なぜタジキスタン人が実行犯? ロシアとの関係は。忍び寄る人間排斥の波:モスクワ郊外テロ事件
テロの実行犯4人は、タジキスタン人であるーー。
3月24日、モスクワの裁判所の公式テレグラムは、「ロシア西部ブリャンスク州で拘束された実行犯」とされる4人の容疑者の名前と、全員が旧ソ連のタジキスタン人であることを公表した。
事件の当初から、容疑者の中にタジク人(=タジキスタン人)がいるという報道がなされていた。今までロシアでテロを起こしたイスラム過激派といえば、チェチェン人だった。それがタジク人、中央アジアの旧ソ連人だという。
なぜここで「タジク人」という名前を聞くことになるのだろうか。
タジキスタンとロシアは、どういう関係にあるのだろうか。
この話は、まるで100年も前の1930年代、第二次大戦前夜を思わせるような話になってしまうだろう。
ロシアへ出稼ぎに行くタジク人
タジキスタンは、平均高度は約3000メートルと、世界で最も標高の高い山岳国家である。
国土の大部分は、「世界の屋根」と呼ばれるパミール高原(東部にある)とそれに連なる山脈・高原からなっている。
そして、旧ソ連諸国の中で、最も貧しい国である。2023年の国際通貨基金による名目GDPでは145位だった。
経済はロシアに出稼ぎに渡った移民からの送金に大きく頼っている。
ロシア内務省の報告によれば、ロシアがウクライナに侵略した2022年の最初の半年だけでも、170万人以上のタジク人が、仕事を求めてロシアに入国したという。
人口975万人の国で、これは膨大な数字である。国民の6人に1人が、ロシアに出稼ぎ労働に行っているのだ。そして、彼らの母国への送金額は、GDPの約3分の1に相当するというが、非公式の送金もあるので、その額はさらに高くなるだろう。
(米国のフーヴァー研究所の報告による)。
世襲制になりそうな独裁国家で、ロシアに大変忠実である。プーチン大統領は、ウクライナに侵略した4ヶ月後の6月28日、最初に訪問したのがタジキスタンだった。
ウクライナの戦場へ駆り出される旧ソ連人
そんな状態で、ロシアにいるタジク人労働者に、兵士となってウクライナ戦争に行くことへの圧力がかかっている。
ラジオ・リバティは2月、ロシアの都市サマラで、4万人以上いるタジク人の間に、大変な動揺が広がっているニュースを報じている。
同地のタジク人コミュニティの指導者、スナトゥロ・ナズリエフ氏が、この地域に住む25歳から60歳までのタジク人に対し、2月25日までに軍事委員会に行き、(兵士になる)契約書に署名するべきだ、そうでなければ、家族全員、生涯国外追放となる可能性があると述べたのだ。これはサマラ当局を代表しての言葉であるということだった。
人々は、兵士になってウクライナ戦争に行くか、厳しい家宅捜索を受けて国外追放で強制送還か、どちらかだと脅されたと捉えた。
ナズリエフ氏は、これはロシア国籍も持っているタジク人に宛てたものであると釈明した。ロシア国籍を持たないが許可を得てロシアで働く労働移民は、契約すればロシア軍に受け入れられる。これは自発的なものであるし、その場合移民の家族全員がすぐにロシア国籍を取得することになる、という。
平和な時代には、労働移民はロシア国籍を欲しがった。しかし今は違う。国籍をもつことは、戦場に行くことを意味するのだ。
ナズリエフ氏は同時に、当局に、建物や店舗への強制捜査や全面的な検査を開始する可能性について警告されたとも述べている。
「彼らは『今は特別な決断だ』と言いました。これは私の演説ではなく、サマラ地方当局の言葉を皆さんに伝えているのです」と、彼は強調している。
報道は、この地域やロシアの他の地域では、移民に対する強制捜査が何か月も続いていると伝える。こうした強制捜査において、ロシア当局はロシア国籍を持つ移民を特定し、登録する。
ワグネルの時代
しかし実はこのような動きは、初めてのことではない。
約1年前、2023年2月のラジオ・リバティの報道では、受刑者がワグネルの勧誘によって、ウクライナ戦争に駆り出されている様子を描いている。
一方では、金銭とロシア市民権(国籍)と犯罪歴の抹消と引き換えに、ワグネルと契約した者もいる。
他方では、中央アジアの囚人がターゲットにされていて、彼らの意志に反して徴兵されることが多いという証言も報道されている。拷問に耐えるか、戦争に行くかの二択になっているのだという。
そして中央アジアの各国政府は国民に対し、外国の軍事紛争に参加しないよう繰り返し警告してきた。
キルギスは、ロシアで投獄されている国民を帰国させようと最も積極的に取り組んでいる国である。タジキスタンと同じように、国の経済はひっぱくし(同順位140位)、ロシアへの出稼ぎ移民の送金を頼りにしている。
同国の検察総長府は2022年、ロシアにいるキルギス人囚人による本国引き渡し希望の申請を、174件受け取ったと発表した。
タジキスタンも当時、本国の刑務所に移送することを検討する用意があると発表していた。
しかし、ワグネルのリーダー、プリゴジン氏は死んだ。1年前は、まだ一応ワグネルという「民間」軍事会社が行ったという体裁をもっていたが、その体裁すら今は無くなっている。
イスラム礼拝所の前に封鎖線、全員を軍事基地に輸送
それでは、首都モスクワのイスラム教徒はどうしているのだろうか。
仏紙『ル・モンド』は2023年10月、その様子を報告している。
「軍隊の人手が不足しており、新たに動員をすることは不人気なので避けたいと考えているロシア政府は、移民を追い詰めている」と述べている。これは10月20日に起きた、ある出来事の翌週に発表された記事だ。
電話取材に応じたある人物が、20日の様子を同紙に語った。
「暴動鎮圧部隊が、イスラム礼拝所の出口に封鎖線を張っていました。彼らは非スラブ系の見かけではない人全員を検査し、4台のバスで連行したのです。
私たちは車で1時間半かけて、軍事基地まで連れて行かれました。そこで彼らは、国防省と契約を結ぶ必要があると説明しました。私は一人で大家族の世話をしているため釈放されて、数日後に軍の事務所に出頭する義務を負いました」
約250人が連行された。同紙の情報によると、16人は1週間経っても戻って来ず、軍に編入されたという。
この出来事が明るみになったのは、この中に有名なタレント・ショーの決勝戦出場者マムート・ウセイノフ氏が含まれており、グループ連行から軍事基地に到着するまでのすべてを撮影したからだ。
同紙の取材に応じた30代のキルギス人は、「現実には、自分の身を守るためにできることはあまりありません。地下鉄、路上、職場など、どこでも検査され、拘束される可能性があります」と言った。
2022年11月以降、成人としてロシア国籍を取得した外国人は、30歳未満であれば兵役を義務付ける法律が制定された。
普通兵役は、ウクライナ戦線に送られることにはなっていない。兵役期間後は可能である。
しかし、同紙によれば、すべての証言が、ウクライナに派遣される正規軍への参加を意味する「1年契約に署名する義務」を言われたことを認めているという。
自分たちの権利を知らない人々を前に、彼らの混乱を利用して、契約書に署名する必要があると説明し、場合によっては投獄すると脅迫することもあるとの証言を伝えている。
ロシアに住む約1100万人の移民のほとんどは、中央アジアとコーカサス諸国から来ている。そしてこれらの国々の大半は、イスラム教の国である。
しかし、これらの国々は、自国民のウクライナへの派兵に、強弱はともかくきっぱりと反対しており、国家関係を緊張させているのだ。
「実行犯はタジク人」をめぐる不可思議
ところで、実行犯の4人がタジキスタン人であると最初に報告したのは、「バザ」というロシアの治安当局に関連しているネットメディアだった。
このことはネットで広がり、事件当初から「犯人はタジキスタン人」説の根拠となった。
そこでは4人のタジキスタン人の、身分証明書の写真に見えるものを公表していた。
ロシアメディアは言うに及ばず、西側メディアも「引用」という形で記事の一部に書いているものもあった。
タジキスタン外務省によると、彼らは指名手配されていたという(以下参照)。
22日の時点でイスラム過激派からの犯行声明は出ていた。
翌23日、タジキスタン外務省は、このタジキスタン人達が犯人であるという多くのロシアメディアの報道は虚偽であると主張、3人の潔白を訴えた。
タジキスタン外務省の公式サイト。トップ記事の下に二つ、3人の潔白を証明する記事が掲載されている。
(顔や個人情報が一部隠されているのは、筆者がえん罪被害者保護のために行ったもの)。
右の記事の翻訳:2024年3月22日にモスクワ市で起きたテロ行為に関連して、ブリャンスク州内務省が以下のタジキスタン共和国国民を拘束したというメッセージが、ロシア連邦のメディアで広まりました。特に重大な罪を犯した疑いで公式指名手配リストに載っています(二人の生年月日と名前、二人目の居住地ハトロン地方◯◯の記載)。
しかし、このメッセージには現実的な根拠がありません。
なぜなら、上記の人々は2023年11月26日にロシア連邦からタジキスタン共和国に到着し、居住地にいるからです。
左の記事の翻訳:3人目、タジキスタン共和国国民(名前と生年月日)。ハトロン地方◯◯在住の彼は、現在ロシア連邦のサマラで旅客輸送(タクシー)の運転手として働いています。テロ行為当時、彼はサマラにいたため、今回の犯罪とは何の関係もありません。
この23日時点では、ロシア内務省は、ウクライナ国境の西部ブリャンスク州で実行犯として拘束された容疑者4人は全員外国籍で、ロシア人ではないと発表したが、どこの国とは述べていなかった。
しかしメディアでは、様々なソース(公的機関もあったようだ)を使って、4人がタジク人とか、1人がタジク人などと報道していた。
翌24日、タジキスタンのラフモン大統領は、プーチン大統領と電話で会談、「テロリストに国籍はない」と述べ、両者はテロ対策を強化することで合意した。
そして25日、容疑者4人は、モスクワのバスマニー地方裁判所で開かれた公判前審理に出廷した。ロシアのマスコミに、ひどいケガをした顔姿がさらされた。ネットでは、彼らが「それでこの顔になったのか」と思わせるような、痛めつけられている動画や写真が出回った。
全員タジク人と公表され、名前も発表されたが、当初の4人の名前(そのうち3人はタジキスタン外務省が抗議して守った)とは異なる人達だった。
テロ行為の罪で起訴された容疑者4人は、公判前拘留を命じられ、公判が行われるまで少なくとも5月22日までは拘留されることになった。
旧ソ連国の訴え
タジキスタンのラフモン大統領は、以前、ロシアが自国を属国扱いすることに異議を唱えたことがある。大変珍しいことだ。
2022年10月14日、カザフスタンの首都アスタナで開かれた中央アジア5カ国とロシアの首脳会議(+CIS会議)でのことだった。
ラフモン氏は「旧ソ連時代のように中央アジア諸国を扱わないでほしい」と述べ、タジクは属国扱いではない対等な国家関係を望んでいると表明した。
「旧ソ連時代、中央アジアの小国は(ソ連指導部から)関心を向けられていなかった」、「ロシアはタジキスタンを食糧面や貿易面で支援してくれているが、その半面、対等な態度も示していない」と述べた。
「多額の資金援助はいらない。われわれを尊重してほしい」と語り、ロシアは旧ソ連時代のような小国軽視の政策をとるべきではないと訴えたのである。
外国人排斥
そしてテロ事件が起きてしまった今、キルギス外務省は国民に対し、ロシアの特殊部隊が国境警備を強化していて、安全対策が強化されている間はロシアへの渡航を延期するよう勧告している。
ラジオ・リバティの報告によれば、ロシアに散らばるタジキスタンのコミュニティの首長らが同胞に対し、大規模なイベントに参加しないよう、また夜に家を出ないよう勧告を準備しているという。
また、多くの雇用主がタジキスタン国民である従業員に対し、住所を含む最新の個人データを提供するよう求めたともいう。
他方で、外国人排斥によるいくつかの事件が、ラジオ・リバティのタジキスタン・サービスによってすでに報告されている。
シベリア南部のアムール州ブラゴヴェシチェンスク市では、何者かが移民所有のショッピングパビリオンに放火した。同市のイマメエフ市長は「明らかに民族的理由による」と述べた。
モスクワの南西200キロ未満のカルーガでは、正体不明のグループが路上でタジキスタン国民3人を殴り、うち1人が入院した。
ロシアのさまざまな地域から、顧客がタジク国籍のタクシー運転手のサービスを拒否しているとの報告がある。
サンクトペテルブルクのベグロフ知事は、法と秩序の確保に関する会議で、市内の出稼ぎ労働者の居住地は「特別な管理下に置かれる」と述べた。しかし、その内容については明らかにしなかった。
ロシアの他の地域では移民の検査が積極的に行われて、拘束も確認されているという。
ロシアは今、1933年のドイツのようになっているのだろうか。
この年、ナチス党以外の既存政党はすべて解散に追い込まれ、ヒトラーが「党が今や国家となった」と宣言。政治警察ゲシュタポが設置され、逮捕された人々は強制収容所に送られるようになった年のことだ。最も古いと言われるダッハウとオラニエンブルクの強制収容所は1933年に建設された。
しかもこの時にも経済は、公共事業と価格統制のために上向きであった。
今、プーチン大統領がモスクワ郊外のテロを、ウクライナと西側の陰謀とほのめかし、「イスラム国」がテロを実行したことは認めつつも、「ロシアを攻撃することに本当に関心があるだろうか」と疑問を呈する発言をするのは、宗教問題が爆弾になることへの恐れもあるのかもしれない。
このテロ事件は、ソ連の崩壊を心底悔やむロシア人たちが起こした戦争によって、最も弱いところに亀裂が入り、さらにロシア内部が蝕まれ崩壊し、近隣国は離反して混乱の度合いを深めていく要因となったーーという歴史になるのだろうか。
この事件の真相が全て解明されるのは、いつのことになるのだろう。
撮影AmanovDmitry。
※追記(興味のある方はお読み下さい)。
「実行犯はタジク人」という一報を聞いて、筆者が真っ先に思い出したのは、ロシア人上官の殺害事件である。
ウクライナの戦場でタジク人の兵士が、白人のロシア人上官に「なぜ自分がウクライナで戦わなければいけないのか、わからない」と訴えた。
すると上司は、「ウクライナはナチスだ」等々と述べたが、相手が納得しないので口論となり、終いには「戦わないのなら、アラーは臆病者である」と言った。
そしてこの上官は殺された、という事件である。
殺害したのは、アラーへの侮辱を言われた人ではなく、その人から話を聞いた同僚(確か二人)だったと記憶している。
最後に一つだけ付け加えたい。
今回の痛ましいテロの犠牲に対して、誰が誰に哀悼の意や連帯を表明したかは、小さいことに見えるが、とても重要だと考えている。
中国の習近平主席はロシア政府に、インドのモディ首相はロシア政府とロシア人に、フランスのマクロン大統領はロシア人に。
この違いは極めて大切だと思う。犠牲になったのは、人の命。国籍は関係なく、平和に暮らしたいと願っている一般市民。この小さな言い方の違いは、権力者たちの思想を照らし出す結果になったと感じている。