捕・起訴する」という「積極的な方向」にも働くということを示しているものと言える。

「内閣が検察幹部の任命権を持っている」と言っても、一度任命してしまえば、その検察幹部を辞めさせることはできない。これまでは、その職の終期は「年齢」という極めて客観的な事実によって決まっていた。それが、今回の検察庁法改正で、内閣の判断による検察幹部の定年延長ができるようになると、検察幹部の任期の「終期」を決められることになる。安倍内閣が、内閣人事局の設置によって他の官庁の幹部の任免を自由に決定できるのと同じような関係が、検察との関係にも事実上持ち込まれることになる。

それは、政権への「忖度」が、検察の「暴走」につながってしまう危険もはらんでいるのである。

 

郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

1955年、島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。これまで、名城大学教授、関西大学客員教授、総務省顧問、日本郵政ガバナンス検証委員会委員長、総務省年金業務監視委員会委員長などを歴任。著書に『歪んだ法に壊される日本』(KADOKAWA)『単純化という病』(朝日新書)『告発の正義』『検察の正義』(ちくま新書)、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『思考停止社会─「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)など多数。

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