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シリアでアル=カーイダ系組織どうしが粛清劇:過激派はどこに行ったのか?

青山弘之東京外国語大学 教授
Twitter(@humam_isa)、2021年10月25日

アフガニスタンでは、ターリバーンが政権を奪還した8月以降、イスラーム国ホラサン州の動きが活発化、米国のアフガニスタン担当特別代表のトム・ウエスト氏は11月8日、イスラーム国やアル=カーイダ系組織の勢力伸長に深い懸念を示した(ロイター通信)。

一方、欧米諸国や日本での関心が失われたシリア北西部では、10月末にアル=カーイダの系譜を汲む武装集団どうしの粛清劇が繰り広げられた。

「シリア革命」の旗手を自負するシリアのアル=カーイダ

衝突したのは、シャーム解放機構(旧シャームの民のヌスラ戦線)と、ジュヌード・シャーム、ジュンドッラーを名乗る武装集団だ。

シャーム解放機構は、イドリブ県を中心とする反体制派の支配地、いわゆる「解放区」において軍事・治安権限を握り、「自由」と「尊厳」の実現をめざす「シリア革命」の旗手を自負し、シリア救国内閣を名乗る組織に自治を委託する一方、自由シリア軍を自称する反体制派と共闘している。アル=カーイダとの断交を宣言してはいるが、国連安保理決議第1267号制裁委員会や米国などによってテロ組織に指定されている。

シャーム解放機構指導者のアブー・ムハンマド・ジャウラーニー(al-‘Arabi al-Jadid、2021年4月5日)
シャーム解放機構指導者のアブー・ムハンマド・ジャウラーニー(al-‘Arabi al-Jadid、2021年4月5日)

チェチェン人が指導するジュヌード・シャーム

対するジュヌード・シャームは、ジョージア出身のムスリム・アブー・ワリード・シーシャーニー(本名ムラド・イラクリーヴィッチ・マルゴシュヴィリ)が指導し、チェチェン人やレバノン人を主体とする武装集団である。ラタキア県北部を主要な活動地とし、350人の戦闘員を擁するとされる(シリア・アラブの春顛末記)。

2012年半ば頃にトルコを経由してシリアに不法入国し、2014年6月にイスラーム国がカリフ制樹立を宣言すると、ジュヌード・シャームのメンバーの多くがイスラーム国に合流したが、ジュヌード・シャームはシャーム解放機構やシャーム自由人イスラーム運動と共闘を続けた。

シャーム解放機構と同じく、シーシャーニーも2014年9月に米国によって特別指定国際テロリスト(SDGT)に指定され、2017年6月に国連安保理決議第1267号制裁委員会の制裁リストに追加されている。

ジュヌード・シャーム指導者のムスリム・アブー・ワリード・シーシャーニー(Alsouria、2021年7月16日)
ジュヌード・シャーム指導者のムスリム・アブー・ワリード・シーシャーニー(Alsouria、2021年7月16日)

謎に包まれたジュンドッラー

一方、ジュンドッラーの正体は謎に包まれている。英国を拠点とする反体制系NGOのシリア人権監視団によると、指導者はアブー・ファーティマ・トゥルキーを名乗るトルコ人で、トルコ人とアゼルバイジャン人を主体とするジハード主義組織だという。だが、彼らがいつシリアに潜伏し、どこで活動してきたのかといった情報は皆無に等しい。

「アッラーの兵」(ジュンド・アッラー)を名乗る武装集団自体は、シリア内戦において幾度か確認されている。例えば、2014年7月8日にダイル・ザウル県各所でイスラーム国に忠誠を誓った17の組織のなかに、ジュンドッラーの名前が含まれている(シリア・アラブの春顛末記)。また、2015年7月2日、シャームの民のヌスラ戦線、シャーム自由人イスラーム運動(現国民解放戦線所属)といったアル=カーイダ系組織を含む13の武装集団がアレッポ市東部および同市郊外一帯の制圧を目的に結成したアンサール・シャリーア作戦司令室にも同名の組織が存在する(シリア・アラブの春顛末記)。だが、今回シャーム解放機構と衝突した組織とこれらの組織が同じかは定かではない。

共闘から粛清へ

シャーム解放機構とジュヌード・シャーム、ジュンドッラーをはじめとする武装集団は、長らく共闘・共存関係にあった。だが、2020年3月に、ロシア・シリア軍とトルコ軍・反体制派の激しい戦闘を経て、ロシアとトルコが「解放区」での停戦に合意したことを受けて、関係に変化が生じた。

ロシア・シリア軍側の優勢のもとに交わされた停戦合意に従うかたちで、トルコが「解放区」での治安維持に注力するようになると、シャーム解放機構は、最大の後ろ盾となったトルコへの協力を余儀なくされたのである。新興のアル=カーイダ組織であるフッラース・ディーン機構を主体とする「堅固を持せよ」作戦司令室に対する2020年6月の粛清は、その一環として行われた(拙稿『膠着するシリア:トランプ政権は何をもたらしたか』東京外国語大学出版会、2021年、pp.216-217を参照)。

2021年に入って、シャーム解放機構はフッラース・ディーン機構や「堅固を持せよ」作戦司令室参加組織以外の組織に対しても圧力を強め、標的となったのが、ジュヌード・シャーム、ジュンドッラーといった外国人からなる組織だった。シャーム解放機構は、追跡中の犯罪者や指名手配者をこれらの組織が匿っていると主張、彼らの身柄引き渡しを応じなければ、イドリブ県から追放すると迫ったのである(シリア・アラブの春顛末記)。

これに対して、シーシャーニーは声明で、シャーム解放機構の要求を不当だと非難したが、なす術もなかった。

両者の衝突は、10月25日にシャーム解放機構がジュヌード・シャームとジュンドッラーが本拠地とするラタキア県のトルコマン山地方、イドリブ県ジスル・シュグール市一帯で大規模治安維持活動を開始したことで口火が切られた。

前日に重火器と中機関銃で武装した部隊を5回に分けて派遣していたシャーム解放機構は、ジュヌード・シャーム、ジュンドッラーに加えて東欧出身者からなる複数のグループに激しい攻撃を加え、少なくとも7人を殺害、6人を捕捉し、ヤマディーヤ村近郊とザイトゥーナ村近郊(いずれもラタキア県)の拠点複数カ所を制圧した。これに対して、ジュヌード・シャーム側も抵抗し、シャーム解放機構の戦闘員4人を殺害、15人を捕捉した。

この治安維持活動に関して、シャーム解放機構の幹部の1人アブー・マーリヤー・カフターニー氏は10月25日、パン・アラブ日刊紙の『クドス・アラビー』に対して以下の通り述べ、それが自分たちだけでなくトルコを脅かしていると主張した。

ジュンドッラーは、アル=カーイダ、フッラース・ディーン機構、イスラーム国の残党、狂信者とハワーリジュ派のセルからなるグループで、トルコマン山に軍事キャンプを設置し、イドリブ県で我々やトルコ軍の安全を脅かす作戦を組織していた…。

事態に対処するために、ジュヌード・シャームのシーシャーニーに、チェチェン人やトルキスタン人の仲介者を派遣し、ジュンドッラーを無力化するよう求めたが、シーシャーニーはこれを拒否し、ジュンドッラーに与したために戦闘状態になった。

事態収拾にあたったのもアル=カーイダ系組織

事態を受けて、中国新疆ウィグル自治区出身者からなるトルキスタン・イスラーム党が仲裁に入った。

トルキスタン・イスラーム党は、正式名を「シャームの民救済(ヌスラ)トルキスタン・イスラーム党」と言い、「シャームのくにのイスラーム党」を名乗ることもある。アブドゥルハック・トゥルキスターニーを名乗る人物の指導のもと、2014年半ば頃からイドリブ県で活動を本格化させ、シャーム解放機構を含む反体制派と共闘を続けている。

トルキスタン・イスラーム党指導者のアブドゥルハック・トゥルキスターニー(Beirut News Arabic、2016年1月30日)
トルキスタン・イスラーム党指導者のアブドゥルハック・トゥルキスターニー(Beirut News Arabic、2016年1月30日)

トルキスタン・イスラーム党の説得により、ジュヌード・シャームとマフルッディーンを名のる人物が指導する武装集団は、ジュンドッラーと距離を置き、トルコマン山地方からの退去、シャーム解放機構への指名手配者の身柄引き渡し、捕虜交換に応じた。

マフルッディーンが指導する武装集団についても正体は謎だが、これらに加えてウズベキスタン人グループも説得に応じたという。

シーシャーニーら戦闘員約70人は10月25日深夜から26日未明にかけて、車やオートバイに分乗し、トルコマン山地方を後にした。また指名手配者の身柄引き渡しは、トルキスタン・イスラーム党の監視下で行われた。

なお、トルキスタン・イスラーム党は、仲裁と並行して、ウズベキスタン人を主体とするタウヒード・ワ・ジハード集団、チェチェン人を主体とするムハージリーン・ワ・アンサール軍、モロッコ人を主体とするシャーム・イスラームなど11の組織、9人のシャイフと共同声明を出し、シャーム解放機構による粛清に支持を表明した。

抵抗を続けたジュンドッラー

しかし、ジュンドッラーと東欧出身者からなる複数のグループは抵抗を続けた。ジュンドッラーは10月25日に声明を出し、シャーム解放機構の批判を否定し、その攻撃がトルコマン山地方をロシア軍に引き渡すためのものだと批判した。

シャーム解放機構はジュンドッラーへの攻勢を続けた。10月28日までに、最後まで抵抗を続けていた戦闘員と指名手配者らが降伏、拘束していた捕虜が解放されて、戦闘は集結した。

降伏した戦闘員は、ジュヌード・シャームと同様、車に分乗したトルコマン山地方を後にした。11月7日には、トルキスタン・イスラーム党の仲介のもと、シャーム解放機構と、トルコ人、アゼルバイジャン人からなるジュンドッラー、東欧出身者からなる武装グループが会合を開き、ジュンドッラーらの完全武装解除と、指名手配者のシャーム解放機構側への身柄引き渡しを行うことが合意された。

なお、10月25日から28日にかけての戦闘では、ジュヌード・シャーム、ジュンドッラー側の戦闘員26人、シャーム解放機構の戦闘員8人が死亡した。

戦闘員はどこへ行ったのか?

シャーム解放機構による粛清は終わった。だが、退去した戦闘員はどこに行ったのかは不明だ。政府系日刊紙の『ワタン』は11月1日、イドリブ県とラタキア県で活動する「トルコの民兵」に近い複数の反体制派筋の話として伝えたところによると、トルコはトルキスタン・イスラーム党を仲介し、ジュヌード・シャームとジュンドッラーの戦闘員数百人をトルコマン山地方からアフガニスタンに強制退去させるための調整を行っていると伝えた。

この報道が事実かどうかは定かでない。だが、過激派をある場所から別の場所に移動させることは、問題の解決を意味せず、テロや暴力の拡散をもたらすだけであることは今更言うまでもない。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリアの友ネットワーク@Japan(シリとも、旧サダーカ・イニシアチブ https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』など。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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